新井 リオ
(更新)
Q&ABCは、『英語日記BOY』著者の新井リオが、「英語・海外生活」にまつわるみなさんからの質問に答えていく連載です。
(質問はこちらからできます。)
第27回のテーマは「海外に住みながら感じる悲しさ」についてです。
リオさんは、空っぽになったことがありますか?
心の動きを取り戻すアイディアをお聞かせくださいませんでしょうか。
カナダに初めて住んだとき、ただ生きているだけで悲しい時期がありました。
午後になってもベッドでただ横になり、窓から差し込んでくる晴れた空の光が自分にかかり、それと反するように沈みきって動かなくなった体の重みを感じ、この世で自分が一番だめな人間だと本気で思い、もうおれは何をやっているんだろうと涙が出てきて、気づいたら一日が終わるような日々がありました。
朝、鏡で自分の顔を見ると過呼吸になってしまうようになり、なるべく顔をあげずに歯を磨きました。悲しみの井戸の底に手が触れたというか、生きながら死んでいるような感じでした。
で、なんかばかみたいなこと言いますけど、そんなある日に僕、牛乳を飲んだんです。そこで、え、牛乳ってこんなに甘い飲み物だったんだって生まれて初めて気づいた瞬間がありました。
小中9年間、給食で飲んでいた牛乳。自分のお小遣いで買っているわけでもないし、毎日当たり前のように出てくるから、飲み物としての有り難みとか、味がどうとか、そんなこと何も考えずにただ飲んでいました。
それが、久しぶりにカナダで買った日本の倍くらいのサイズの牛乳は、こんなに甘くて美味しい飲み物なんだって、がぶがぶ飲みました。
カナダの牛乳が美味しいという話ではなくて、もう僕、その頃、とにかくすべてが空っぽだったので、感覚が、今生まれたばかりの赤ちゃんみたいになっているところがあって、牛乳さえもが新鮮に感じたんだと思うんです。しかも白くて綺麗でしょ、牛乳。こんなに美しい飲み物だったんだと驚きました。
この、牛乳に感動した経験。これがね、なんか良かった。人生のリセットを感じました。
消耗している最中では、これには気づけなかった。でも、「もうこれ以上悲しむこともないのではないか」と思えるくらいの悲しみの底に到達し始めたとき、涙とともにこびりついた汚れが流れ落ちたというのかな。
今まであれだけ散乱していた心の箱が空っぽになり、その箱のなかに丁寧に物を入れ、再び自分の目で観察してあげることができるようになりました。
赤ちゃんってなんでも口に入れて、それが何なのかをちゃんと自分で確認するじゃないですか。その頃の物の認識の仕方が、戻ってきたような感覚です。
それ以来、僕はさまざまなものをこの箱のなかに入れて観察しました。綺麗な音楽はより美しく感じたし、優しい人の優しさが、より崇高に感じられました。そして、自分もこんなに綺麗なものを作ってみたいと思ったし、こんなに優しい人になりたいと考えるようになりました。
さんしたさん、何か作品づくりをしたことはありますか? 絵を描いたり、音楽を作ったり、文章を描いたり。なんでもいいんですが、表現をした経験があるか気になりました。
もしなかったら、やってみてほしいなあと思いました。
人に見せることを意識すると純度が薄まるので、まずは自分のためだけにやってほしいです。センシティブで空っぽになりつつある今の心の箱のなかに、海外を生きながら目に入ってくる景色や出来事を丁寧に入れて、それを見た自分が何を思うかを、好きな方法で記録してみてほしいんです。
もし楽器や絵をやったことがなければ、とりあえず文章がいいかなあ。生涯で自分しか見ることのできない、他の誰も触れない日記を書くようなイメージで、今日何をして、それに対して何を思ったかを、嘘なく丁寧に書いてみてほしいです。
これが意外と難しいんです。僕たちは今、人に見られることが前提になった文章を書くことに慣れすぎています。ついかっこつけちゃうんですね。弱音までも赤裸々に書くということに近いですが、そんなに簡単なものでもない。
例えば、「おれはなんてダメな人間なんだ…。」これすらかっこつけてますね。あわよくばこの日記を誰かに見てもらい、「そんなことないよ」という言葉をかけてくれるのを待っている雰囲気が文体から感じられます。
むしろ、こんなものが人に見られたら恥ずかしくてたまらないから、死ぬまで守りきらなければならないと思える内容。自分の心の声を聞く練習。訓練が必要だけど、でも、さんしたさん、きっと書ける人なんです、今なら。
というのも、いただいた質問文を初めて読んだとき、パワーがあってすごく良い文章だなと思いました。「この人の悲しさは本物なんだ」と文章自体が発してきたというか、本物の悲しさを感じた人にしか書けない文章だと思ったから、なんて答えれば良いかわからなかったけど、どうしても返答したくて選んだんです。
悩みを伝えてくださっているのに、文体からは光さえ感じました。空っぽになった今のさんしたさんが書く言葉は、率直でピュアで本物で、全部綺麗だと思う。いいなあ。
思うんですが、人生のどこかで自分に向き合いすぎて、頭がおかしくなるような経験をした人というのは魅力的なんです。
そして、そんなセンシティブな人が文章を書いたとき、絵を描いたとき、音楽を作ったとき、アイデアを考えたとき、通常では気づけない部分にまで目が行き届き、会ったことのない誰かさえもを感動させてしまうようなパワーが乗ったりします。
辛いときに聴くと元気が出る曲ってあるじゃないですか。
ああいうのって、狂うほどの悲しさを一度経験し、そこから乗り越えようとした経験がある人にしか作れない作品だと思うんです。そうでなければ、「悲しいってこんな感じかな」と想像で作った曲になってしまう。想像も大事だけど、本当にくぐり抜けてきた人にしか出せない威力ってあると信じているんです。
何かを表現する際、大抵の場合は、技法レベルの高さを披露するよりも、実際に体験したことを真摯に紡いだ方が爆発力が出ます。
例えば牛乳をテーマに文章を書いてくださいというお題があったとして、
「白蓮のように高潔かつ、均衡の取れた栄養素で構成されるこの液体は…」から始まる文章よりも、
「私はカナダで絶望し、牛乳の魅力を知ることになりました。…」で始まる文章の方が、なんか続きが気になりませんか。
後者の方が単調な文体ですが、でも、ここにはストーリーがある。自分が実際に体験したことを誠実に書く、これがオリジナリティなんだと思います。
そう考えると、その出来事が楽しかろうが辛かろうが、人生は、より多様で濃度の高い、感情が大きく揺さぶられる経験をなるべく多くできるかどうかに、一つの大きな意味があるような気がするんです。
僕は今、すべての辛かった経験を表現のフリにしたいんです。
長い人生のどこかで結局「表現」を通して回収できると信じているから、失敗の確率を多く含んだ挑戦に対しての怖さも、怖いのは怖いですが、まあ今は突き進んでみようかと思えたりします。
とはいえ、「だからみんなで辛い経験をしましょう」と言いたいわけでは本当にないんです。そこまでの苦しい経験なんて本来は無くていいと思います。
すぐ隣に無条件の愛で抱きしめてくれる人がいれば、そこまでの深みに堕ちる前にどうにかなるかもしれない。それは羨ましいくらいに素晴らしいことであります。
本当に悲しいときって、頭のいい人に解決策を教えてほしいのではなく、何も上手くいかないダサすぎる自分を、「それでも生きていていいんだよ」と無条件で愛してくれる人に、ただ抱きしめてほしいんだと思うんです。僕も本当はそのように生きてみたかった。
でも、海外に到着してすぐにそこまでの関係性をだれかと築き上げるのは難しいし、たとえ日本にいても、それが叶わないときがある。もうすでに悲しみの淵に追いやられ、どうしていいかわからなくなっている人に、「今すぐ抱きしめてくれる人がいないんですか? それはかわいそうですね」はあまりにも寂しい。
そこで、「表現」なのかもしれないと僕は思うんです。表現とは、今にも潰れそうなほど繊細な人を抱擁してあげる行為。そんな一面があります。
さっき「文章を書いてみて」と言いましたが、自分がアーティストにならなくてもいいんです。誰かの誠実な表現に触れるだけでも、だいぶ心が和らぎます。まずはそれがいいかなあ。
優しい本や音楽に数多く触れ、「自分と同じような性質を持った人間が時空を超えてどこかに存在しているんだ」ということを確認すると、すごく安心します。どんな方法でもいいから、今感じている孤独が、一人で抱えなくてもいいことを知ってほしいんです。
文中で、「人生は、より多様で濃度の高い、感情が大きく揺さぶられる経験をなるべく多くできるかどうかに、一つの大きな意味があるのではないか」と書きました。
この観点からすると、海外生活って最高ですね。ある意味、海外生活とは赤ちゃん状態の再来とさえ言えます。日本生まれの私たちからすると、起こるすべての出来事が極端で、毎日感情が大きく動きます。だからこそ、たまにはその極端さがネガティブな方向に行くときもあります。
そこだけ切り取るとたしかに辛いですが、その辛さは、くぐり抜ける価値のあるものだと僕は信じたいんです。もっと魅力的な自分になるための、トンネルのようなものであってほしい。今感じている悲しみを卑屈さに変換せず、いつか他人の悲しさを同じレベルで理解してあげるための、優しさにしてほしいと思うんです。
抽象的なアンサーばかりでごめんなさい。結局あまり上手くまとまらなかったです。でも、さんしたさんが悲しいことが悲しい人が、とりあえずここに一人いることを心の隅に留めておいてください。なにかあればまたご連絡ください。
質問も引き続きお待ちしています!
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てを書き尽くした新井リオの「自伝的学習本」です。