DMM英会話ブログ編集部
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近年、急速な経済成長を遂げているフィリピン。人口は1億人を越え、国民の平均年齢は25歳と若く、今後も高い経済成長が期待されることから「アジアの希望の星」として注目を集めています。
また、英語が公用語なこともあり、語学学校が数多く運営されています。物価が安く、日本から飛行機で5時間程度とアクセスが良く、南国らしい自然を満喫できるので日本人にも人気の留学先です。
しかしその一方で、数多くの貧困地域が存在し、ストリートチルドレンの数は世界でもトップクラスに多いと言われています。また、治安が悪いというイメージを持つ人も多いようです。
フィリピンの経済成長は目覚ましく、フィリピン国家統計局の発表によると2016年のGDPは前年比6.8%と大きな成長を遂げています。
かつては「アジアの病人」とまで言われ、1990年代はASEAN主要国の中で最下位の経済成長率だったフィリピンですが、2010年以降の成長は劇的です。
(参考)外務省 フィリピン基礎データ
しかしそんな経済成長の一方で、いまだ国民の半分以上が貧困状態にあるとも言われています。貧富の差も激しく、フィリピンでは一握りの富裕層と貧困層の生活には大きな開きがあります。「総中流意識」と言われることもある日本とは、大きく異なる社会構造です。
では、その貧困世帯の人々はどのように生活しているのでしょうか。まずは、フィリピンのスラム街での生活を余儀なくされたスクオッター、ストリートチルドレンについて解説します。
フィリピンの貧困地域を象徴しているのが“スクオッター”の存在です。スクオッターとは、私的所有権を持たない土地に、バラック小屋などを建て住んでいる人々やその地域のこと。都市部の道路や線路の脇など、または都市から数キロ離れた郊外エリアに多く見られ、マニア首都圏では住人の30%以上がスクオッターと言われています。
大雨が降ったら浸水するような不安定な環境にある住居ですが、隣近所の結びつきは強く、自然とエリアごとに個性のあるコミュニティのような共同体になっています。あらゆる日用品を貸し借りし、時には食事を分け合う絆があり、大雨などで路上が浸水した時は、近所同士で助け合って乗り切ります。
家の前の中央分離帯を畑代わりに利用したり、盗電ではあるけれど家に電気を引いたり、自分達で排水路を作ったりと、様々な創意工夫をして生活しています。
ストリートチルドレンの多くは孤児というわけではなく、スクオッターなどで家族と同居し、家族の生活を支えるために路上に出ています。ですが中には家族からDVを受けており、暴力から逃れてストリートチルドレンになったり、捨て子だったりするケースもあるようです。
家族とのつながりのないストリートチルドレンの生活は最も過酷で、彼らは物乞いや路上での物売り、売春などで生きるためのぎりぎりの糧を得ています。空腹を満たすためにシンナーを吸引している子どもや、ギャングの一員となり犯罪に手を染めてしまう子どもたちも多いです。
フィリピンは世界で最もストリートチルドレンの数が多いと言われており、マニラには3万人ものストリートチルドレンがいるという報告があります。首都マニラ以外にも、セブ島などの外国人観光客の多い場所にストリートチルドレンは多く存在しています。
どうしてフィリピンにはスクオッターやストリートチルドレンが多いのでしょうか。歴史や社会構造など多くの要因が複雑に絡み合っていますが、大きな原因としては1970年後半~1980年半ばにかけて起きた経済危機があります。
経済危機の打撃を大きく受けたのがフィリピンの農村部でした。かつてスペインの植民地だったフィリピンは、統治時代のプランテーション農業に基づく地主と小作人の関係が今でも続いています。多くの小作人が厳しい経済状況の中働いており、一日1ドル以下の生活を余儀なくされています。経済危機は、彼らの暮らしをさらに過酷なものにしました。
そこで多くの農村部の小作人たちは貧困から逃れるため、農村部を出て都市部へ移住しました。しかし都市部にも仕事はなく、あったとしても建設現場での肉体労働や行商などの不安定で低賃金な仕事でした。こうして低賃金労働を余儀なくされた人々は、スクオッターで暮らし、ますますスラム街が拡大します。
また、フィリピンは出生率が高く低所得層でも大家族です。ユニセフの世界子供白書2016によると、フィリピンの一人当たりの出生率は2.9人。出生率が高い一方で、それに見合うだけの仕事がない状況が貧困に拍車をかけています。
高い出生率の要因として挙げられるのが彼らの信仰です。フィリピンは80%以上の人々がカトリックを信仰しています。カトリックでは、離婚、避妊、人工中絶を禁じているので、出生率の増加につながっています。また、子だくさん=幸せという価値観も強く存在しているようです。
フィリピンでは高校までが義務教育です。しかし、経済的に余裕のない貧困世帯の子どもは、家計を助けるために働き手となるケースも多いようです。また、学校に通うことができても、文房具や制服など勉強に必要なものを揃えるだけの経済的余裕がない家庭も多く存在します。
そうして学ぶことができなかった子どもたちは、学歴もなく、文字を読んだり書いたりする学力もないため、安定した仕事に就くことができません。
このように、貧困家庭に生まれ教育の機会を受けられなかった子どもたちは、貧困の連鎖から逃れることができず、貧富の差が縮まることがなく平行線のようです。
治安が悪く危険地帯のようなイメージが強いスラム街、実際不用意に近づくべきではない場所ですが、そこで暮らす人々にとっては当たり前の日常があります。
フィリピンの人たちは、目が合うとにっこりと微笑み、“フィリピーノ・ホスピタリティ”という言葉に象徴されるように、陽気で親しみやすい性格。その精神は貧困であっても決して損なわれていないように思われます。また、強い仲間意識と相互扶助の精神を持ち、貧しくても食事を分け合ったり、困ったときは助け合ったりして力強く生活しています。
スラム街であっても笑顔で遊んでいる子どもや、歌を歌いながら仕事をする人々の姿を見ると、決してスラム街=悲惨というイメージだけで語れるものではありません。
とはいえ、やはり犯罪やドラッグ、不健康な生活による病気などが蔓延するスラム街が抱える問題の根は深いようです。スラム街=悲惨ではなくても、よりよい教育の機会、安定した環境にある住居はだれもが求めるものでしょう。
2016年6月に、フィリピンの第6代大統領に就任したドゥテルテ氏の政策は、麻薬犯罪に対する厳しい取り締まりなど強権的とも言われている一方で、フィリピンの経済格差是正や経済成長に大きな期待が寄せられています。いずれにせよ、スラム街や貧富の激しい差に象徴されるようなフィリピンの構造的な問題が、少しでも解決の方向に進むことが望まれていることは間違いないでしょう。