ハリウッドで活躍する若手コンセプトアーティスト 田島光二が「世界一」を目指し続ける原動力とは

田島光二さん

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田島 光二
コンセプトアーティスト。1990年生まれ。2011年に日本電子専門学校コンピューターグラフィックス科を卒業後、フリーランスのCGモデラーとしてキャリアをスタート。2012年4月に数々のハリウッド映画を手がけるイギリスのVFX制作会社『Double Negative Visual Effects』のシンガポール支社へと移籍。現在に至る。『GODZILLA(ゴジラ)』、『進撃の巨人』、『寄生獣』などの作品を手がけ、学生時代には『3DCG AWARDS 2010』で最優秀賞も受賞した。
▷ポートフォリオサイト『Kouji Tajima Art』
▷書籍『田島光二作品集 & ZBrushテクニック』

CG界のトップクラスで活躍している “コンセプトアーティスト” の田島光二さん。聞きなれない職種ですが、CG映画に「コンセプトアート」は欠かせません。

現在シンガポールで働いている田島さんは、自分の “好きなこと” を信じ、譲らず、これまで突き進んできたそうです。「好きなことを仕事にする」という憧れは、誰もが一度は抱くものかもしれません。では、実際に自分の “好き” を武器に世界で活躍している方は、どのようにそこまでの道を歩んできたのでしょうか。

今回は、ハリウッド作品でも活躍中の田島光二さんにお話をお伺いしました。

 

美術の授業は嫌い —型にはまらず絵を描きたいと思っていた

田島さんの作品
田島さんの作品『Knight』(左)、『Cowboy』(右)

まず、現在のご職業について教えてください。

Double Negative Visual Effects という VFX(現実には見ることのできない画面効果を実現するための技術)の会社に勤めています。「コンセプトアーティスト」という肩書きで主にキャラクターデザイン、背景、コスチュームデザインなどで映画作成に携わっています。

「コンセプトアーティスト」とは?

CG映画のキャラクターをどんな造形にするか、その元となる絵を描く仕事です。原作がある場合は文章だけで書かれたキャラクターの特徴を元に、イメージして描いていくんです。最近だと『寄生獣』や『進撃の巨人』などのコンセプトアートを担当しました。

コンセプトアートといっても、絵を描くだけじゃないんです。『寄生獣』では、寄生物の顔がパカッと開くのですが、その開き方や「どうすればもっと迫力が出るか?」というところから考えたり……。

あとは最近だと、2016年公開のティム・バートン監督の『Miss Peregrine's Home for Peculiar Children』(邦題「ハヤブサが守る家」)のメインのキャラクターデザインを担当しています。ティム・バートンの大ファンだったので、監督自身から「sexy」って直接コメントをもらえたときは本当に嬉しかったですね。

映画を作る人にはいろいろな役割があるんですね。

そうですね。一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、キャラクターひとつとっても複数名のコンセプトアーティストがいたり、それらを形にするCGアーティストが数十名もいたり。多くの人が関わっています。

珍しい職種だと思うのですが、小さい頃からCGに興味があったのでしょうか?

いえ。子どもの頃は漫画家になりたいと思っていました。当時は「絵を描く仕事」として、漫画家しか知らなかったので……。

母親がイラストレーターだった影響もあるかもしれませんが、小さい頃から絵を描くことが好きでした。小学校の頃は運動があまり得意じゃなかったので、休み時間はずっと絵を描いていましたね。

でも、美術の授業は嫌いでした。美術の授業って「この枠の中に綺麗に色を塗りなさい」って感じで、あんまり自由じゃないなと感じていて……。もっと自由に描きたいという気持ちが強かったんです。

 

CGでなら世界一になれると思った

田島光二さん

どんなキッカケでCGの世界に進むことに?

高校2年生の頃、周りのみんなが進路を決めはじめました。そのときに僕も、自分はなにをしようかと考えたんですが、やっぱり絵を描くしか自分にできることがなかったんです。

ただ、「絵を描く仕事に就こう」とは思ったものの、どんなジャンルに進めばいいかは迷っていました。兄がグラフィックデザインの専門学校に通っていたのでよく課題を見せてもらっていたんですが、僕はそれにはあまり興味が湧かなくて。

もっと “自由なもの” がいいなと思っていたときに、絵の関連の学校が集まる専門学校の説明会があったんです。

そこでCGに出会った、と。

そうですね。でも僕、その説明会に結構遅刻しちゃったんですよ(笑)
そのせいで自分が受けたかった専門学校の時間はもう終わっていたのですが、たまたま近くで暇そうにしていた人にちょっと話を聞いてみようかなと思って声をかけてみました。

その学校にはCGだけじゃなくて50個くらいの科目があったんですが、そのときにたまたま聞いたのがCGの話でした。そしたらその専門学校を出て、ハリウッドで『スパイダーマン』を作ってる人がいるって言うんですよ。それを聞いて、「2年間勉強すればハリウッドで働けるんだ!?」って信じ込んじゃったんです。「それなら俺もハリウッド行けるんじゃないか」って。

視界がパーッと一気に開けた気がしましたね。グラフィックデザインの仕事を見たり、イラストレーターの仕事を見たりしたときには、本当に自分はこれを死ぬまでやっていけるのか? と、どうしてもピンとこなかったんですが、「3DCG」っていう分野を聞いた途端「すごい楽しそう!」って思ったんです。

理由は全然明確じゃないんですが、でも「かっこいい!」「これだ!」って思えたんです。それに、たとえば絵画だったらもう何千年っていう歴史があるじゃないですか。でもCG分野は、まだ歴史が浅いんです。100年もないくらい。「この分野なら世界一になれるんじゃないか」って思ったんですよね。

「世界一」とは、目標が壮大ですね……!

「世界一」って響きはかっこいいし(笑)、それにあまり現実味がないところがちょうど良かったんです。そんな目標なら “終わり” がない。だからいつまでも目指し続けられるなと思いました。

そのため、学生の頃は3つの目標を立てました。まず一つは、もちろん世界一になること。そのもう少し近い目標として「ハリウッド作品に携わる」ということを、さらにもう一つ手前に「ハリウッド作品に携わるにはどうするか」みたいな小さい目標を置いていました。たとえば「学校の課題を頑張る」とか。

大きな目標だけでなく具体的な目標も設定していたんですね。

そうですね。だって、課題ですごいものを作れたらハリウッドに行けるかもしれないじゃないですか。課題を、偶然ハリウッドから来てる人に見せる機会だってあるかもしれない。身近なものも全部が「世界一」につながっていると考えて、だからいつでも「ハリウッドクオリティ」のものを作るように心がけていました。

世界一になるという大きな目標があるからこそ、僕の場合は前に進みやすかったんです。

 

選択肢は二つ。ハリウッド作品に携わるアーティストになるか、一生近所のスーパーで働くか

田島光二さん

専門学校へ入学を決めるときは、どんな心境でしたか?

学費をボンボン出してくれるような家庭じゃなかったので、絶対にCGで成功するという覚悟を持って入学しました。父ちゃんは「本当に大丈夫なのか? 3DCGで食っていけんのか? 卒業した後の就職先はあるのか?」と結構心配してくれましたね。やっぱりCGという仕事がまだそんなにメジャーじゃなかったので、心配するのもわかるなあと。

だから、「就職できなかったら近所のスーパーで一生働くから」って宣言したんです。

えっ! 近所のスーパー!?

内心ではCGでちゃんと就職できる自信があったんですが、言ったときは本当にそのつもりでした。もしハリウッドに行くような仕事に就職できなかったら、一生スーパーで働くぞって。

ハリウッドに行くか、一生スーパーで働くか。僕の中ではその二択でした。そういう危機感もあって、実際に学校に入ってからはかなり勉強しましたね。

すごい二択ですね……。しかもCGの中でも “自分の好きな分野” で就職するという意味ですよね。

そうですね。日本では車や携帯電話などの工業製品のCGを作る仕事の方が需要が高いんですが、僕は “自由なもの” が作りたかった。だから、オオカミ男とかゾンビとか、自分が好きなものばかり作っていましたね(笑)

でも、そういうものばかり作ってると、学校で止められるんですよ。やっぱり、就職にあんまり有利じゃないんです。そういうクリーチャー(※)は、業界でもトップの数人だけが作っている門が狭い世界なので……。

スーパーで一生働かなきゃいけない危機感から、就職に有利な勉強をしようという気持ちにはなりませんでしたか?

たしかに狭き門ですが、だからといって就職に有利なものだけを作ろうとは思いませんでした。だって、ハリウッドではオオカミ男とかゾンビっていう仕事がありますし……。本当にそこしか見てなかったんです。

学生の段階でハリウッドと同じクオリティのものが作れたら、間違いなくハリウッドで働ける。じゃあそこを目指そう! という感じです。本当にハリウッド or スーパーでしたね(笑)

 

「なんか違うな」と思ったら、それは自分の力量が足りないとき

田島光二さん

学生時代はどのように勉強してきましたか?

毎回予習・復習をしていたこともあって、入学してすぐに学校の授業では物足りなくなってしまいました。だから毎日居残りをして、最後の最後、先生に帰れって言われる時間まで自分で勉強していましたね。

パソコンとソフトを買って、家に帰った後も休みの日もずーっと勉強していました。とにかく楽しかったんです。

やりたくないときや、今日は休もうという日は?

なかったですね。就職できなかったらヤバイっていう危機感もありましたし、とにかくハリウッドに行きたかったんです。それになにより、3DCGは1〜2年じゃ全然勉強しきれないものなので、毎日ずっと勉強していても次々と新しい学びがあるんです。だから飽きずに毎日取り組むことができました。

いざCGの分野に進んでみたら、「なんか思っていたのと違った」という部分はなかったのでしょうか?

一回もなかったです。作品を見て「あれ?」と思うときはありましたが、それは自分の力量が足りないだけなんですよね。思うように作れないから「なんか違う」と感じる。だから、もっともっと頑張ればいいだけだって思っていました。

 

勉強をはじめて2年で、ルーカスフィルムから連絡がきた

学生時代に制作した作品
学生時代に制作した『Werewolf』(左)と『Demon』(右)

どのような経緯で、海外で働くことになったのでしょうか?

学生の頃は、作品投稿サイトに自分の作品をよく載せていたんです。そしたら大学2年生のときに、僕の作品がたまたま「今注目の作品」みたいに取り上げられたことがあって。それを見てくれたルーカスフィルム(『スターウォーズ』で有名なジョージ・ルーカスが設立した映像制作会社)のアーティストの方から「よかったら、一緒に働かないか」って直接メールが来たんですよ。

ただ、実は僕は当時、英語が全くできなくて……。「まずは、面接しよう」って言われたんですが、僕の話せる英語って「ハロー」ぐらいだったんです。辞書を引きながらなんとか英語で「メールで面接をしてくれ」と返信したんですが、「それはできない。それならまた今度」と言われてしまいました。

「あとちょっとでジョージ・ルーカスと一緒に働けたのに、英語ができないっていうだけでチャンスをつぶしてしまった」と思うと、本当に悔しかったです。それで、その日からすぐに英語の勉強をはじめました。

その日から! チャンスを逃してしまった……と落ち込むこともなく?

それよりも、もうとにかく「英語やらなきゃ!」と思ってすぐに家にあった英語の教科書を引っ張り出しましたね。作品はもう認めてもらえるとわかったので、あとは英語だけだ! と、その後は作品づくりよりも英語の勉強に必死になりました。

お金はかけられなかったので、インターネットで無料のサービスを見つけて勉強していましたね。海外の人に文章を添削してもらえるサービスを使ったり、チャットで連絡を取り合ったり。それを毎日繰り返していました。

おかげで英語の勉強にかかったお金は、インターネット代だけです(笑)
友達から単語帳をもらって通学中も毎日かかさず開くようにしていましたね。

その後、英語力は上がりましたか?

順調にではなかったですね。英語の勉強をはじめて数ヶ月たったときに、僕に連絡をくれたルーカスフィルムのアーティストさんが日本のセミナーに来たんです。ずっと勉強してきたので話しかけに行こうと思っていたんですが、緊張のせいで「ハロー」も「エクスキューズミー」も言えませんでした。

本当に情けなかったですね。その日から英語とCGの勉強をさらに励むようになりました。

幾度となく挫折があっても、勉強はやめなかったんですね。

もちろんです。その後数年がたって、あるコンテストで受賞してカナダの祭典に招待されました。そうしたら、なんとそこにあのルーカスフィルムのアーティストの方がいたんです。最初に「面接をしないか」ってメールをくれて、その後も僕が話しかけられなかったあの人です。

心臓が飛び出しそうでしたが、おそるおそる近づき「エクスキューズミー」と声をかけました。そうしたら、「君か! 覚えてるよ。英語も作品も上手になったね」と言ってもらえて。もう嬉しくて、泣きそうでしたね。

頑張ってよかったって、素直に思いました。その後に縁があって手にしたのが今の職で、今ではシンガポールに勤務しています。おかげで英語はだいぶ上達しましたね。

しかも、数年前あれだけ震えながら声をかけたルーカスフィルムのアーティストの方が今の職場に合流する機会があり、一緒に働くこともできました。あのときの悔しい経験がなければ、今の自分はないと思っています。とは言っても、まだまだ自分の力が足りないのはわかっているので、今も勉強は続けています。

 

「努力」にテクニックはない

「努力」にテクニックはない
『Disaster』

もともとの夢だった「ハリウッドに携わる」ことを実現されていますが、今のモチベーションはどこから湧いてくるんですか?

夢だったハリウッド作品の制作に携われるようにはなりましたけど、まだまだ世界のアーティストと戦わなきゃいけないと思っているので、モチベーションが下がることはないですね。3DCGは本当に奥が深いので。

あとはやっぱり、周囲からの評価が良いときや手応えがあったときはモチベーションが上がりますね。

それでも、作っているときには「かっこいいの作れたなー」と自分で思っても、ある一定の期間が経ってからそれを見直すと「あー、やっぱダセェなぁ」って思うことがたくさんあります。本当に、その繰り返しですね。

クリエイターとしてユニークなものを作り続けるために、やっていることはありますか?

いろんな刺激に触れるようにしています。動物園や水族館、植物園に行ったり。
僕は結構影響を受けやすいので、『ウルフマン』という映画を見たときはずーっとオオカミ男ばっかり作っていました。すぐ好きになっちゃうんですよね(笑)

自分の作ったものが見た映画に似すぎていて「これはダメだ」ってなるときもありますが、そこから何度も何度も描いていれば、そのうちに自分が以前に見たものと組み合わさったりして、どんどん自分らしい作品に変わっていくんです。なので、恐れずにいろんなものを見て、とにかく空いた時間は作品を作るようにしていますね。

田島さんのように努力をし続けるための秘訣はありますか?

うーん。テクニックはないですね。僕の場合は、ただひたすらにCGが好きなんです。

唯一あるとすれば、後戻りできない状況に自分を追い込むことでしょうか。たまに「どうやったら、そんな風に好きなことを仕事にできますか?」と聞かれることがあるんですが、その方たちを見ていて思うのは、圧倒的に時間が足りないんじゃないかと。

時間、というと?

夢を叶えたいのであれば、とにかくその “好きなもの” に打ち込んで欲しいんです。
僕が今こうやって好きなことを仕事にできているのは、CGに費やした時間が誰よりも多かったからだと思います。だから本当に好きなことを仕事にしたいなら、もっともっと時間を費やしてもいいんじゃないかなと思いますね。

 

多くの人の感情を揺さぶる「世界一」になりたい

田島光二さん

これからはどんな作品を作っていきたいですか?

説明されて「へえ、すごいんだね」となるものじゃなくて、説明が必要ないくらいの、見てわっと驚くくらいのものを作りたいですね。「かっこいい」だけじゃなくても、「気持ち悪い」とか「こわい」とか、なにかしら人の感情を揺さぶられるようなものを作っていきたいです。

今後の具体的な夢があれば、教えてください。

もっと有名なタイトルのメインキャラをどんどん手がけていきたいですね。それに、もっと名前も売りたいです。僕はもうすぐ25歳になるんですが、死ぬまでには “世界中の誰もが知っている人” になりたい。

だからやっぱり、「世界一」ですね(笑)
どうなったら世界一だっていう定義はないんですが、それでも宮崎駿さんやディズニー映画なんかは “世界一感” がありますよね。そういうものを作れるようになりたいです。

もっと歳をとってからでいいので、映画も撮りたい。とにかくCGの世界は果てしないから、わくわくします。終わりがないから、いつも頑張れるんです。