DMM英会話ブログ編集部
(更新)
アジア6カ国(バングラデシュ、ネパール、インドネシア、フィリピン、ラオス、ミャンマー)で、中学生や高校生向けに教育支援を行っているNPO「e-Education」。
その代表を務めるのは、「30 UNDER 30」としてForbesが選ぶ "30歳以下の重要人物" に選ばれた三輪開人さんだ。
三輪さんは、「30 UNDER 30」にてメジャーリーガー・田中将大やテニスプレイヤー・錦織圭などの超大物と並び選出されている。そんな三輪さんに「挑戦」というテーマでお話を伺った。
― Forbesのアンダー30に選ばれて、率直な感想をいただければなと。
ただただ、光栄です(笑)。私も高校時代は野球をやっていたので、マー君は雲の上の存在のような人だったわけで。そんな方々と同じ舞台に立てたのは本当に嬉しいですね。しかもスポーツというわかりやすい分野と並んで、NPO・NGOといったソーシャルアントレプレナーの部門があること自体、良い時代に生まれたなと思います(笑)。
― アンダー30に選ばれる前と選ばれる前で変わったことありますか?
全然変わらない(笑)。
シンガポールで授賞式があるということで、「やった、何かもらえるのかな?」くらいに喜んで行ったんですよ。そしたら何ももらえなかったんですね。
しかも旅費は自腹なので、「みんな自腹で来てるのに、賞状とかもなにもないんだ」と驚きました(笑)。
ただ、これまでお話をしたかった方々、私とは違う業界で活躍している超一流の方々と知り合えたのは大きかったですね。
― 授賞式では日本人以外にも一流の方々が集まっていたかと思うのですが、「やっぱり世界の超一流は違うな」と思ったことはありましたか?
パネルディスカッションなど、いわゆるプレゼンをするプログラムがあったのですが、すべて日本人以外の人たちだったんですね。
このアジアのアンダー30で選ばれている他の国の方々って、やっぱり苦しい環境、もしかしたら私たちよりも恵まれてない環境のなかで「自分の国を変えてやろう」とか、「周りの国を変えてやろう」って頑張っているんですよ。
そんな彼らの熱量とか努力は尋常じゃないなと思いましたね。スケールが違う。
たとえばフィリピンでソーラーパネルを全国に広げる活動をしているのが、大学に通いながらビジネスをやっている23歳。普通にフィリピンの大統領秘書とかと一緒に仕事をしているんですよ。
一方で日本は完成してるからこそ、そういう人たちが出にくくなってるのかなと感じましたし、もっといろんな国の方々から教わったほうがいいんじゃないかなと思いました。
― e-Educationの前はJICAにいらっしゃいましたが、国際協力に興味を持ち始めたのはいつごろからですか?
実は学生時代はまったく興味関心がなかったんです。もう普通のキラキラした大学生(笑)。
ただ、キッカケとなったのは大学時代にノリで行ったラオス旅行のとき。ちょうど現地でお祭りがあったんですけど、お酒をしこたま飲んで意識をふっ飛ばして。財布も置きっぱなしだったので、朝目覚めて「あっ、終わったな」と。
そしたら、ゲロまみれだったはずなのに体は綺麗だし、財布もあって。現地の方が看病してくれてたんです。
財布なんてぐちゃぐちゃになったお札含めて天日干ししてくれて、僕の体も洗ってくれて。本当に親身になって助けてくれた。
話を聞けば、彼らはむかし日本の人に助けてもらったらしいんですよ。
自分がまったく知らないところで、こんなにも日本人のことを好きになってくれてる人がいる、それってとっても素敵だなと思ったのがキッカケです。
― そこから国際協力というのに興味を持ち始めてJICAに入られたと。
厳密に言うと、国際協力というよりも「違う国で生まれて違う文化で育った人たちが純粋に何を考えているのか」を知りたかった、というのがあります。
そして途上国が好きだったので、実際にお世話になった人たちのために何かできないかと思ったのがJICAに入った理由です。
あと、JICAはちゃんとお金ももらえるので、キレイ事を語ってるだけじゃなくて、ちゃんと還元されるのがいいなと(笑)。
実はあまり知られていないのですが、海外とかだとNPO・NGOで3千万、4千万もらっている人も多い。「社会の問題を解決する重要な仕事」というポジションなんですよね。
― JICAで約3年半過ごされて、一番ツラかったことはどんなことがありますか?
ツラかったこと、いっぱいあったなぁ(笑)。いろいろあったんですけど、「交渉のテーブルで、自分が伝えたいことも言えず、相手が何を言っているかもわからない」ことがあって。ツラかったですね。
私はJICAでは教育領域の担当だったので、各国の現地の大学の先生や教育省の方々とミーティングするんですよ。
だけど、日本を代表して現地の会議に参加しているのに、全然役に立てなくて。すごい悔しかったですね。
しかも、 "ファカルティーデベロップメント" みたいな専門用語が飛び交うんですが、日本語ですら「ファカルティーデベロップメントってなに?」という感じじゃないですか。
だから、ミーティング開始1分でわからなくなるという。最初のころは毎回録音して文字起こしをして、英語の意味から調べる、ということをしてました。
― そのときの英語力はどれくらいだったのですか?
JICAに入ったときはTOEICは550くらい。ぜんぜんできなかったんです(笑)。
最終的に900くらいまではTOEICの点数をあげたので、努力しましたね。
だけど、英語を1回捨てたんですよ。
というのも、正しい英語を話すことに意識がいっちゃって、ミーティングで話の主導権を握れなくて。
そういう交渉のステージでは正しい英語よりも、ミーティングのストーリーをある程度用意しておくことの方が大切。
そのことに気づいてから、ミーティングの前にアジェンダだけでなく、もう議事録をつくっちゃってました。
相手はハーバードとかMIT出身の人間だったりするんですけど、やたら難しい言葉を使うんですよ。むしろ頭悪いんじゃないかって思うくらい。
でも言葉の意味を理解するよりも、情報を整理してAかBかという選択肢から判断するのが重要なので、事前に議事録をつくってミーティングのストーリーを用意するのは役に立ちましたね。
― 「教育」という領域に興味を持ち始めたのはなぜですか?
浪人時代、林修先生の授業をずっと受けていて。
大学時代もずっと林先生のアシスタントをやらせてもらってたんですね。そこで、東進ハイスクールの仕組みとか、映像教育に興味を持ち始めたのが最初です。
国際協力って難しい世界で、でっかいところから徐々に解決していこうというのが普通なので、大学受験を応援するみたいなことまでなかなかできないんですよ。
だけどそこがやっぱり課題だと感じていたので、自分にしかできない、自分が好きな分野で活躍したいなと。
― JICAを離れたのはなぜですか?
JICAに三年半いましたが、「枠から飛び出すこと」「新しい一歩を踏み出すこと」を恐れない人間になりたいなと思っていて。
大きな組織を退職しても人生ってこんなにハッピーなんだよと最終的に言える人になりたいなって思ってたんです。
そのとき、e-Educationの創業者である税所(さいしょ)くんが結構メディアに露出していたり、大手のスポンサーをつけていたりと軌道に乗ってきていたタイミングでもあったので、NPO・NGOの領域にチャレンジしてみようと。
だけど、自分に自信を持ってから辞めないと、ただの逃げになってしまうし、後悔しちゃうだろうなって。
だから、どんなに小さくてもいいので「やった!」とか「成功した!」という体験を積み重ねてから飛び出すことが大切。
当時、私はブログをコツコツ続けて自分の世界が広がったんですが、社会人2年目から毎日ブログを書き続けていたんです。
年間で450本くらい。途中から自分でHTML、CSS、PHPも勉強してデザインも自分でつくったりして。結果的に15万PVとかまで成長したんです。
プライベートの趣味というか楽しみでしかなかったんですけど、これって1つの大きな挑戦。毎日ブログを書き続けられる自分であれば、退職しても毎日コツコツ頑張れるだろうなって自信になりましたからね。
― いまいる環境でコツコツ頑張る習慣を身につけないと、新しい場所へ行っても大変だと。
そうですね。コツコツ頑張る対象はなんだっていいと思うんです。
それこそ、英語学習でもいい。英語を話せるようになることがゴールでなくても、嫌だなと思う「いまの自分」を変えるために挑むのでいいんです。
英語の勉強をコツコツ続けた、ってすごい自信になると思いますよ。
僕も勉強が嫌いだった人間なので、海外でビジネスしたい!とか留学したい!みたいな大きな目標を持つと、苦しくなって続かなくなるじゃないですか。
基本、勉強なんてめんどくさいんですよ。だから、肩肘はって高い目標を持つよりも、「今日は2分間勉強したぞ」くらいの頑張りでもいいので、「自分を変える道具」として英語学習を使ってもいいのかなと思います。
最終的に自分の嫌な部分が1つでも2つでも解決していったら、人生ハッピーになりますよ。