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クメール織物復興のためカンボジアに村を作った、森本喜久男

クメール織物復興のためカンボジアに村を作った、森本喜久男

森本喜久男
1948年生まれ。京都での友禅職人、タイでの大学講師、ユネスコのコンサルタントなどを経て、1996年にカンボジアの伝統的な織物技術復興と活性化のため、IKTT(クメール伝統織物研究所)を設立。2003年からは伝統の森・再生計画に着手し、カンボジアの人々とともに村を作成。2014年外務大臣表彰授与。
「カンボジア絹絣の世界―アンコールの森によみがえる村 」「メコンにまかせ―東北タイ・カンボジアの村から」など著書多数。

    まっつんです。シュムリアップでは、荒れ地を耕し、何もないところから村を作り、カンボジア伝統のクメール織物復興に取り組む、森本喜久男さんにお話をお聞きしてきました。

    クメール織復興のためにどうしても村が必要だった

    カンボジアでの活動に関して教えてください

    カンボジアの伝統的な絹織物、クメール織の復興と活性化を行っています。タイで初めてクメール織物を手に取り、見ましたが、美しさに圧倒され、一瞬のうちに魅了されました。

    元々カンボジアは世界でも有数の染織技術を持った国です。20数年にも及んだ内戦の影響で、優れた技術を持った織り手たちの多くが亡くなり、文化が失われかけていました。代々母親から娘へ、といった形で実体験を持って伝えられていったものですが、一世代分、伝統の継承が行われておらず、ぽっかり抜けていた感じでした。元々マニュアルがあるわけでもないですしね。

    クメール織を復興させたいと思ったのはもちろんなんですが、質がいいものが適正な価格で取引されていないことを知ったんですね。仲介人に買い叩かれたりして。ものは間違いなく世界に誇れるものでしたし、やっていることに見合った対価を支払ってあげたいと思いました。あとは布の世界に生きるものとして、自分自身も素晴らしい布に携わりたいと思ったのが活動のきっかけですね。

    布1

    村を作られたきっかけを教えてください

    村を作ったのもすべて、クメール織物復興のためですね。極端な話、布は土から出来ます。いい布を作るために、いい糸が必要です。いい糸をつくるにはいい蚕(かいこ)が必要。いい蚕を育てるためには、いい桑の木が必要。いい桑の木のためにはいい土が必要、となるわけです。すべてが失われている状態でしたので、土台から整える必要がありました、

    あとは布を織る、織り手さんたちの環境整備です。いい布を作るためには技術が必要なのはもちろんだけど、そこまで単純な話ではない。丹精込めて、愛情込めて作った上で最高の布が出来上がります。

    織り手さんたちの多くは小さい子供がいます。子供のことが心配だと作業に集中出来ない。だから、織り機の横に子供が寝れるスペースを設け、安心して働ける環境を作っています。村の中には小学校もあって、もう少し大きい子は学校に通っています。

    技術を持っていることはもちろんですが、織る際の心理状況などに左右される部分が大きい。環境を整えることが私の仕事だと考えています。私たちがやっていることは、単に織物を作っているわけではなく、織物を作り出す過程も含めてすべてですね。様々な点から考えて、いい布を作るために村を作ることはどうしても必要なことでした。現在村では150名ほどが暮らしています。

    子どもと親

    昔から海外で働きたい、ということはお考えだったのですか?

    決してそういうわけではなかったですね。カンボジアの前はタイで活動していたのですが、そもそもはふとしたことがきっかけです。

    プラティープさんというタイのスラム街で活動をされていた方がいるのですが、その方が来日された際に、私の工房に訪れた。そこでいろいろとお話をさせてもらって、翌年彼女を訪ねて、タイに行ったのがはじまりです。

    ちょうど30歳を過ぎた頃で、京都でこのまま友禅職人をやっていくことに漠然とした疑問を感じていた時期だったんですね。その時にプラティープさんのところで働く幼稚園の先生に「今やっていることをタイでやったらいいのでは?」と言われました。彼女自身はそれほど深い意味で言ったわけではないと思いますが、これが目から鱗だった。

    それを聞く前までは、着物に絵を描く仕事、友禅は京都でしか出来ないと思っていましたが、筆一本あればどこでも行けることに気づいて、一気に世界が広がりました。海外で働くという選択肢を持ったのはその時ですね。それからしばらく悩んだんですが、最終的にタイに行くことを決意しました。しかし、本当に何事も「縁」だと思います。彼女と出会っていなかったらまだ京都で働いている可能性もありますね(笑)

    森本さん、松本2

    まずはとにかく話す

    英語とその勉強法に関して教えてください

    先ほどタイで活動していた話をしましたが、最初はボランティア活動をしていました。その中でミーティングがあるのですが、様々な国籍の人がおり、使われる言語は英語なんですよね。そこで発言をするために、英語の勉強を本格的に始めました。

    まずはたくさん話しましたね。徹底的に話しました。あとは英字紙に出てくる単語や表現を覚えた。気になる単語は辞書を使って、調べて覚える。半年ほどやり続けたのですが、ある時、英語の夢を見るまでになりました(笑)

    それからシンガポールに行く機会があったのですが、そこであることに気が付いた。シンガポールの方が使う英語って、シンプルな表現が多いんですよね。決して無理に難しい表現を使う必要はない。自分の知ってる単語だけを使って、簡潔に伝えることを意識してから、英語を使うのが楽になりました。

    先日カナダのバンクーバーで講演をする機会があったのですが、すべて英語で話しました。台本も何もない状況でしたが1時間半無事話せました。終わった後に、観客がスタンディングで拍手をくれた光景は非常に感動しました。英語が出来たからこそ経験できたものであり、非常に感慨深いものがありました。

    伝えたいことがあるかどうか

    タイ語に関しても同じで、まずはひたすら話すことから始めました。気になる表現は辞書で調べたり、繰り返し使うと言った感じですね。最終的には大学で講師を勤めた際にもタイ語を使いました。

    クメール語に関しては事情が違いまして、最初はそれほど勉強する気がありませんでした。カンボジアに来た当時は、クメール語の通訳を雇って対応をしていました。

    ある時、この通訳の方が私の言いたいことを一部しか伝えていないことに気づいたんですよね。村を作る過程であったり、織物を教える過程であったりで、必要に応じて注意したり、怒ったりする必要がどうしてもありました。

    彼はネガティブなニュアンスの内容を一切伝えていないようでした。相手が嫌いでそういう発言をしているわけではないし、もちろん必要であるからこそ言っていたものが、彼のところで不本意に止められていた。悪意があったわけではないと思いますけどね。

    その時から通訳を使うのをやめ、クメール語の勉強を始め、自分自身の口からクメール語で物事を伝えるようにしました。

    やはり言葉はあくまでツール、手段に過ぎないので、英語の時もタイ語の時もそうですが、やはり「伝えたいこと」があることが重要ではないでしょうか。クメール語を学ぶにあたり、改めてそう思いましたね。

    森本さん、松本1

    何事も考え方一つで大きく変わる

    カンボジアのこれまでとこれからは?

    内戦が行われていた混乱期、戦後の復興期。そして2010年以降、カンボジアは成長期に入ってきたように思います。

    1994年に訪れた首都のプノンペン。とあるレストランに入ったんですが、入り口に銃が置いてあるんですよね。お客さんが酔っ払って間違って撃たないように、入り口で置いていくシステムになっていたようです。

    ユネスコに依頼されて訪れていたときも、事故や病気になったとしてもユネスコは一切責任を持ちません、とのこと。内戦をやっているので対象外なのは仕方ないんですが、なんというところに来てしまったんだと正直思いました。

    調査の帰りにポルポト派の兵士たちに遭遇したこともあります。近くにいた村人たちが守ってくれ、命からがらその場を離れることが出来ました。

    そんな時代から比べると、カンボジアは大きく変わりました。プノンペンに出来たイオンモールは成長期のシンボル。

    正直言って安くはないですし、買える人と買えない人の二極化が起きています。ただ、それもきっと必要なこと。何事も物事には意味がある。今は買えない人もイオンで物が買えるように頑張ろう、という明日への活力になればいいですよね。

    子供1

    最後にメッセージをお願いします

    何事も考え方一つで大きく変わると思います。先日とある学生の方が来られたのですが、カンボジアに来るために貯金をしたそうなのですが、その際のコンビニでのアルバイトが大変だったと話していました。

    その考え方はもったいない。将来もしかしたらコンビニのオーナーになるかもしれない。その視点を持って働いたら得るものも違うし、きっと楽しい。

    何がどこでどうつながってくるかわからないですよね。私も10代の頃、ある事情で左官屋でタイル貼りを毎日してました。

    時は流れ、村を作る際にカンボジアの方にタイル貼りを教える事ができ、あの時の経験が非常に役立ちました(笑)当時は全く思いもしませんでした。

    あとは何をやるにも遅すぎることは本当にないと思います。村を作り始めたのも50歳を超えてからです。

    次に挑戦したいのはミュージアム、博物館を作りたいですね。

    村の風景

    作業中

    松本の感想

    森本さんは、元々は京都の友禅職人さんということで、最初は緊張していたのですが、物腰の柔らかい、とても素敵な方でした。「現状維持は後退を意味する」という言葉が印象的でした。挑戦し続けないと成長はないですよね。

    森本さんのIKTTで作られる布は、とても美しく、カンボジアで売られている他の布とは素人目から見ても全く違いました。カンボジアに行かれる機会がある方はぜひご覧ください。

    IKTT(クメール伝統織物研究所)ポータルサイト
    http://iktt.org/

    森本さん、本当にありがとうございました。