
K. Inoue
(更新)
突然ですが、「仮定法」と聞いて皆さんはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
「仮定」という言葉のイメージから「もしも~なら」を言い表すための文法、くらいには想像されるかもしれません。
高校で習った記憶はなんとなくあるけれど、なんだかややこしくて嫌いだった、という印象や感想を抱いておられる方もいらっしゃるかもしれませんね。
実際のところ、仮定法に対する苦手意識をいつまでも払拭できずに暗記でどうにかその場をしのいでいるだけのような状態の方や、しっかりと理解せずになんとなくほったらかしにしてしまっている方は少なくありません。
でもネイティブの世界では、仮定法は使用頻度がとても高く、そして使い勝手が良い文法です。
そこで今回は、そんな仮定法をしっかりと理解していただくために分かり易くご説明していきたいと思います。この機会に「仮定法ってカンタン!」と思えるようになっていただければ嬉しいです。
「仮定法」は「現実とは異なるもしもの世界に対する気持ち」を表すための文法です。
たとえば次の日本語をまずは参考にしてみましょう。
これは、「自分がお金持ちであれば」という、「現実とは異なるもしもの世界」に対して、お金さえあればプール付きの大きな家を「買いたいという願望」や、「実際には(少なくとも今は)買えないという残念な気持ち」を表しています。
私たちが「もしもの世界」を想像するとき、「そうであって欲しい」とか「現実はそうではないから悔しい」などといった、何らかの感情が往々にして伴うものです。
「もしもあのとき君が救出しくれていなかったら、僕は死んでいたよ」
(君がいてくれてよかった。いなかったらと思うと恐ろしい)
このように「現実とは異なるもしもの世界」を想定し、「その世界に対して何らかの気持ちや想いを巡らせる」文法が「仮定法」です。
なお、「仮定法」は「もしも」という文脈であれば全て仮定法だ、のように思い込んでいる方も意外と多くいらっしゃるのですが、実現可能性が高い場合、つまり現実に十分起こり得ると考えられる事柄については仮定法とはなりません。
たとえば、
「明日雨が降る」ことは(よほど確実に天気が予測できる場合を除いては)現実的に十分あり得ることだと考えられます。このような文脈では仮定法とはなりませんのでご注意ください。
では、「仮定法」はどのように作ればいいのでしょうか?
先ほどの「もしも僕がお金持ちだったら、プール付きの大きな家を買うのになあ」という文章を使ってご説明していきます。
まず、次の文をご覧ください。
これを日本語に直すと、
となりますね。
前半では、“am” という現在形のbe動詞、後半では “will” という未来を表す助動詞が用いられていますが、この文のままでは「現実の話」ということになってしまっています。
ここでは「もしも」という文脈を作りたいので、これを意味する接続詞の “If” を用いて二つの文をつなげてみましょう。
これでなんとなく完成したような気はするのですが、まだ未完成です。ここからさらに形を変えて仮定法の文を次のように完成させます。
どこがどのように変化したかお分かりいただけるでしょうか?
be動詞 “am” が “were” に、助動詞 “will” が “would” に変わりました。
そう、動詞や助動詞が過去形に姿を変えた、ということです。
これが模範的な仮定法の文なのですが、「動詞や助動詞の過去形」を用いていることから、これを「仮定法過去」と呼びます。
では「もしも私が猫だったら、一日中寝て過ごすことができるのになあ」という文も仮定法にしてみましょう。
このままでは「私は猫です。私は一日中寝ることができます」という意味の現実の話になってしまっていますから、次のようにして仮定法の文にします。
動詞や助動詞を過去形にするんでしたね。
※ちなみにbe動詞の仮定法は原則的に “were” を用います。“was” も最近は特に口語レベルでは許容される傾向にありますが、伝統的には “were” が正式です。
仮定法という文法を難しいとかややこしいと感じてしまう理由の一つは、上記のように「なぜか過去形が使われる」ということにあります。
「もしも僕がお金持ちだったら」は「今」お金持ちであればという意味ですし、「もしも私が猫だったら」というのも、「今」猫だったらという「現在」における仮定でしかありません。
「買うのになあ」も「寝て過ごすことができるのになあ」も、「現在」抱いている気持ちです。
べつに過去の話をしているわけでもないのに、仮定法では過去形が平気で使われます。この形のズレが混乱をきたし、英語学習者の方々には理解しがたい難題の一つとなってしまうわけです。
では一体なぜ過去形が使われるのでしょうか?
実は過去形というのは、大雑把に言ってしまうと、「距離」を表すものです。
一時間前、一日前、一週間前など、「時間的に過去方向へと離れていく距離」を表すことはもちろん、「現実から非現実の方向へと離れていく距離」を表すものでもあるのです。
日本語でも「遠い昔」という表現があるように、時間的な過去は距離を連想させます。そして「現実離れ」という表現からは、現実から非現実への距離が連想されますね。こうした時間や現実性などの「距離」を表すのが過去形だとお考え下さい。
「仮定法過去」は「現在の現実からの距離を表している」と捉え、文法用語に惑わさないようにしてください。
ちなみに、「もしも~だったら」を見ても分かるように日本語でも「だった」という過去形を用いますね。これも英語の仮定法過去と似ていますね。
「もしも僕がお金持ちだったら」のような現在における仮定法はこれまでご説明してきた通りです。
では「もしもあのとき(過去に)~だったら」のように過去の仮定について述べたいときにはどのようにすればよいのでしょうか?
この文章を例にご説明していきます。
通常の過去形を用いただけのこの文章では、「君はあのとき僕を救出してくれなかった。僕は死んでしまった」という現実の話になってしまいます。(死んだ人間は喋れないではないかと突っ込まれそうですが、そのあたりはご容赦ください。)
仮定法を作るきっかけとして、「もしも」を意味する “If” をここでも用いることができます。
これで完成したように見えるのですが、これでは「仮定法過去」のように見えてしまいます。そこで、次のようにして文を完成させます。
仮定法過去とどのように違っているかお分かりいただけるでしょうか?
仮定法過去の文が単に動詞や助動詞の過去形を使っていたのに対して、こちらの文では “hadn’t saved”、“would have died” のように「動詞の過去完了形」や「助動詞の過去形+have+過去分詞」の形になっています。
過去における仮定法はこのような形で表し、これを「仮定法過去完了」と呼びます。
なぜ過去完了形を用いるのか、ということについては、時間と現実の距離をここでも考える必要があります。
時制における過去完了形(大過去)は、現在から見た過去のさらに過去を表します。
この「(見つけたときから遡って)三日前に失くした」は「見つけた」よりもさらに過去ですね。
過去のさらに過去ですから、距離的には過去方向に向かって二段階離れていることになります。これを表すのが過去完了形(大過去)です。
仮定法過去完了においては「現在から見た過去という時間における現実離れ」を表すことになりますから、距離的には時間的な過去方向へ一度離れ、そこから非現実方向へ一度離れたところということになります。やはり二段階離れていることに変わりはありません。
ですから、過去における仮定法は仮定法過去完了という形で表されることになるわけです。
仮定法過去と仮定法過去完了の形を整理しておきましょう。
上記の図では「→」が1つのズレを表し、たとえば仮定法過去完了であれば横(過去方向)に1つ、縦(非現実方向)に1つずつズレているため、話し手の現在地から見て合計2つ距離を取らないといけません。
多くの例文にあたることで、これらのことを形式的に身に付けることは確かに重要です。
ですが、なぜそこに過去形や過去完了形が必要なのか、ということを理解しておくことも、自ら使いこなせるようになるためには大切なことですね。
さて、仮定法の基本である仮定法過去と仮定法過去完了についてご説明してきました。
ここでもう一つ、仮定法を本当に理解するために大切なことをお伝えしなければなりません。仮定法が仮定法たりうるために欠かせないものがあります。
それは、過去形の助動詞(“would” “could” “might” など)の存在です。
「仮定法」は「現実とは異なるもしもの世界に対する気持ち」を表すための文法だとご説明しました。仮定法の「法」は英語で “mood” と言うのですが、これは人の「気持ち・心の様態」を意味します。カタカナで言うところの「ムード」のことですね。
「~するのになあ」、「~できるのになあ」、「~かもしれないのになあ」。こうした「~なのになあ」といった言葉の裏にその人の気持ちが込められているのが仮定法であって、その気持ちを表すものこそが、実は助動詞なのです。
高校生の生徒さんたちに「仮定法の文章ってどんな特徴があると思う?」と聞いてみると、多くの場合「“If” が使われます」という答えが返ってきます。
でもそうではありません。
「過去形の助動詞が使われている」ということが、仮定法の最大の特徴だということをぜひ知っておいてください。
これらには “If” は使われていません。でも立派な仮定法なのです。
とてもへりくだった言い方のこんな表現も、「あなただったら塩を取っていただくことができるでしょうか」という、とても謙遜した姿勢の表れた仮定法の表現と言っても差し支えないでしょう。
こうした丁寧なお願い表現に見られる助動詞の過去形は、相手に押しつけがましくならないよう、「心理的距離」を表すために用いられているとも言えます。
仮定法を読んだり話したりされる際には、助動詞に込められた気持ちに目を向けるようにしてみてくださいね。
仮定法には、関連する様々な表現があります。最後にそれらをご紹介します。
仮定法のねじれという現象は一見するとイレギュラーでややこしいものに見えますが、これはイレギュラーというよりも、実のところごく自然なことです。というのも、過去の行いや出来事が現在の現実に影響を及ぼすことは十分にあり得るからです。
たとえば、「一生懸命に勉強した」(過去)→「試験に合格して今は医者」(現在)とか、「昨夜雨が降った」(過去)→「今は水たまりができている」(現在)など、過去と現在が因果によって結ばれるというのは日常的によくありますよね。
ですから、これを仮定法に当てはめるとき、「もし一生懸命勉強していなかったら(過去)、今は医者にはなっていないだろうな(現在)」とか、「もし昨夜雨が降っていなかったら(過去)、今は道は乾いているだろうに(現在)」というねじれが生じるのも自然なこと、というわけです。
if節のifが省略されると、倒置が起こります。
このように、仮定法に関してたくさんの表現がありますが、いずれも仮定法過去または仮定法過去完了の基本的な形を当てはめていくことで使うことができます。
いかがだったでしょうか。
「もしも~だったら・・・」という言い回しは日常的にとてもありふれているものです。仮定法を使いこなすことができるようになれば、会話表現の幅はグッと広がります。
はじめのうちは過去形や過去完了形の使い方に戸惑うこともあると思いますが、何度も音読を繰り返して、自然とその形が口をついて出てくるようになるまで練習を重ねてください。
理屈はなんだかややこしそうでも、一度身に付けてしまえば難しいことはありません。
この記事が少しでもそのお役に立てれば嬉しいです。