SHIORI
(更新)
私は現在、アメリカのマサチューセッツ州にある、ボストンという市に住んでいます。
フロリダ州のオーランドにも住んだことがありますが、やはり州によって受ける印象や出会うタイプの人々がだいぶ異なってきて、面白い発見が多いです。
ボストンは、アメリカでもっとも古い歴史を持つ街のひとつ。イギリスの植民地であったことから、イギリスを思わせるような建物が立ち並んでおり、とても美しい街並みに心を躍らせる人も少なくありません。
また、ボストニアン(ボストンに住む人)のアクセントもイギリス英語に少しだけ似ていて、r の音を強調させないのが特徴です。
そしてボストンには寒いイメージがあります。
その印象通りボストンの冬はとても寒く、長くて、5月ごろまで雪が降ることもありますよ!
今回は、私がアメリカ移住をすることになった理由と、そんな街に私が住んでみて気がついた日本とアメリカの違いをシェアしてみたいと思います。
私が「アメリカに行きたい」とはじめて思ったのは、高校1年生のときです。
正直、何がきっかけだったのかは覚えていないのですが、英語を話せるようになっていろいろな人とコミュニケーションをとり、とにかく自分の視野を広げたいと思っていました。高校生で年頃でもありましたから、日本で限られた文化だけに縛られるのが嫌だったのでしょう。
もちろん日本で英語を学ぶこともできたかもしれません。しかし私は自分で自分自身をよくわかっていました。「追い詰められないと上達しない」と、そう思った私は速攻でアメリカ留学をすることに決めました。
親の反対もあり、留学費の半分以上はバイトをして溜めました。学校も自分で選び、お金がかからないようにほとんどの手続きも自分でしました。そうやって親を説得して、今があります。
はじめは、2年間だけの留学という約束でアメリカに飛んだのですが、アメリカに住んでみると環境が自分に合っていて、もっとアメリカに居たいと思うようになりました。
そこで親にもう一度頼み込んでもう1年半大学に通うことを決めたのです。ところが大学卒業後にOPTというアメリカで1年働けるプログラムに申請して仕事を見つけたことで、もう1年アメリカにいることに。
そうこうしているうちに、当時付き合っていたアメリカ人の彼氏と婚約、結婚をし、現在もアメリカに住んでいます。
私がアメリカに来てまず思ったことは、「自由の限度が違う」ことでした。
アメリカは自由を象徴する国ということは知っていたのですが、人々の行動があまりにも自由すぎて、はじめは少し戸惑うこともありました。
たとえば、歩道にお店から持ってきたであろう大きなショッピングカートを引いて歩いている人、電車のなかや道でスピーカーを持って大音量の音楽を流している人、電車のなかでダンスなどのパフォーマンスをしている人達がいたりと、日本では見かけないような光景をよく目にします。
また、電車やバスのなかで靴を履いたまま足を座席に乗せたり、足をテーブルの上に置いたり、授業中/仕事中/会議中に自由に飲食をしたり、接客中にガムを噛んでいる人がいたりと、日本では少しマナー違反に引っかかりそうなことでも当たり前のようにしていて、少しびっくりしました。
人々の行動や発言の自由っぷりは想像を超えるものも多く、アメリカ在住9年目に突入する私でも、いまだに驚くことがたくさんあります。しかし、自由に自分を表現できる環境があることは素晴らしいことだなと思います。
テレビやラジオ、Podcast(*1)、また、アメリカ人と話しているなかで彼らの使う表現に注目をしてみると、ネガティブな表現よりもポジティブな表現をたくさん使っていることに気がつくことがあります。
たとえば、英語には deferred success という言葉があります。defer は「延期」という意味で、success は「成功」を表す言葉です。これは「失敗」の代わりに使われる表現です。
日本では負けを認めることも大切で、ネガティブなことをポジティブに捉えることを「負け犬の遠吠え」と表現をすることがありますよね? 悔しさから成長をする日本人と違い、アメリカ人の多くは敗北や失敗を経験するとやる気を損ねやすく、負けを認めることが大の苦手です。
そのため、都合のいいように結果を受け止めがちです。何でも褒めて成長させる教育方法が深く関係しているのかもしれませんね。
ポジティブ思考であることはストレスも溜まりにくく、とても良いことだと私は思っています。
ですが、ポジティブ思考が、ただのわがままな領域に達する人も多いのが事実です。人に罪をなすりつけたり、都合のいいような考えばかりを押しつけられることも多いので、少しストレスに感じてしまう瞬間も多々あります。
*1…Podcastとは、「iPod」と「Broadcast」を組み合わせた言葉で、音声や動画データをネット上にアップしたインターネットラジオのようなものです。
私がネイティブスピーカーと話をしていて気がついたことは、彼らはあまり相槌をしないということです。
最初のうちは、あまりにも相槌がないため、「ねえ、聞いてる?」と何度も尋ねてしまったことがあります。そうしたら「ちゃんと聞いてるって!」と相手をイラつかせてしまいました。
私は仕事上、電話で対応をすることも多いのですが、相手の話を相槌をうたずに黙って聞いていても、勝手にどこまでも話が続きます。
逆に相槌をうちすぎると、話を聞かずに適当に返しているのではないかと思われてしまったり、相手の話を妨げてイラつかせてしまったりするみたいです。
「起訴大国」で有名なアメリカ。
実際に友達と話していて、「そんなことで裁判所行くの?」や「そんなことで訴えるの?」ということが多くて驚いたことがあります。
そして長くアメリカに住んでいくなかで、たくさんの訴訟問題を耳にしたり、実際に裁判所で働いてみてたくさんのケースを見てきたりと、実際に「起訴大国」と呼ばれるだけあるなと実感する機会が多々ありました。
特に身近な裁判は、車のスピード違反のチケットなどの訴えで、裁判に勝つことで罰金を支払わなくて良くなります。
実際にあった興味深い裁判の例としては以下のようなものがあります。
日本人からすると「それは自分の責任では?」という内容のものが多いです。しかし実際に上記のような訴えをして何億ドルも勝つケースも多く、そこにも仰天してしまいます。
法に守られすぎている国であるとともに、裁判に負けた場合のリスクが低かったり、企業が裁判を避けて賠償金で済ませることが多いことから、アメリカでは訴えたもの勝ちという部分があるのが事実です。
アメリカは、どんな理不尽なことでも裁判に勝つ可能性が大いにあるくらい法で守られています。しかし守られすぎて、ときにはそれが毒になってしまうこともあります。
たとえば、「脅迫を受けて身の危険を感じたために証拠をおさえようと動画撮影をしたら、その州では許可なしに動画を撮ってはいけないという法律があった」など、守りに入ったつもりが、逆に犯罪を犯していたということも少なくありません。ケースによってはとても理不尽です。
しかしちょっとしたことで何億ドルも貰えたとしたら、それはやっぱりラッキーですよね?
アメリカはお金を持っていると非常に住みやすいですが、お金を持っていないと住みづらいという背景があります。そのためか、お金になるのならちょっと姑息なことであっても何でもするという人が多い印象があります。
アメリカの大学に通って驚いたことは、大学の生徒の年齢層がすごく幅広いということ。
授業によっては、同い年の生徒よりも、私より年上の人が多いこともあり、子育てや仕事をしながら授業を受けているという人も少なくありません。おじいちゃんやおばあちゃんのクラスメイトもいました。
そんな人達を見て、何かを始めるのに遅いということはないのだなと、改めて気付かされました。
やはりアメリカに来て最初に驚いたことといえば、すべてのサイズ感です。
家などの建物の大きさから、スーパーのカートや食材、レストランでのひとつのメニューの量や人々が持っている水筒やペットボトルの大きさまで、サイズが日本のものと比べて何倍も大きくて、衝撃を受けました。
留学生活中、一度だけ日本に帰ったことがあるのですが、そのときに自分の家がこんなにも小さかったのかと、シルバニアハウスのなかにでもいるかのような感覚に襲われたことを覚えています。
今回は、移住して気がついたアメリカと日本の違いについてシェアさせていただきました。
生まれ育った環境が違うため、もちろんたくさんの価値観や生活の違いがあります。
話し出すとキリがないので、今回は、私がアメリカで生活していくなかで、特に印象的だったものを抜粋してみました。
もちろん、良いことばかりではありません。価値観の違いで苦労することや、ストレスになることもありますが、私はアメリカに来てよかったなと心から思っています。
いろいろ日本とは違うからこそ学ぶことも多く、アメリカに来て、人間として強く、そしてたくましく成長できたと思っています!