DMM英会話ブログ編集部
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会社員から、フリーライターへと転身し、英語力を武器に映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修や海外のIT起業家へのインタビューを行う三橋さん。フリーライターとして仕事を得ていく方法や文章力アップのコツ、また英語が身につく環境を作る方法などについて伺いました。
フリーランスとして活動を始めた頃、会社員時代から繋がりのあったIT起業家さんから「字幕監修しませんか?」とお話を頂いたのがキッカケです。
その方はFacebookのマーク・ザッカーバーグと同じく、ご自身もIT企業の創業者で開発者でもある方で、この映画の字幕監修者としては適任でした。ただ、ビジネスや開発の側面だけでなく、大学生の会話やノリまでよりリアルに翻訳するために、私に「一緒にやらない?」と声を掛けてくださったんです。
映画そのものがIT業界やITサービスを主題としていたので、プロのエンジニアさんが観ても「ある、ある」と思われて、かつ業界の外の人でも理解ができるようにと、バランスを大切にしました。
一番最初は、日本で配給を手がけたソニー・ピクチャーズさんの一室で映画を観賞しました。最初はただ楽しく観させていただいて。2回目には、翻訳者さんの字幕を見ながら、「ここの表現はこっちの方が良いんじゃないか?」と思う部分を1つ1つ細かく確認していく感じです。そのフィードバックが反映された映画をまた観ることを繰り返して、少しずつ最終形にしていきました。
すごく楽しかったので、大変だったという記憶はないかな。良かったのは、「これ、ゆか里がやったの?」って親に自分の仕事を見せられたこと。映画のエンドロールの一番最後に、三橋ゆか里と名前が出たので。フリーランスのITライターという仕事って、言葉で伝えようとしても難しかったりするんです。
小学6年生の頃、父親のニューヨーク転勤によって家族みんなでアメリカへ引っ越したことがキッカケです。全く英語が話せない状態で現地の学校に入り、高校を卒業するまで暮らしていました。トータルで7年間、アメリカに滞在しましたね。
そうですね。最初は先生が話している内容も全くわかりませんでした。何度も聞き直したり、ジェスチャーで言いたいことを伝えたりしていたかな。
すごくラッキーだったのは、たまたま同じ学年に日本人が一人もいなかったこと。だから、いい意味で逃げ場がなくて、英語と向き合うしかなかった。理解してもらえないもどかしさとかはありましたけど、おかげで英語は自然と身に付いた感じです。
まだ子供だったので早かったと思います。1年か、もっと短かったかもしれません。
海外へ行くタイミングも良かったのかもしれませんね。もうちょっと遅かったら、こんなに早く身に付かなかったかもしれない。
私が通っていた高校は慶応義塾ニューヨーク学院というところで、生徒のほとんどがバイリンガルの日本人でした。いずれ日本に帰ることがある程度前提になっていたので、入学した頃から自然と、卒業後は日本に帰るものだと思っていましたね。
今振り返ってみればもっと違う選択ができたかもしれませんが、そうしていたらきっと今の自分はいないので、帰国して良かったかな。
アメリカで暮らしていた頃に比べると、英語を使う頻度は圧倒的に減りました。だから、少しでも英語に触れているために、家では映画や海外ドラマをBGMみたいに流していました。
耳を慣らした状態にするというか、聞き流している程度で、意識して「英語の勉強をする!」という感じではありませんでしたが。
社会人になってからは、仕事で海外にいるエンジニアさんとやりとりするなどして、英語に関わる場へ意識的に身を置いていました。高校からの友人とは英語で話すことも多いですし。なので、日本にいても英語環境が無くなるということはなかったですね。
雑誌のオンライン書店を運営する会社に入社しました。昔から書くのが好きだったので出版社に行きたかったんですが、数も多く受けなかったし、就活が全部ダメで。結局、雑誌を扱っていて入り口としていいかなと思った雑誌のEコマースの会社に入社しました。
そこでは人数も少ないし、営業からカスタマーサポート、プロジェクトマネージャーまで一通りの仕事をやらせてもらって。毎日出社するのがすごく楽しかったですね。Eコマースの運営って、書く仕事とあまり縁は無いのですが、メールマガジンの発行のように文章を書く仕事を見つけては、自分から「やりたいです!」って手を挙げてやらせてもらっていましたね。
毎日出社するのがすごく楽しみで、週末はいつも「早く月曜日になれ〜」って思っていたほどです(笑)
Eコマースは、当然「いかに買ってもらうか」を常に考えているのですが、商品購買のコンバージョンって、カートボタンの位置とか、商品写真のサイズなど細かい要素が影響するんですよね。開発やデザインの案件にも関わるうちに、今度はそんなデザインの分野に興味が湧いてきて……。その後、UIコンサルティングの会社と、Web制作の2社に転職しました。
ただ、転職先の会社は前職のオンラインショップとは違って、組織として出来上がった会社でした。「チームみんなで頑張って乗り越えるぞ!」というようなベンチャー感が無い中、プロジェクトをいくつも掛け持ちして、終電近くまで働く毎日が続きました。徐々に会社員として働くことに違和感を覚えるようになって。それで、自分の時間も作れる派遣社員になってみたんですが、結局9時〜5時まで働くライフスタイルは変わらない。
それで、何となく「フリーになろうと思うんです」って、その時の上司に相談しました。全く計画性はありませんでしたね。
その時にやっていた翻訳の仕事を、上司がそのまま外注するよと任せてくれて。なので、最初は翻訳の仕事が多かったですね。BtoBサービスの説明資料とか、業界のホワイトペーパーなんかを翻訳していました。ただ、自分の言葉で伝えたい、自分で人に会って取材したいと思うようになって、翻訳の仕事は徐々に減らしていきました。
当時は時間に余裕があったので、Twitterをよくやっていたんです。すると周りの人が私の発信する情報を気に入ってくれて、「Twitterだと埋もれちゃうからもったいない。ブログやりなよ」って言ってくれて。海外のテクノロジーを発信するブログ「TechDoll.jp」を始めました。
そんな発信を続けていたら、ITやマーケティング系のメディアの方から「こんなテーマで特集するんですけど、何ページが書いてもらえませんか?」というご依頼を頂けるようになりました。自分で発信しているうちに、自然とライターになったという感じですね。
『Japan Times』や『THE BRIDGE』というIT系のメディアで英語の記事も書いていたので、私の記事を読んで声を掛けてくれる人がいるんです。他にも知り合いが知り合いを紹介してくるような形で、世界中から人や情報が集まって来る感じですね。
海外のスタートアップ企業から「日本市場に参入したいから、インタビューしてくれないか」という連絡をもらったり、マーケティングそのものを手伝ってほしいという依頼があったり。
サービスやチームの内容で取材するかを判断して、取材する時は、相手が来日するタイミングを狙ったり Skype を使ったりして、必ず直接話して取材するようにしていますね。
一過性のPV数はあまり求めていなくて、はてなブックマークやPocketに登録してもらえるような、繰り返し戻ってきて読んでもらえるような記事にすることを大切にしています。
今は日本にもスタートアップがたくさんありますが、私はITサービスの作り手の方に役立つ記事を書きたい、という思いがすごくあります。昔、自分が作る側にいたので、その楽しさも大変さもわかるというか。
例えば、クックパッドという会社は、ユーザーのことをすごく見ていて、ユーザーのためのサービスづくりをしています。そんな彼らのモノづくりやチームづくり、課題を解決した方法などを共有すれば、きっと多くの人のためになる。メディアを介して、そんな形でサービスの作り手の皆さんのヒントになるものを書きたいなと思っています。
私は仕事を選ぶときに、「その経験を通して自分がスキルアップできるか」という点を基準にしています。ライターの場合だと、「書いたものに対して赤を入れてもらえるか」や「新しいチャレンジのある取材や執筆か」という感じですね。
フリーランスなので、その道の先輩などに普段から間違いや改善点を指摘してもらえるわけではありません。その分、そういう方とご一緒できる仕事を選んで、学ぶ機会を増やすようにしています。
英語に関しては、私自身は留学したことが大きかったですが、話す機会や聞く機会を意識的に増やすことは大事だと思います。そしてそれを習慣にすること。通勤時間は英語のアプリを必ず立ち上げるとか、週末の30分はオンライン英会話レッスンを入れるとか。
よく、日本に来ている外国人に英語で話しかけられて、「英語が下手でごめんね」って謝っている人も見かけたりするんですが、そんな必要は全くなくて。そもそも、NYなんか世界中の人種が集まっているので、自流の英語が飛び交っています。最終的に伝わればいいので、自信がなくても、文法や発音が正しくなくても、どんどん使ってみることですね。最初は勇気が必要でも、繰り返すうちに慣れるはずです。