質問:海外で挑戦することは怖くないのですか?【新井リオの『Q&ABC』最終回】

qabc

約2年半続いた『Q&ABC』連載は、今回で最終回となります。

回を重ねるごとにより深い結びつきを感じるようになっていた読者の方との関係性を思うと、率直に、寂しい思いです。

ほとんどの方とは直接会ったことがないはずなのに、頂いた質問を読み、アンサーを書くたび、僕たちが同志であることを静かに感じ取ることができました。

同じ高校に通うクラスメイトだったら、みなさんとはきっと仲良くなっていたはずです。僕とみなさんはもちろんだし、読者のみなさん同士も、親友になったり、恋人になったりする人がいたかもしれないくらい、僕たちは同じ世界観を生きる同志だったのではないかと思うんです。

だって、普通に生きながら物理的に出会える人のなかに、ときに日本に生まれたことを後悔するほど「英語が話せるようになりたい」と願ったり、これまで培ってきたすべてを投げ捨ててでも「海外で挑戦したい」と思える人に出会うことって、ほとんどないのではないのでしょうか?

顔から汗を垂れ流してまで必死に頑張る姿をすべての人が「かっこいいね」と言ってくれるわけではなかったりします。一般的に良いとされている道から少しでも外れた瞬間、嘲笑の対象になる可能性もある社会です。

英語や海外に限らない質問もたくさんいただきました。「生涯をかけてやりたいと思えることを見つけてみたい」「不安ばかりだけど、どうしても今の状況を変えたい」という感情も、家族や友人に話すには恥ずかしくて、一人で抱え込んでいたかもしれません。

特にこの場所に集まってきてくださる人たちは、根本的に優しすぎて、自分の思いよりもその場の空気を乱さないことを優先してきた人が多かったのではないかと思います。

だからこそ、実は心の奥に、これほどまでに能動的な感情が存在したことに気づいてしまったとき、どうコントロールすればいいかがわからず、相談してくださったのだと思います。会ったことのない僕に、剥き出しの思いを見せていただきありがとうございました。信頼していただき嬉しかったです。

今回で最終回となることは寂しいですが、実は当初、5ヶ月限定ということで始まった連載だったんです。そう考えると、記事が愛され2年半も続くことになった事実は僕にとってあまりにも光栄な出来事でした。

最終回は、「海外で挑戦することの怖さ」について書きます。

【質問(Yukaさんより)】

リオさん、こんにちは!

毎回の投稿の内容が素晴らしく、いつも楽しみにしています。

新しいことに挑戦するときに、その挑戦が誰もしたことがないようなことだった場合、これで合っているのか自分に自信が持てず尻込みしてしまいます。

リオさんは新しく何かを始めるときに怖かったりしませんか?

どのようにお考えか教えてもらいたいです。

「ワクワク」と「怖さ」は同じ成分でできている

「ワクワク」と「怖さ」は同じ成分でできている

この文章を書いている3日前にロンドンに到着しました。今から全く新しい生活が始まります。

欧米に舞台を移し、アーティストとしての活動のなかで叶えてみたいことがあるんです。

きっと冷静な感覚を持った人が聞けば呆れてしまうような、道のりの長すぎる個人的な目標なので、もう少し実現への足がかりができてから、どこかでちゃんと書こうと思います。

捉え方によっては、これがYukaさんの言う「誰もしたことがないような新しい挑戦」になるのかもしれません。

ここに怖さはあるか? ということですが、全然怖いです。

友人に話すときは、相手を心配させるのもあれですし楽しみな部分だけを伝えてしまうことが多いですが、帰り道に「今話したすべての道のりを、これから自分の努力で叶えていくんだよな」と自覚すると、この世の終わりみたいな溜め息が出たりします。

上手くいくかどうかは正直わからないし、別に絶対に成功させる自信に溢れているわけでもないんです。本当に。

でも、怖いは怖いんですが、そもそも「ワクワク」と「怖さ」は同じ成分でできていて、どちらの側面から見るかですぐに印象が変わってしまう繊細なものだ、とも思っているんです。

「アーティストとして活躍するためにイギリスへ移住するというワクワク」は、「慣れ親しんだ日本を離れ、仕事も交友関係もゼロから始める怖さ」と必ず共にあります。

どちらの側面から見るかの話なんです。

そのうえで僕は、”ワクワク側面”から物事を見るのが好きです。

ワクワク側面からの特等席を見つけ、そこから眺める光は、それだけで生きていてよかったと思えるほど美しい景色だったりします。

この美しさを感じるためなら、そこに至るまでの怖くて長い潜伏期間も納得できてしまうところがあります。高くジャンプするためには、その直前に、深くしゃがむ必要があるんです。

夢が生まれた瞬間に始まる艶のある毎日

夢が生まれた瞬間に始まる艶のある毎日

でもね、この美しさって、別に「壮大な夢を叶えた瞬間」だけに感じられるとは限りません。

ロンドンに着いた次の日に自転車を買いました。今はその自転車に乗りカフェに来て、この文章を書いています。帰りにはスーパーでシャンプーを買って家に帰ります。

もう、たったこれだけなのに、今の僕にとっては信じられないほどワクワクするんです。

いま、ただの生活が冒険です。

しゃがむことすら楽しいなんて、東京では気づけませんでした。東京がわるいわけではありません。僕にとっての当たり前になってしまった東京を抜け出したことに意味がありました。

そういう意味で、この先夢が叶うかどうかは、意外と優先順位の二番目くらいかもしれません。

絶対に叶えたいのですが、極論…夢は叶わなくてもいいんです。

夢が生まれた瞬間に始まる艶のある毎日こそに、僕は惹かれているんです。

でも、こんなに大切なことを本当の意味で理解するためには、怖いと感じながらも進んでみる最初の一歩が大事でした。一度自分でやってみて、後悔したり絶望したりしないとわからないことがほとんどだったんです。

何を差し出して、何を手に入れるか

何を差し出して、何を手に入れるか

怖さというリスクを積極的にテイクできた人に、相応のワクワクがやってくるというのは、やはり理にかなっているのかなあと思います。

言ってしまえば英語の勉強もそうで、これだけの時間を費やしても実らないかもしれないという不安や精神的なリスクを抱えながら、それでも諦めず継続した人にやってくるご褒美が「英語が話せる」という状態だともいえます。

極論、買い物とかもそうなんですかね。100万円を差し出すというリスクの結果、車だったりジュエリーだったり、その人にとってワクワクできるものが入ってくる。

世の中の多くの出来事が、何を差し出して、何を手に入れるか、という視点で考察できるのかもしれません。

つまりは、こちらが差し出すもの(または引き受けるリスク)が大きいほど、大きなものが入ってくるとも言えますね。そう考えると、海外移住が人に大きな影響を与えるのも当然なのでしょう。

慣れ親しんだ「日本での生活」を差し出している訳ですからね。こんなにも大きなものを手放して空いた穴に、「イギリスでの生活」を入れてみようとしているんですが、もうどうなっちゃうんでしょうか。海外移住は怖さとワクワクが最大レベルで共存するという良い例です。

誰もが子ども時代を経験してから大人になった

誰もが子ども時代を経験してから大人になった

子どもの頃に始めたものって、上手くなりやすかった記憶がありませんか?

上記の”引き換えの法則”にのっとるなら、子供の頃って、良い意味で今から差し出すものの大きさ(=莫大な時間をつぎ込むことの怖さ)をあまり理解せずに潔く出せていたから、その分、大きなものが得られていたのではないかと思うんです。

それが大人になると、頭が良くなりすぎちゃって、差し出す前に考えすぎちゃうんです。

お金はどうか、生活はどうか、世間体はどうか、年齢はどうか。

そんなこと、人生をかけてやりたいことに没頭できる美しさに比べれば、本当に小さな出来事だったはずなのにね。

まあ、物事はネガティブ視点から捉えようとしたらキリがないので、ここでまた視点を変えます。

僕が今思うのは、誰もが子ども時代を経験してから大人になったという事実は希望であるということです。

昔の記憶すぎて忘れているかもしれませんが、みんな一度は、目の前にある出来事への興味だけに没頭できていた瞬間があるはずなんです。

僕たちが「遊戯王カード」や「プリキュア」にハマったとき、物事はもっとシンプルでした。

幼少期に、年収も生活も世間体も年齢も考えず、好きなもののワールドに没入できた経験が一度でもあるなら、本来は自分にもそんなポテンシャルがあった事実を丁寧に思い出して、それを自信に変えてほしいんです。

この世に自分を産み落としてくれた神様の立場になって考えてみれば、子ども時代に学んだ「自分だけの世界に没頭することの美しさ」を、大人になってさらに生かして自由に羽ばたいてほしい!と、思って、こういう運命を辿らせてくれたんじゃないかな。

そんな素敵な思いをしながら生きてほしくて、僕たちの命は地球にやってきたような気がするんです。

毎日辛い思いをするためだけに生まれてきたわけがないと思っちゃうんです。

だから神様も、現代社会の窮屈さには驚いているでしょうね。

「ちょっとみんな、考えすぎじゃない?」という天からの声が聞こえてくるようです。

夏目漱石の話

夏目漱石の話

明治時代に欧米に行った日本人たちは、よく中国人に間違われたそうです。彼らの手記には、間違われたことに対する怒りが多く書かれていたなかで、夏目漱石だけは「西欧に負けない文化の蓄積と歴史を持つ中国人に間違われて嬉しかった」と書いた、というのです。

僕はこの話がすごく好きなんです。

今でも「中国人に間違われたらいやだ」と思うのは「良いこと」なのか「良くないこと」なのかというような議論があり、差別的思考を感じて悲しくなることもあります。

しかし夏目漱石はここに、「嬉しい」という、これまでの議論がいかに狭い場所でおこなわれていたかを自覚させる、そのすべてを包み込むような別世界の思考を持ち込みました。

なんだかハッとしませんか。

何かが快方に向かうときって、目の前の悩みをひとつひとつ論理的に潰していくよりも、これまでの常識を揺るがすようなハッとする思考を当然のように取り入れている人の姿勢を、目の前でまじまじと見る方がいいような気がするんです。

やっぱり変わるときって、自分の意志で変わらなきゃいけないから。

教え方がどれだけ丁寧でも、受動的な3ステップで人は変われないんです。

あ、、、と一度は呆気に取られ、自分もそちら側に近づきたいと願う猛烈な能動的情熱が人を変えます。

Yukaさんの、「怖い」「怖くない」というカテゴリーの悩みを、「美しい」という新しい世界で包み込んでみたかった、夏目漱石に憧れる僕からのアンサーを、連載最後の文章とさせていただきます。

さいごに

さいごに

2年半、本当にありがとうございました。

おそらく質問や感想を送っていただいた人の方が少数で、多くの読者の方は、毎月あがってくる文章を、一人で静かに読んでくださっていたのではないかと思います。そういう意味で、すべての読者の方から反応をいただいていたわけではないのですが、それでも不思議と、この場所を通して、本当にたくさんの自分に似た性質を持つ方々と心の奥で繋がれているのだという信念がずっとありました。

たぶん、自分もそのように一人で読書することが多いからでしょうね。

僕が大好きな本を一人で咀嚼しながら静かに読んできたように、だれかが僕の文章を読んでくださっているのかもしれないと思えることが、この2年半、僕にとっての幸せでした。ありがとうございました。

連載が終わっても過去の記事は残るので、ぜひ何度でも読み返していただけたら嬉しいです。

僕は表現が好きです。ここでは「文章」という媒体を通してさまざまな思考を表現させていただきましたが、今後、当面は「絵」を媒体にした表現を海外で頑張ってみたいと思います。いつか「音楽」の世界にも舞い戻れたらいいなと思っています。

みなさんの世界もたくさん見せてください。本当に応援しています。イギリスでも日本でも、世界のどこかで会えたら声をかけてくださいね。ではまた。

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