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18歳、アメリカの来日バンドと共演し海外を志す【大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話:Part1】

18歳、アメリカの来日バンドと共演し海外を志す【大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話:Part1】

はじめまして。

カナダ在住、フリーランスグラフィックデザイナーでバンドマン、新井リオ(@_arairio)と申します。

僕はまた、現在立教大学4年次を休学している大学生でもあります。

そして『arairio.com - 新井リオの英語BLOG』というブログを運営するブロガーです。

なにやら騒がしい肩書きで、「こいつは誰だ」と思ってくれた方。

僕はただの、“DMM英会話で人生が変わってしまった” 大学生です。

今回、縁あって5回の連載記事を担当させて頂くことになりました。

タイトルは、
『大学生デザイナーバンドマンがDMM英会話を始めて、海外で仕事をするまでの3年間の話』

それまでは全く英語が話せなかった僕ですが、現在はカナダでグラフィックデザイナーとして、特に不自由なく英語でコミュニケーションを取りながら仕事をしています。

もちろん現地の人からすると僕の英語力はまだ足りない部分も多く、“完璧”ではありません。

しかし、この3年間の努力により、実際に海外で英語を使って仕事をし、生計を立てることができるようになった事実に対して僕は誇りを持っています。

僕の英語力は全て、“DMM英会話を活用した独学勉強法”で培われました。

近年、多くの日本人が海外へと目を向け始めていますが、これからの語学学習においてオンラインは欠かせないものになっていく、と断言できます。

Take Proactive Action!

僕の人生のテーマは、

『Take Proactive Action!』

Proactive は、「何かが起こるのを待つのではなく自分で行動を起こし状況を変える」という意味。

つまり、“一般的にこう”と言われているものに疑問を持ち、常に“新しい視点”で物事を考える。
そして“実際に行動”するのが僕のテーマ。

そんな信念を持って全力で生きていたら、想像もできなかったような激動の3年間が待っていました。

この連載では、「普通の大学生だった僕がDMM英会話を通して海外に進出していくストーリー」を全5回に分けてお送りしていきます。

それでは早速、【大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話】Part1、「18歳、アメリカの来日バンドと共演し海外を志す」編、お楽しみください。

受験勉強

初めて英語に興味を持った高3の春

特別良くもなければ悪くもない"フツー"の都立高校に通っていた僕は、成績も"超フツー"。

中3から始めたギターに夢中で、特に勉強もせず毎日軽音部のみんなと遊んでばかりでした。

そして高校3年生の受験期、初めてまともに英語の勉強に取り組むことに。

ほぼ母に入れさせられたような進学予備校で、しかも映像授業。

最初は続くのかさえ不安でしたが、ある先生の英文法の授業が衝撃的に面白く、一気に英語にハマっていきました。

結果、第一志望だった立教大学社会学部に入学。

受験勉強を通して、

自分の好きなものを見つけ、ハマることの重要性
・毎日の小さな努力を継続させることが、実力を上げる何よりもの“近道”であること
“映像授業”という勉強法の効率の良さ

を、身をもって体感しました。

そして、華のキャンパスライフを送る"はず"でしたが...

バンドとデザインの日々

大学が、楽しくない!

大学に入り、周りはサークル・飲み会に大忙しの模様。

「いや俺お酒飲めないし...」
「てか、こういうガヤガヤしたのまじで苦手だ...」

となってしまい、サークルにも入らず、単位を取るためだけに大学に行く日々。

友達もほぼいない。
期待に溢れて入った大学だったのに。。

幸い、高校生の頃から続けていた自分のバンド PENs+ だけは楽しくて、音楽が唯一の心のよりどころに。

バンド活動をもっと充実させたくて、この頃から独学でグラフィックデザインを学び、バンドグッズを自分でデザインするようになりました。

その後デザインにハマっても、教室へ通ったり誰かに習うわけではなく、独学にこだわったのは、受験期に培った “実力の向上は、環境の問題ではなく全て自分の努力次第” という信念があったから。

この頃から、一人で何かを突き詰める習慣が生まれ始めました。

そして実際、“大学の期待はずれ感”と反比例するように、“バンド”と“デザイン”は順調に進んでいきました。

すぐにオリジナルのデザイングッズブランド PENs+ SHOP を立ち上げ、

その翌年から僕はフリーランスデザイナーとしても仕事を頂けるように。

これまでに TOWER RECORDS やヴィレッジヴァンガードとのコラボグッズの販売等もしました。

来日したアメリカのバンドと共演し、衝撃

2013年の夏。
PENs+は、アメリカ ポートランドから来日したバンド Duck. Little Brother, Duck! と共演することになります。

もともと海外に対する漠然とした憧れはあったものの、もちろん英語を話せるわけでもなく。

また“留学”もお金がかかりそうだし...なんとなく、具体的な行動はできずにいました。

そんな中、アメリカのバンドとライブで共演。

「なんだこれ!!!」

規格外のかっこよさに、僕は衝撃を受けました。

同じ機材なのに、出てくる音が違うんですよ。

もともとそのバンドの曲は好きだったのですが、ライブのエナジーがすごくて、もう完璧トリコに。

終演後、「とにかくかっこよかった!」と、それだけはどうしても伝えたい。

伝えたい。

伝えたい。

...。

あれ、何て言うんだろう。

「You are cool」?

え、それだけ?

もっとこう、

「マジですごかったよ!」みたいな、そういうやつ。

「え、全然わからない。」

受験勉強でちょっとは英語ができる気になっていましたが、いざ外国人を目の前にすると全く言葉が出てこない。

それに「マジで」の英語とか学校で習ってない。

僕は虚しくなりました。

目の前にこんなにかっこいいバンドがいて、こんなにかっこいいライブをしてくれて、その感想すらまともに伝えられないのかと。。

そんな感じでウジウジしていると、

「PENs+、めちゃくちゃ最高だった!多分今日のバンドの中で一番良かった。」

と、Duck のベース Kyle が僕に言ってくれたのです。

(というかなんて言っているか全然わからなかったけど、多分そんな感じでした。かろうじて"BEST"は聞き取れたので。)

で、僕は

「Thank you! I will go to America someday!」

みたいな、教科書の例文のような返事をしたことだけ覚えています。

よくわからないけど、「次は自分がアメリカに行きたい!」と思ったんですよね。

そして Kyle がポスターにサインと一緒に書いてくれた、

“PENs+ RULES!”

この“RULES”ということばが、僕の初めて学んだスラング英語となりました。

Rule:最近のことばで言うと「エモい!」、または「イカす!」という意味。

海外に行ってみたい

その後、今まで “頭の片隅に3ミリあるかな” 程度だった海外への憧れはどんどん肥大し、

「海外に行ってみたい!」
「英語を話してみたい!」

と思うように。

ただ、大学も毎日行かなきゃいけないし、バンドも忙しくなってきたので、“留学” なんて夢のまた夢。

なによりめっちゃお金かかるし!


でもやっぱり、Duck と共演したあの夏のライブが忘れられないのです。

ちょうどその頃、僕たち PENs+ はファーストアルバムの全国発売を控えていました。

そして僕はそのアルバムタイトルに、

「この海外への想いと音楽がいつか繋がるように!」

という願いを込めて『RULES!』とつけたという、まさに“エモい” 19歳のときの話...。

フィリピン短期留学?

バンドは順調。デザインも順調。(大学はフツー。)

でも、英語に関してはまず何をしたら良いのかわからない。

「英語がやりたかったらやっぱりアメリカとかイギリスに留学なのかな?...」

とも思いましたが、

学生なのでとにかくお金がない。
バンドも大学も忙しくて時間がない。

「これ、いわゆる普通の留学、自分には出来そうもないな。」と悟りました。

ただそこで諦められないのが僕の性格。

厳しいとわかった時点で逆に燃えてきます。

「“一般的にこう”とされているものを疑い、“新しい視点”から行動する。」

これが僕のテーマです。

「今の時代、留学や英語習得方法ってこれだけではないはずだ!」と、とにかく調べました。

そして僕は、「フィリピン短期留学」というものを発見します。

「なんでフィリピン!?」という感じでしたが、

フィリピンでは第二言語として英語が使われていて、英語教育も盛んなため、フィリピン人(特に若い人たち)はほぼネイティブレベルで英語を話せるのだとか。

これなら大学の春休みの1ヶ月間で行けるし、費用も、学費や食費など全て込みで15万円ほど。

「よし、とりあえずフィリピン留学、行ってみよう!」

と決心し、大学1年生から2年生の間の春休み、僕は1ヶ月のフィリピン留学へと旅立ちました。

Level. 2

「暑い。とにかく暑い。」

夜、フィリピンのマニラに到着。

3月にも関わらず気温は30度前後。

迎えにきてくれていたスタッフとともに、クラークという少しはずれの地域へとバスで向かう。

寮についた時にはもう深夜で、次の日にあるというクラス分けテストに備え、その日はとりあえず寝ることに。

そして次の日。

クラス分けテストでは筆記試験スピーキング試験があり、特に準備はしていなかったけどまあなんとかなるかな、となぜかイケそうな雰囲気の僕。

そして

試験、終了。

手応え、ゼロ。

結果、Level. 2
(10クラスあるうちの下から2番目

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僕は本当に英語が話せなかったのでした。

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おわりに

『大学生デザイナーバンドマン×DMM英会話』Part 1はここまで。

次回、フィリピン留学でどんな意識の変化が起きたのか。

またその年の夏、僕は Duck のメンバーに再び会いに行くため、ついに1人で1ヶ月間、アメリカへとバックパッカーをすることになります。

そしてここでもまた、一生忘れられない経験が待っているのでした。。。

お楽しみに。

ストーリーも気になるけど早く勉強法が知りたい!という方は、
『独学3年間の努力と道のり。日本で英語が話せるようになった僕の勉強法』
をご覧ください。

それでは!