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旅も英語も仕事も、壮大なコメディのつもりで臨むといい。『TRANSIT』編集長・加藤直徳氏の “世界” との向き合い方

旅も英語も仕事も、壮大なコメディのつもりで臨むといい。『TRANSIT』編集長・加藤直徳氏の “世界” との向き合い方

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加藤 直徳(かとう なおのり)
1975年、東京都生まれ。編集者。euphoria FACTORY所属。白夜書房に勤務していた2004年、『TRANSIT』の前身となるトラベルカルチャー誌『NEUTRAL』を創刊。2008年に現在の『TRANSIT』に改名し、講談社より発行。編集長を務める。

@transitmag
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「旅」をテーマにした雑誌やメディアは数多あれど、雑誌『TRANSIT』はその圧倒的な写真のインパクトと中身の情報量の濃さから、他メディアの追随を許さない。今年、前身となる『NEUTRAL』の発刊から10周年を迎え、今なおファンから熱い支持を集めている。

そんな『TRANSIT』の編集長を務めるのが、加藤直徳(かとう なおのり)氏。世界を巡り雑誌をつくり続けてきた加藤氏が感じる「旅する」こと、そして「一歩踏み出すことで変わる価値観」とは。

小手先だけで、人の心を揺さぶる仕事ができるわけがない

まず『TRANSIT』の前身である旅雑誌『NEUTRAL』を創刊するに至った経緯を教えてください。

最初、白夜書房という出版社に席を置き編集者の仕事を学びました。そして偶然チャンスが巡ってきて新しい雑誌の創刊を任されることになりました。会社からの命題は「売れ線の雑誌をつくること」。トレンドを意識したインテリアの雑誌ならいけるだろうと考え『ROOM+』という雑誌を出しました。25歳くらいの頃です。

でも、これが全然売れなかった(笑)
いきなり編集長になって、ちょっと調子に乗っていたのかもしれません。まあ仕方ない、どうせクビだろうから1ヵ月くらい休んで旅でもしよう。それから編集の仕事がしたいかどうか判断しよう、と編集の仕事をお休みすることにしました。ちょうどその当時、NGOで働いていた友達がアフガニスタンに行くというので、それに便乗する形で同行することにしました。

そのアフガンの旅で価値観が大きく転換することになりました。日本で見聞きする情報や得た知識が全て正しいと信じて雑誌をつくってきたけれど、小手先でコピーしているだけかも? と考えるようになりました。それだけ目の前で起きている現実が強烈だったんです。情報は自分の目で見ないとわからない。いかに今まで「編集者をサボっていた」か実感できたんです。与えられた知識の集積が編集なのではなく、自分自身の血や肉となった経験・感覚を発信していかない限り、編集者としての道は開けないと確信しました。

そんな自分の価値観が一変したような体験を正直に形にしようと思い、旅をテーマにした『NEUTRAL』を創刊しました。

1年半かかった『NEUTRAL』の創刊

帰国後、すぐに会社を辞めて『NEUTRAL』の創刊に取りかかったのですか?

すぐに辞めるつもりでいたのですが、編集局長に「作ってみれば」とチャンスをもらいました。何度もしつこく企画を出していたので半ば記念受験みたいなものかもしれません。創刊に際してまずは手作りのパイロット版を作って、いろんな人に見せて歩きました。コンサバティブな人からエッジの立った編集者まで、100人以上。もう新宿三丁目のスナックのママにも見せて感想を聞きましたから。

「こんなのは売れないよ」と言う編集者の先輩方がたくさんいましたが、話を聞く中で少しずつ「これってもしかして、みんな作りたくても作れないものなのかも」と思うようになりました。いろいろな諸先輩方からの反応を見て、「これはいける」とどこか確信めいたものがありました。結局、1号目を作るのに1年半くらいかかりましたが(笑)

初めて出場した「全国大会」の気持ちでつくっている

『NEUTRAL』を創刊するにあたり、心がけたことはありますか?

常に考えているのは「自分がびっくりしたい。他人をびっくりさせたい」ということですね。あと、誰が読んでも理解できる内容にすること。「わかる人だけにわかればいい」という考え方もあるとは思いますが、それはただの “逃げ” ですね。難解だと思って避けてしまうものをきちんと読者に分かりやすく伝えるのが編集者の仕事だと思っています。読者に迎合して「合わせる」ことはしません。

誌面からも、特に写真には並々ならぬ思いを感じました。

写真家は自己主張の強い方にしか依頼できません。観光地を撮影するわけではないし、撮りたいテーマが明確にある人でないとうまくいきません。商業カメラマンよりも作家として活動している方と仕事する機会が多いです。

これほどのクオリティとボリュームの雑誌を、10年もつくり続けられたのはなぜでしょうか?

自分の今までを振り返ったとき、全部 “中途半端” だったんです。高校時代はバスケ部で全国大会には出られなかった。大学も第一志望の学校にいけず、就職活動もほぼ全滅。まあ、思うようにいかないことだらけでした。

仕事に大会も何もありませんが、編集者としてようやく全国大会に出られたような気持ちでやっています。10年もやってこられたのは、やっと出場できた舞台から降りたくないっていう気持ちもあります。人生のいろいろな岐路で勝ってきた人であれば、もっと様々な選択肢があったと思いますが、僕には編集しかありませんでした。それはこれからもきっと同じです。

価値観は違うし議論も平行線。それでも相手を認めること

どんな体制で取材に行くのですか?

基本的にはカメラマンと2人で行きます。でも自分たちだけで現地のコミュニティに入っていくのは難しいので、まず向こうで英語か日本語を話せる「人」を探します。プロのコーディネーターは使いません。Airbnb のオーナーさんや現地の大学生・クリエイターなどに案内を頼みます。よりリアルな生活感を重視するためです。

世界を旅しながら雑誌をつくるなかで、「難しい」と感じることはありますか?

基本的にうまくいかないし、難しいと感じることの方が多いです。国によって様々ですが、信じているものや価値観が違う人とは、議論しても平行線でお互い相容れないことが多いなと感じます。

人の価値観とは、結局どういう環境で生まれ育ち、どのような教育を受けているかだと思います。でも意見が衝突したときに、無理やり論破する必要は一切ない。もちろん自分の主張を曲げる必要もない。「あなたの意見も尊重する。けれど俺はこう思うよ」と。1つの物事に対していろいろな見方があるだけで、“正解” の価値観なんてないんですよ。

それは “違い” を受け入れるということでしょうか?

そうですね。違いはあるけれど進む道は一緒かも? ってことです。例えば、中国でリニアに乗って通勤するビジネスマンも満員電車に揺られるサラリーマンも、根本は「よりよく生きたい」「幸せになりたい」という部分で同じなんですね。価値観が違うだけ。「自由」という言葉をとっても、アメリカ西海岸のヒッピー連中とイスラームのそれとでは考え方がまるっきり違う。同じ「自由」を求めていても価値観が違う。それは多様性であって優劣ではないんです。TRANSIT の中では「根本で重なる部分」をうまく表現できたらいいと思っています。

「旅」は人生のタイミングが合うときだけでいい

『TRANSIT』を読んだ人に、期待することは何ですか?

読んでくれた読者全員に旅に出てほしいとは思いません。自分が海外に出たのも、社会人数年目で「なんか上手くいかねぇな」という感覚があったから。一人ひとりに「旅に出るタイミング」があると思っています。絶好調で働いている人が読んだところで、自分の居場所で他にやるべきことがあるでしょうし。

僕としては、なんかモヤモヤしている人に「一回海外に出てみるのもいいんじゃない?」という気持ちを伝えるくらいの意義でしか考えていません。それでもたまに「表紙の場所に行って人生観が変わった」とか「仕事をするうえで大きなきっかけになった」などと感想をもらうことがあり、とても幸せに感じます。多くの読者は獲得できていない媒体かもしれない。けれど密度(しつこさ)では負けていない自負はありますよ(笑)

100冊はつくりたい —そして新しいチャレンジへ

「雑誌」を取り巻く環境は昔と比べ変わってきていますが、加藤さんは今後どんなものをつくっていきたいですか?

「旅」というものを平易に扱う雑誌にはしたくないですね。そのために、今と変わらず “編集者” として自分の目の届く範囲の規模感で雑誌をつくり続けたいと思っています。20代で考えていたことと、30代で考えていること、そして40代で考えるだろうことは違うと思うので、その時々に思った “一番伝えたいこと” を伝えられる状況を、自分でコントロールして整えていきたいと思っています。

具体的にこれからの展開を教えてもらえますか?

単純に、『TRANSIT』を100冊くらいは出し続けたいと思っています。同じことをし続けるのではなく、進化・深化しながら続けたいんです。

これまでは「国」を単位として特集を作ってきました。それをテーマで区切ってみる。例えば「タイムトリップ」をテーマに、ローマと奈良を特集するような。「神々が住む島」をテーマにハワイとバリと隠岐の島を特集するような。そんなワクワクするようなアイディアの広がりを編集できればと考えています。現在は30号まで出ていて、2016年3月発売の31号からリニューアルします。

旅も英語も編集も。「人生を変える」みたいな仰々しさはいらない

旅雑誌をつくる上で英語は不可欠だと思いますが、どのように勉強したのでしょうか?

僕は全然話せませんでしたよ。初めてNYを旅したときも、行きの飛行機の中で彼女から例文を教えてもらったくらいで。高名な写真家に会いに行ったんですが、ドアを叩いてから出るまでをシミュレーションして、会話をすべて丸暗記していました(笑)

どうしてもその写真家と話したい。そのために英語が必要だった。きっかけはただそれだけです。だから大袈裟に「よし、英語を勉強するんだ!」みたく力(りき)まなくていいと思いますけどね。軽い気持ちで始めてしまえばいいと。旅も同じで、その風景を見たい。誰と見たい? 貴方と見たい、くらいでいいと思います。

大袈裟に「絶対に習得しなくちゃ」と力まなくても、学びたいと思ったときに始めればいい、と。

そうですね。海外に出るにしても英語を勉強するにしても、それこそ雑誌の編集をやるにしても、壮大な「喜劇」を演じてるだけですから(笑)

眉間に皺を寄せて人生を懸けるなんてヒロイズムもいいところです。すごく簡単な気持ちで始めてしまえばいいと思うんですよね。ミーハーは何よりです。「やらなきゃ」と使命感に駆られるより、「やってみようかな」というくらい軽い気持ちのほうが動き出しやすい。そのくらいの気持ちで始めてみて、熱中できたらやり続ければいい。

「人生を変える」みたいな仰々しさで、英語も旅も始めることはないと。

周囲の若い人を見ていると、必要以上にあれこれ考えすぎている人が多い気がします。「英語がこわい」とか「海外に出るのがこわい」とか。世界を知る上で一番ハードルが低いことなのに、そこを怖がっていたら話にならないんですよね。お金をかけようが何しようが、そのハードルを越えてから世界が広がっていくものだと思うので。

前でも後ろでも上でも下でも、とりあえず進んでみるべきだと思います。一番怖いのは、変化を恐れて何もチャレンジしないこと。そして今の自分のまま留まり続けることだと思いますよ。