DMM英会話 ブログ 英語でつながる インタビュー

「社会の仕組みをつくる人こそ世界を広く知るべき」NPO 3keys代表 森山誉恵さんが、子どもたちを支援しつづける理由

「社会の仕組みをつくる人こそ世界を広く知るべき」NPO 3keys代表 森山誉恵さんが、子どもたちを支援しつづける理由

目次


森山 誉恵
1987年生まれ。日本で生まれ、韓国で育ち、アメリカへ留学。高校生までの間を日本・韓国・アメリカの3ヶ国を行き来しながら過ごす。慶應義塾大学へ入学後は国際ビジネスコンテストOVALの運営にも携わる。現在は東京都を拠点に、NPO法人3keysの代表として活躍中。
▷ NPO法人 3keys

韓国、アメリカ、そして日本。幼少期より海外で暮らしてきた森山誉恵さんは、帰国後、日本の慶應義塾大学へと進学。在学中は日中韓の国際ビジネスコンテスト OVAL に参加するなどグローバルな能力にさらなる磨きをかけてきたが、最終的に彼女が進んだ道は、国内の家庭環境等に恵まれない子どもたちへの支援活動でした。

今回はそんな森山さんに、3keysを始めたきっかけや実現したい社会について、また森山さんの価値観をつくってきた幼少期の海外経験などについて伺いました。

 

すべての子どもたちが育ちやすい社会をつくる

森山さんの現在の活動について教えてください。

今は「3keys」という、児童養護施設で暮らす子どもたちをはじめ、家庭環境に恵まれない子どもたちの支援を行うNPO法人の代表をしています。3keysは「すべての子どもたちが育ちやすい社会の実現」を目指していて、中心となる活動は子どもたちへの学習支援です。

子どもたちは自分が生まれ育つ環境を選べませんが、地域とのつながりが希薄になってきている今だからこそ、社会全体で彼らを支える新しい仕組みが必要だと感じたんです。

そのために、児童養護施設へボランティアの家庭教師を派遣したり、現状や課題を広く適切に “伝える” ための活動をしたりしています。
本来受け取るべき権利が保証されていない子どもたちに、適切な社会資源を届けていけたらと思っています。

 

韓国・アメリカ・日本。文化の違いに戸惑った幼少期

幼少期の頃から聞かせてください。森山さんは日本で生まれて、すぐに韓国へ行かれたとのことですが。

私の母は韓国人。父は日本人で日韓研究をしていました。父の仕事や研究の兼ね合いで、3歳から14歳まで韓国にいました。

韓国では、どんな生活を?

現地の幼稚園、小学校へ通っていました。韓国はたくさん勉強する国なので、私自身も多くの習い事をしていました。母が教育ママだということもあって、3〜4歳から英語の勉強をはじめたり、小学1年生の頃は学校のあとに英会話塾へ行ったり。小学4年生の頃には中国語も習っていました。

それでも私の家はゆるいほうで、小学生なのに夜中まで塾へ行く友達も多かったです。とにかく韓国では勉強ができることはスタンダードでしたね。

学校は、勉強だけではなくてスポーツにも力を入れていて、夏は水泳教室、冬にはスケートやスキー教室がありました。とにかく、たくさんの経験や知識を詰め込むことが多かったように思います。

14歳の頃に日本に帰国したと聞きました。

そうですね。日本に帰ることはあらかじめ親の仕事の都合で決まっていました。
ただ、当時の私はとにかく日本語ができなかったので、最初は韓国にある日本人学校の中学へ通い、日本語の勉強をはじめました。ひたすら勉強していましたね。

でも、日本人学校は韓国の学校と比べるとすごくゆとりがあって。苦労というよりは、青春を楽しんでいましたね。その後、中学2年生の頃に日本に移りました。

日本に帰ってからはどうでしたか?

日本に帰ってきてすぐ、「高校に入ったらアメリカに行く」と決めていたんです。日本語が下手だったので、このままでは大学受験は厳しいと思って……。
それなら、今までの環境から得た国際力を活かすしかないなと考えたんです。

英語は得意だったのですか?

小さな頃から英語を勉強していたので、得意な方だったと思います。ただ、中学3年生の時にもカナダへ3週間ほど留学したんですが、3週間じゃ英語力は全然上がらなくて。

もっと英語を話したい! と感じたこともあって、高校も東京都立国際高等学校という留学しやすい学校を選びました。

「英語を勉強したい」以外にも、留学に行きたい理由はありましたか?

ええ、実は他にも理由がありました。うちは親がすっごく厳しかったんです。
電話は1日10分まで、テレビは30分まで、門限は8時、恋愛はダメなどなど……。色んなルールがあって、それが息苦しかったんです。
それで、「留学をすれば1年間親元から離れられる。これは行くしかない!」と思いました。

でも結局、私のホームステイ先は親がすごく厳しい家庭でして……そういう呪いがかかっているのかと思ったほどです(笑)

アメリカでの生活は、どうでしたか?

アメリカの学校は、家でインプットして、学校でアウトプットする、みたいな感じでした。家で事前に教科書をしっかり読んで、自分の意見を言えるほどに準備しておかないといけないんです。それをもとに学校では、皆で議論をしたり、論文を書いたりするので、とにかく毎日勉強しないと追いつかない状況でしたね。

 

周りに合わせ、「どう振る舞えばいいのか?」を探っていた

「教育」のあり方はもちろん、国によって文化がずいぶん違うと思いますが、苦労はありましたか?

当時は文化の違いに馴染むのに必死で、とにかく自分を周りと合わせようと苦労していましたね。

韓国は、すごく目立たないと競争に勝っていけない文化で、とにかく皆が目立とうとしているんです。その後、日本人学校へ行ったら今度は協調性が大事とされていて……。ここで目立つとKYキャラみたいになるので、まわりに合わせて自分を抑えるようになりました。

でも、アメリカ留学中はその協調性が仇となってしまって。仲良くやっていこうと思って、ホストシスター(ホームステイ先の子ども)の洗濯物を日頃から手伝っていたら、彼女が全然洗濯をしなくなったんです。

「なんで一緒にしてくれないの?」って聞いたら、「だって、あなた洗濯が好きだからやってるんでしょ」と言われて、ビックリしました。
結局すれ違いが起きて、「言ってくれないとわかんない。察しろって言われても困る!」と言われ、ケンカになりましたね。

留学を終えて日本に帰ってくると、今度はまた自分の主張をしすぎるとKYキャラになるし……。とにかく「自分はどう振る舞えばいいのか?」が分からなかったんです。

では、逆に良かったことはありますか?

「時代や環境が変われば常識も変わる」ということにいち早く気づいたので、大人になってから一般の人よりも “常識” によって苦しめられることが少なくなった点でしょうか。当時は、周りの常識に合わせるのに一生懸命で苦しかったけれど、今はそれが大きな糧になっていると思いますね。

 

日中韓の国際ビジネスコンテストから、起業という選択肢を得た

大学在学中に活動された OVAL とは?

日中韓の大学生と大学院生が、3カ国混合のチームを全20チームくらい作り、ビジネスコンテストを行う学生団体です。
政治などの議論をしてぶつかるようなテーマではなく、三者が共通して理解し合えるツールとしてビジネスを用いましょう、というコンセプトの元に行われています。

なぜ OVAL に参加したのでしょうか?

韓国では、日本に攻撃されたという歴史授業が多いので、小学生の頃は「謝れ」と言ってくる生徒もいたんです。そんなこともあって小学5〜6年生の頃は、「私はなんて国に生まれたんだ……」と落ち込んだこともありました。

そんなように子どもの頃から根深い問題を感じていたので、OVAL で三者が理解しあって仲間になれば、何か大きなものが変わるかもと思ったことが参加したきっかけですね。
それに、参加している学生は全体的に意識が高く、刺激も学びも多そうだったこともいいなと思いました。

OVAL での経験は、今の森山さんの活動に活きていますか?

はい、大学1年生という早い段階からビジネスに触れることができたことは良い経験でした。

参加者の飛行機代や宿泊代など、何百万単位のお金をイベント会社のようにスポンサーを募って集めたり、起業家や個人事業主、コンサルなど経営を担う側の人たちと接したり、3カ国あつまって次の OVAL 開催国やビジネステーマを話し合ったりと、とにかくビジネスの基礎を勉強させてもらったと思っています。

OVAL が実践的なビジネスの勉強の場になっていたんですね。

そうですね。あと、私はいま起業していますが、そのマインドの土台も OVAL でできたと思っています。というのも、 OVAL は起業するのが珍しくないコミュニティだったんです。

コミュニティによっては、もっとも成功といえる進路が商社や外資金融への就職であったりしますが、OVAL に参加している人たちがもっとも成功だと考えている出口として「起業」という選択肢があって。

自分でつくるのが一番いいじゃないかっていう考え方の人が多く、私も自然と起業を選択肢のひとつとして捉えるようになりましたね。

 

今の時代が求めている「本当のソーシャルビジネス」とは

国際ビジネスの勉強から、なぜ子どもたちの支援に?

OVAL は毎年テーマが変わるのですが、私のときのテーマは “ソーシャルビジネス” でした。
その時初めて、ソーシャルビジネスという考え方に触れたのですが、社会課題を解決しながら仕事ができるって、自分が理想とする働き方だなと思ったんです。
このコンテストが「今の時代に求められる社会課題って何なんだろう」と考えるきっかけになりましたね。

そして起業を決意したと?

起業には漠然と興味を抱いていただけだったのですが、ちょうどその時に、周りの友人などに家庭のことで不幸が続きました。家族や教育・福祉のあり方が、今の社会問題を解決する大きなカギなのではと思うようになったんです。

なるほど……。その後、どのような行動を起こしたんですか?

OVAL は2年間で終わるので、その後に何か教育や福祉にまつわることができないかと「Yahoo! ボランティア」で検索していました。結果、家から15分のところにある児童養護施設がボランティアを募集しているのを見つけて。こんなに近くに施設があったんだって驚きましたね。

「4万人以上の子どもが、親と暮らせていない。東京だけでも、そういった境遇の子どもが4,000人近くいる。自分の家の近くに彼らのための施設があるのに、それを知らなかったってどういうこと!?」と、かなり衝撃を受けましたね。

そしてこれが、その頃の自分の問題意識とリンクしたんです。

そのボランティアに応募したのですか?

そうですね。ボランティアの家庭教師となって数学を教えに行きました。
訪問先の子どもたちは、中学生でも小学1,2年の頃から勉強が遅れていたり、学校や家庭に居場所がなく不登校になったりして、中学生のうちからタバコやお酒、夜の遊びなどに居場所を見出している子もいました。

彼らと接することで、何か考え方が変わったところはありますか?

自分もそっちに走ったこともあるし、それまではそういう人って、ただ「怖い」とか「悪い人」としか考えていませんでした。でも、その子たちの育ってきた背景を知って、こういうのは家庭環境などに紐づいているんだなって、初めて社会課題として認識するようになりました。

振り返ってみると、自分が中学の頃にもそういう子っていたんですよね。だけど、社会的に彼らを見つめたことは一回もありませんでした。むしろ、どちらかというと避けていたかもしれません。

そんな見方で彼らを避けていると、子どもたちは余計に社会に対して不信感を持ち、一方で周りはますます手を差し伸べようとしなくなり……。偏見の溝が広がっていく悪循環を生んでいるのかもしれないって思ったんです。

人が、こういう子どもたちの存在や気持ちを知らないまま社会へ出ていくと、偏った仕組みや制度をつくってしまうんじゃないかとも思いました。

 

社会の仕組みをつくる人こそ、ボランティアに参加してほしい

そこから、どのように3keysに繋がるのでしょうか?

OVAL や大学には、目的を持って活動している若い人たちがたくさんいました。でも、児童養護施設でボランティアをしている人は年配の方が多く、若い人が全然いない状況でした。

ここには私たち世代が抱えている社会問題がたくさんあるのに、そこに若い人材がいない。複雑で根深い問題だからこそ、力を合わせて長い時間かけて解決していかなくてはいけないのに、問題を知っている人すら少ないことに違和感を感じたんです。

社会の仕組みや制度を率先して作っていく、いわゆる「エリート」たちこそ、こういう状況をもっと身近に感じれるように関わるべきなんじゃないかと思いました。
そこからいろんな人たちに参加してもらえるような活動を少しずつ始めていき、2011年にNPOとして3keysを立ち上げました。

今後の課題はありますか?

まだ特殊な活動に見られているので、もっと一般化していきたいですね。極端な話、ヨガみたいな感覚で、週に1回はボランティアに参加してみようっていう気軽さというか……。こういう活動に対する特別感を無くしていきたいんです。

活動が特別なままだと、子どもたちを支援することが「特殊なこと」のままになってしまう。また「支援をしてあげなきゃ」みたいなメッセージになると、子どもたち自身に欠格があるように見えてしまう。
そこは今でも難しいと感じていますが、本当は子どもたちに欠格があるわけではなくて、社会の方に欠格があり、私たち社会側の問題なんですよね。それがうまく伝えられていないというか。

誤解を受けやすい分野だからか、私たちの活動自体も伝えたい形で伝わっていないことがあって、むしろもしかしたら偏見を助長している可能性さえあるのではと感じる時もあります。すごく難しいなと。

その辺をどのように伝えて、ボランティアを “普通の活動” にしていくかが今後の課題だと感じていますね。

そのためにこれからはどんな活動を展開していくのでしょうか?

本来受け取るべき権利が保証されていない子どもたちに社会資源を届けていく、というコンセプトに適していれば、何でもやっていきたいと思っています。
そうすることで、目標としている「すべての子どもたちが育ちやすい社会」に少しでも近づけたらと思っています。

森山さん、貴重なお話をありがとうございました!