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19歳、フィリピン留学と青春のアメリカ縦断1人旅 【大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話:Part2】

19歳、フィリピン留学と青春のアメリカ縦断1人旅 【大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話:Part2】

どうも、カナダ在住、フリーランスグラフィックデザイナーでバンドマン、新井リオ(@_arairio)と申します。

『大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話』連載。

まずは、Part1「18歳、アメリカの来日バンドと共演し海外を志す」編を読んでもらえたら。

今回、Part2「19歳、フィリピン留学と青春のアメリカ縦断1人旅」編では、お金も時間もなかった僕が導き出した唯一の方法“フィリピン留学”での意識の変化について、またその夏に強行した、“青春のアメリカ縦断1人旅”のお話を…。

 

フィリピン留学

フィリピンで英語?

お金も時間もないけど英語を勉強したかった僕が、最初に選んだ手段が「フィリピン短期留学」。

その理由は、

フィリピンでは第2言語として英語が日常的に使われ、英語教育も盛んなため、フィリピン人(特に若い人たち)はほぼネイティブレベルで英語を話すことができます。

また日本とは物価の違いがあるので、「質の良い英語」「格安」で学ぶことが可能なのです。

マンツーマン授業はこのような小部屋で行われました。

バンドをやっていることを話すと、この陽気な先生に何回も「歌って!歌って!」と言われ、いざ歌おうとするとギターを取られて勝手に弾きだす(しかし全く弾けない)、というフィリピーノジョークを見せつけられたのが懐かしいです。

楽しかったなあ。

 

フィリピン留学で学んだ3つのこと

1. 現状理解

日本に住んでいて、1ヶ月間丸々、1日6~7時間も英語を話す機会ってないですよね。

フィリピン留学では、そんな生活が実際にどんなものなのか、また自分は何が得意で何が苦手なのかを知る、非常に良い機会になりました。

英語レベルとしては、「自己紹介・簡単な質問ができるレベル」が、「ゆっくりと話してもらえば、相手と簡単な会話ができるレベル」にはなったと思います。

ただ、やはりネイティブの通常スピードでの会話を聞き取るにはかなりの訓練が必要だと感じました。

 

2. 英語がツールであることの自覚

語彙や文法レベルを磨くこと自体はもちろん大事なのですが、結局英語は「何かを表現したり人とコミュニケーションを取るため」にあり、「これから自分がその英語力を使って何がしたいのかを考える」ことが大事なのだと気付きました。

 

3. カルチャーショック

この期間に僕は、「ホームレスのこどもたち数人に腕を捕まれ、ポケットをあさられる(ポケット手つっこまれ事件)」、「優しいおじさんのバイクに乗ったら怪しいところに連れて行かれそうになる(バイクおじさん事件)」に遭遇しました。

こわかったけど、今では良い思い出。
もちろん、ちゃんと気をつけていれば大丈夫ですよ(笑)。
(僕はスリルを求めすぎました。)

ただ、治安や物価の違いを実際に自分の目で見る、というのは、日本で情報として知るのとは全く違う衝撃がありました。

情報が溢れる世の中ですが、やっぱり「自分の目で見て実際に体験すること」に勝る衝撃はないと思います。何事も。

それをこの手軽さでできるんだから、『フィリピン留学』、超、おすすめです。

 

19歳の挑戦。アメリカ、青春、夏

ドキドキを求めて

フィリピンから帰国後、そのまま本格的に英語の勉強を開始!できたらよかったのですが、やはり日本では英語を話す機会が少ないことから、なかなかモチベーションが続きませんでした。

英語字幕で映画を見ようと思ったら開始2分でわけがわからなくなったり、YouTubeで英語教材の動画を見ていたはずがジャルジャルのコント動画になっていたり。

なんか、続かないんだよなあ。



そのとき、前年のアメリカからの来日バンドDuck. Little Brother, Duck!と共演した夏の思い出が頭をよぎりました。

行動力だけは定評のある僕。

まだまだ英語は全然話せないのに、気持ちはすでにアメリカへと向かっていたのでした。

 

いざ、アメリカへ

フィリピン短期留学の5ヶ月後、大学2年生の夏休み丸々1ヶ月を、アメリカで過ごすことに決めました。

旅行ではなく、旅がしたかったのです。

プランを決めず、宿の予約も最初の数日しか取らず、8/1ロサンゼルズ着、9/1シアトル発の往復航空券だけを購入し、アメリカ西海岸へと旅立ちました。

 

帰れないライブ

初日からタクシーでぼったくられる、という散々なスタートで幕を開けたアメリカ縦断ツアーでしたが、僕には日本にいる時から楽しみにしていたイベントがありました。

それは、大好きなバンドのライブ

しかし現地に着いてすぐ、もし行けば終電はなく、宿に帰れないほど遠い距離にその会場があることを知ります。

ただ、19歳のスリル追い求め少年はそんなことじゃへこたれません。

野宿をする覚悟を決め、「帰れないライブ」へと向かいました。

着いたのは、巨大倉庫をスケボー場兼ライブハウスに改造した、いかにもアメリカらしい場所。

興奮が止まりません。

目当のバンドのライブはこれまた最高で、「I came from Japan to see you guys!(あなたたちを見るために日本から来ました!)」と、頑張って英語で伝えました。

 

終演後

カップルか友達同士で来ている人が多い中、僕以外に唯一1人で来ている青年を発見。

お互いに「1人で来た感」丸出しの僕たちは自然と言葉を交わし、すぐに打ち解けました。

彼は Joseph という優しい青年でした。

もう遅いけどどうやって帰るのかという問いに、「I think I will sleep somewhere outside.(どこか外で寝るよ)」と答えると、「Nooooooo!」との返事が。

優しすぎる彼は、なんとついさっき出会ったばかりのジャパニーズ少年を、車で1時間半かけて僕の宿まで送ってくれたのです。

僕自身もバンドをやっていることを伝えると、

「Hopefully the next time we meet is when you tour in the States! Haha」
(次に会うのは君のバンドがアメリカツアーをする時だね!ハハ)

という素敵な言葉を残し、彼は帰路につきました。

「Thank you」の最後の「ュー」の部分を精一杯伸ばす以外に感謝の気持ちを伝える英語力もなく、申し訳なさと有り難さで胸が締め付けられた夜。

せめていつか、USツアーを実現させて恩返しをしよう、と心に決めたのでした。

 

グランドキャニオン親子

僕はその後、“2泊3日でホテル付き食事付きのグランドキャニオンバスツアー1万5千円”という破格のツアーに参加。

行きの高速道路の休憩エリアにて、レストランでの食事が用意されていました。

ただ、またしてもほぼカップルか家族連れなので、一人で来ている英語の喋れない19歳のジャパニーズ少年は浮いてしょうがない。

グループごとに席へ案内される中、店員さんに「How many?(何人ですか?)」と聞かれ戸惑う僕。するとそれ見かねたある親子が救世主のように現れ、「Three people!(3人です!)」と僕を引き連れ同じ席に座ってくれました。

席について初めて自己紹介をする、ドラマのような展開。

彼女たちは本当に優しく、特にお母さんはそのツアーの間ずっと、僕のことを息子のように気にかけてくれました。

結局、2泊3日かけてグランドキャニオンは30分しか見ることができないという謎の格安ツアーだったけど、僕は彼女たちにめぐり会うためにこのツアーに参加したのだと思います。

「I am always on your side, I am your mom in the US.」
(私はいつでも味方だよ。あなたのアメリカのお母さんだからね。)

この言葉は、今思い出しても泣けてきます。

こんな写真しか残ってなくてごめん、ママ。

 

アメリカ縦断少年と、横断少年

同じ時期、Twitter でたまたま「1ヶ月1万円で、ヒッチハイクでNYからロサンゼルスまで横断します!」という同い年のぶっとんだBoyを発見。

彼の名はじゅんのすけ。

僕はヘンな人が好きなので、すぐにDMで連絡を取りました。するとちょうど僕と同じタイミングでサンフランシスコにたどり着くとのこと。

ジャパニーズのアメリカ横断少年と縦断少年が、サンフランシスコで初対面。

小麦色、と表現したら小麦側が異議を申し立ててきそうなほど全身日焼けした彼は、とにかくまともなものを食べていないとのこと。

僕は自分の宿に招待してスパゲッティを作ってあげました。

なんの変哲もないトマトソーススパゲッティでしたが、彼は「こんなにうまいスパゲッティは今まで食べたことがない」と真顔で言い放ち、すぐに完食。多分、何を食べても同じことを言っていたと思いますが。

そんな彼とは、今でも連絡を取り合う仲です。

ちなみに彼、なんと今年の4月から『DMM.africa』に新卒入社したとのこと!

「What a coincidence!」
(なんて偶然!)

 

SAIKO な彼

Part1 で話した、僕がこのアメリカ縦断ツアーをするきっかけにもなったポートランド出身のバンド、Duck. Little Brother, Duck!。

ついに、彼らに再会する時がやってきました。

前年のツアー後も拙い英語でちょくちょく連絡は取っていたのですが、彼らは日本ツアーを心から楽しみ、関わった日本のバンドやスタッフにとても感謝しているようでした。

特にベースの Kyle は「Let me return the favor!(何かお返しをさせてほしい)」と言って、僕を駅まで迎えに来て、家にも泊めてくれるとのこと。

超ありがたい。。

そして、ついに再会。

Kyle は、景色の最高な丘の上の公園、友人の働くおしゃれなカフェ、地元で有名なブランチのお店、奇妙なドーナツ屋、オススメのレコードショップに現地バンドのライブなど…

いわゆる旅行では味わえない、現地に住む彼だからこそできる最高のおもてなしをしてくれました。

楽しい日々はあっという間に過ぎましたが、やはり僕の英語力がまだまだ足りなすぎて、お互いに5割くらいの理解度で会話をしていたと思います

別れ際、僕が

「I’m so sorry my English isn’t that great, If my English was better, we would have had more fan.... I will practice my English and come back again.」
(僕の英語がまだまだでごめんなさい。僕がもっと英語を話せたら、もっと楽しかったかもしれないのに…もっと練習して、また来るね)

とまあ、実際にはもっとぐちゃぐちゃな英語でこんなニュアンスのことを言うと、Kyle は

「No! This time was really SAIKO, the next time will also be SAIKO! Both are SAIKO!」
(そんなことはないよ!今回は本当に最高だったし、次にまた来た時も最高になる。どっちも最高!)

と前年の日本ツアーで覚えた SAIKO という言葉を使って、こんな素敵なことを言ってくれたのでした。

 

「英語が話せる」ということ

僕はこのアメリカ縦断ツアーで、文字通り"かけがえのない"経験をしました。

英語もまともに喋れない僕にみんながしてくれた、数々の優しさ。

そして僕は、「英語を話す」ということについて、1つの大事なことに気付きました。

それは、いくら机上の勉強で英単語を暗記し、文法書を完璧に仕上げても、「口から詰まらずに自然とその英語が出てこなければ全く意味がない」ということ。

だって、冷静に考えたら、ライブ後家まで送ってくれた Joseph に、「Thank you so much for taking me home at midnight.(深夜に家まで送ってくれてありがとう。)」くらいは受験英語のレベルで言えたはず。

それが、いざとなると「Ohh, thank youuuuu....(あの、えっと、ありがとうぅ….)」しか言えなかったのです。

今まで漠然としていた「英語が話せる」の定義が、この時はっきりとしました。

「英語が話せる」とは、覚えた単語量の多さやテストのスコアの良し悪しではない。


「自分の言いたいことが、詰まらずに口からスラっと出てくるスキル」のことなのだと。

Joseph、Mom、Kyle、他にもこんな僕を助けてくれたみんなにいつかもう一度会って、しっかりと感謝の気持ちを伝えたい。

帰国した僕は、「漠然と英語の勉強をする」のではなく、「言いたいことが口から自然と出てくるための訓練」をすることによって英語が話せるようになろう、と決心したのでした。

 

おわりに

少々長くなりましたが、これが僕の、英語を本格的に始めたきっかけです。

「なんとなく話せたらかっこいいなあ」という気持ちでは結局続かなかったモチベーション。

「みんなにどうしても英語で感謝を伝えたい」という想いが僕を変えていきました。

次回Part3、オファーを受け、なんと僕のバンドPENs+はカナダでライブツアーを行うことに。

そしてついに、僕はDMM英会話に出会います。

そこで僕が始めた独学勉強法とは…。

バンド、デザイン、海外・英語。

バラバラだった僕の趣味が、少しずつ形になり繋がっていく様を、お楽しみに。

 
 

ストーリーも気になるけど早く勉強法が知りたい!という方は、こちらの記事
『独学3年間の努力と道のり。日本で英語が話せるようになった僕の勉強法』
をご覧ください。

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では!