永沢りょうこ
(更新)
最近は配信メディアの普及により、DVDだけでなく、スマホやPCなどでも映画やドラマを気軽に楽しむことができるようになりました。
ドラマを見ながら電車通勤することは、今や日常的な光景です。
英語学習してきて、リスニングも上達してくると、海外ドラマなどの英語音声も少しずつ分かるようになってくるかと思います。
そうなった時、音声は英語、字幕は日本語で見ていた場合に、ふと、
「あれ?英語で実際に言っているセリフの意味すべてが字幕に表れていない」
「本当に言っていることとは違う!」
「字幕ってダメだな」
と思ったことがある方もいるのではないでしょうか。
字幕に携わる者として、私も何度も言われてきたセリフで、この仕事の宿命とはいえ胸が痛みます(笑)
ですが、なぜそう思われてしまうのか、なぜ実際の英語のセリフと日本語字幕が異なることがあるのか。実はそれには正当な理由があるのです。
字幕というのは、数秒で過ぎ去っていく文字情報です。
字幕業界では、それを目で追える速度が1秒につき4文字程度とされています。
ですので、たくさんしゃべっているようでも、その文字数制限内に収めなければなりません。例えばそれが3秒なら12文字しか使えないのです。
下記のようなセリフがあったとします。
これが4秒の尺なら、16文字程度で訳出するわけです。
「ねえ、レイチェルとジョンが数日前別れたって知ってた?今年私が聞いた中で一番の大ニュースよ。彼らは10年付き合ってたんだからね」と訳したくても、全部入りません。
したがって、要約したり、話の本筋にとって重要な情報のみにし、枝葉は泣く泣くカットするなどして、情報を字幕の尺に合うようまとめるのです。
どこを生かして、どこを切り落とすか、または凝縮させるか、このまとめ方が字幕翻訳者の腕の見せどころでもあります。
先ほどの例であれば、例えばこんな風にまとめることができます。
このセリフだけだと分かりにくいですが、このセリフの情報の中でおそらく一番重要なのは「誰が」という主語と「別れた」という結論なのでそれは入れたいところです。
意外と文字数内に入れられる言葉が少ないことに驚かれたのではないでしょうか。
さらに、一つ一つの字幕を完成させるだけでなく、続けて読んだときに日本語として自然な流れになるようにしなければなりません。
一つ一つの字幕が英語の意味の訳としては合っていても、日本語として流れが悪いと視聴者の頭にすっと入ってこず、ストーリーを理解するのに疲れてしまいます。
例えば次のようなセリフがあったとします。
まずは、英語の意味に引きずられて会話の流れが悪い例。
少々大げさですが、英語の意味を生かしていたとしても、日本語の流れが悪いとこうして会話としてすんなり頭に入ってきませんよね。
ついでに、これだと最後「気分が良くないことを望んだ」ようにも解釈できてしまいます。
これを、日本語の会話として流れが良い訳にすると以下のようにになります。
最初の例と比べて、会話としてすんなり頭に入ってきますよね。
書籍であれば、流れが難しい個所や分かりにくい個所があろうと何度でも行ったり来たりしながらでも読み返せますが、字幕はそういうわけにいきませんので、このように日本語としての流れを重視して作っているわけです。
大統領や歴史的な偉人(エジソン等)、世界的に有名な俳優やタレントは別ですが、あくまで現地でのみ有名な人、現地でのみ流行っていることなどが話の中に出てきた場合、それをそのまま字幕に出しても日本の視聴者には到底分からないものもあります。
例えば、アメリカでは有名なコメディアンやテレビのトークショーのホストであれ、日本ではさほど知られていませんし、名前を出しても分かりませんよね。
こういった、現地の文化の中で暮らす人でないと分からない情報はそのまま訳すわけにいきません。
では、その際にどう字幕処理するかというと、そのセリフの中核のエッセンスだけ残して、原音とは変えるという作業をします。
日本人が知らない人名がセリフの肝になっているならば、そのセリフ全体が言わんとする「着地点」を同じにするよう、言葉を変えるのです。
例えばドラマで会話の最中にいきなりこんな字幕が出てきたとします。
オプラ・ウィンフリーはアメリカでは超有名なトークショーの司会者兼プロデューサー。
「オプラ」と聞いて、一瞬で「あぁ、あのオプラね」と分かる人じゃないと、字幕を読んでも「それ誰?」と視聴者がポツンと取り残されてしまいます。
上の例を改善するなら、例えばこのようになります。
と、こんな感じになるわけです。
もちろん、これが唯一の正解というわけではありません。ただこうした個所では、この人物がどんな人なのか、このセリフの中でどんな意図で名前が出されているのかを生かす工夫をするのです。
このように、原音とは違っても、一般的な日本人が理解できることが前提の字幕では、こうした処理も必要になってきます。
ジョークは、翻訳者泣かせなジャンル。
よく「言葉は文化」と言いますが、ジョークは「文化」の最たるものです。ですので、原音を文字通り訳して字幕にしたところで、まったくもって笑えないのです。
例えばアメリカで大爆笑できるネタを文字通りに訳して日本語にしても、その背景が分からない日本人には何が面白いのかまったく分かりません。
これは逆もしかりです。日本のお笑いコントをそのまま文字通りの英語にしても、ほとんどの場合あまり面白くないでしょう。日本の(サブ)カルチャーが分かって、やっと笑えるものかと思います。
そこで、ジョークや掛け言葉、言葉遊びを日本語字幕にするためには、英語のニュアンスを分かった上で日本語を駆使し、笑いのセンスも生かす必要があります。
原音で面白い場面では、日本語でも面白いと感じられることを重視し、苦肉の策であえて原音の意味とは違う日本語で置き換えることもあるのです。
ジョークの処理の例としては次のようなものがあります。
まずは言葉遊び的なジョーク。AがBの提案を断るシーンです。
上のセリフを直訳すると次のようになります。
"over my dead body" はイディオムとして「絶対にイヤだ。そんなこと絶対にさせない」という意味。
その次のセリフで「じゃあその dead body を使ってやる」、というのが面白いポイントなのですが、そのイディオムを知らなければ、直訳の日本語を見た限りではこの会話は噛みあっていないように見えてしまいます。
そこで、例えばこのように変えてしまうのです。
Aの字幕に「死」というワードをいれたことでBの「死体」につながりますよね。拒否してもなお、相手に使われるというニュアンスが表れているかと思います。
さらに、原音からもっと変えてしまうこともあります。
例えばこんな、ある映画のワンシーン。
"miners"(炭坑労働者)と "minors"(未成年)を掛けた、掛け言葉のジョークです。
これを文字通り直訳すると以下のようになります。
これだと何がジョークになっているのか全く分かりませんよね。
ですので、文字通りではなくなるのを承知で、「面白さ」を生かすために翻訳者も頭をひねってジョークになるよう工夫をします。
このようにすると、確かに原音とは違ってしまいますが "miners" と "minors" の「聞き違い」という会話のエッセンスは生かせています。
字幕と言うのは、一語一語、逐語的に訳されているものではないことがお分かりいただけましたでしょうか。
こうした理由によって、英語が分かる方が見ると「ちゃんと訳されてない」と思われてしまうこともあります。これは致し方ないことだと私は思います。
ただ、字幕とは、そもそも英語が分からない人に向けて作られているものです。
映画、ドラマ、ドキュメンタリーなど、どんな映像作品においても、字幕翻訳者の使命とは「字幕で見たときに、視聴者が字幕を読んでいるという意識すらないくらいストレスなく理解でき、作品を十分に楽しめること」。
どんなに英語に忠実に訳していても、原音が分かる人だけしか理解できない字幕では意味がありません。
このように、字幕翻訳者は日々、英語と日本語の間を行ったり来たりしながら、工夫を凝らしています。ですので、もし字幕でドラマなど見たとき、「英語と違う!」という瞬間があったら、文字数制限や文化的要素など、ここで述べたような背景があって、その字幕になっているのだ、ということを思い出してみてください。
英語と日本語字幕の違いを比べて、なぜその字幕になったのか考えてみるのも面白いかもしれませんよ。