新井 リオ
(更新)
カナダ在住、フリーランスデザイナーでバンドマンの新井リオ(@_arairio)です。
前回の『大学生デザイナーバンドマンがDMM英会話を始めて、海外で仕事をするまでの3年間の話』Part3では、バンド初の海外ツアーの話を。限られた時間の中で始めたDMM英会話での猛レッスンの末、なんとか英語での長文MCをやりきり、お客さんは大盛況、ライブは無事成功に終わりました。
そして今回はPart4。
ライブツアーからの帰国後も、冷めることのない海外への憧れから、「カナダに住んで、音楽とデザインの活動がしたい…」と思うように。
しかしそのためには、日本にいるときからある程度英語が話せるようになっておく必要がある。
そう悟った僕の、カナダへ行く直前の半年間の、英語のめり込み生活の話。
・Part2
「19歳、フィリピン留学と青春のアメリカ縦断1人旅」編
このカナダツアーでは、『英語とは、ネイティブのようにうまく話すことだけが正解なのではなく、それぞれの理想に合ったレベルを目指し、「自分のやりたいことを叶えるためのツール」として、早い段階から実践的に使ってしまうことが大事なのだ』ということを学びました。
ただ勉強しているだけで、「人前で使うにはまだ早いな…」と恥ずかしがっていたら、今回のカナダツアーのような経験は得られなかったな、と。
もちろん良いことだけではありません。メンバーや他のバンド・日本人スタッフから「なんだ、リオくん英語話せるじゃん!」と、通訳を頼まれたものの、レストランでの注文の際に相手が何を言っているか全く聞き取れず、恥ずかしい思いもしました。
それでも、飛び込んでよかった。
レベルがまだまだでも、とりあえず挑戦することで、「意外といけるじゃん!」とか、「ココが本当に苦手なんだな」とか、なにかしらの“気づき”があるはず。で、実はその“気づき”の多さが、イコール成長スピードだと思うのです。なにごとも。
成功へのカギは、「とにかく行動して、新たな“気づき”を得ること」。
そしてたいてい、この“気づき”というのは、失敗からくるモノだったりします。
成功は成功で喜ぶ、失敗は成功へのヒントとしてとらえることができたら、強いなあと思うのです。
2015年6月、カナダツアーから帰国。このとき僕は大学3年生。しっかりと単位も残っていたし、服屋での週3のアルバイト、月3本ほどの音楽ライブ活動に加え、バンドをきっかけに始めた“デザイナー”としての仕事も増え始めてきました。
そんな、ただでさえ忙しく、また、日本で継続しているバンド活動やデザインの仕事があった中での「カナダに住んでみたい」という新たなる想い。
「予測できる未来なんて一つもない。ひとまず行動し、その都度軌道修正をすればよい。」
もう起業家の本を読みすぎて誰の言葉だったかは忘れましたが、「一に行動、二に行動。」の精神が根付いていた僕は、帰国から数週間後にはすでに、ワーホリビザ取得の手続きを始め、「翌年の4月からカナダに住む」ことを決めました。
話は変わりますが、僕が大学2年生のとき、日本語・韓国語・英語を話すトリリンガルの先生がいました。
普段はもちろん日本語での講義ですが、ある日の少人数ゼミにて、その先生が突然英語で授業を始めたのです。周りの生徒も最初は唖然としていましたが、みんな耳を澄まして先生の英語を聞き取ります。そして数十分の講義が半ばに差し掛かった頃、先生はついに日本語に切り替えて、こう言いました。
「みなさんの中に、英語を話したい人はいますか。留学を考えている人はいますか。君たちはまだ若い。ぜひ、留学に行ってください。ただ、一番大事なのは、行くと決めたこの瞬間から、留学に行くまでの期間。つまり“今”です。今、この日本にいる間に、どのレベルまでいけるか。勝負はもう始まっています。」
この言葉は、ぼんやりとした “留学という行為自体への憧れ”で構成されていた僕の背筋を、ピンと伸ばしてくれました。
そしてついにカナダに行くことを決めた“今”、その勝負が始まったのです。
2015年9月〜2016年3月。
カナダ出発までのタイムリミットは、半年。
勝負といっても、同時期に留学する友達が周りにいなかったので、ライバルは完全に「理想の自分」でした。「現実の自分」と「理想の自分」、2人が常に、自分の中で切磋琢磨している感覚。
これは、その頃の僕の、とある1日。
朝ごはんを食べたら、まずは英語日記。前日に起こったことを思い出し、(あまり長いと復習しづらいので、)3文程度の日本語で日記を書き、ネットで表現を調べながらそれを翻訳する。
参考記事『独学3年間の努力と道のり。日本で英語が話せるようになった僕の勉強法』
最初に英語日記を先生に添削してもらい、その後レッスンマテリアルを使い授業。デイリーニュースがメインでした。
わからない単語は、「How do you use it in a sentence?(それは、文章ではどう使えばいいの?)」と聞き、例文フレーズを作ってもらう。さらに、そのフレーズに「自分が日常生活で実際に使うならこう言えるな」という単語を入れ替え、「Does this sentence make sense?(この文章、大丈夫?)」と、それが文法的に成り立つかどうかを先生に確認。←コレ大事。
参考記事【動画】オンラインDMM英会話の効果。2年間続けたバンドマンの体験談
大学まで電車で1時間ほどあったので、レッスンで習ったフレーズをLINEの“Phrase Stock”というオリジナルのデジタル単語帳に貯め、それをブツブツとひとりごとで繰り返す。
また、英語日記も、「iTextSpeaker」という無料の音声読み上げアプリに入れ、歩きながらシャドーイング。
参考記事『LINEを「英単語帳アプリ」として使うと、最高です』
デザインも音楽も英語も関係のない「社会学部」だった僕。正直、先に挙げた3つに熱中しすぎて社会学への興味は居酒屋のカルピスくらい薄くなっていましたが、それなりに勉強しました。
そして空きコマや休み時間に、フリーランスとして引き受けたデザインの仕事を。TOWER RECORDSやヴィレヴァンとのコラボグッズを作らせて頂いたり…。こちらもかなりしっかりとやっていました。
帰り道も、フレーズストックと英語日記の復習。スピーキングに関しては、新しい単語にどんどん触れるよりも、同じ言い回しを何回も復習して、「そのフレーズが口から自然と出てくる」レベルにもっていく方が大事だと感じたので、とにかく「1日の間に何回も同じフレーズを見て、口に出す」ことを徹底。
参考記事『英語学習において、最初に知っておくべきことを3つ考えた』
東横線の学芸大学駅にある、深夜1時まで営業しているちょっと変わった古着屋でアルバイトをしていました。店番も1人だったので、お客さんの来ない時間帯は、1日かけて覚えたフレーズを、何も見ないで言えるように練習。
また外国人のお客さんもよく来たので、毎回、英語で話しかけるようにしました。
さすがに疲れます…
「早朝のDMM」が日課になっていたので、次の朝のレッスンのため、帰ったらすぐに寝ます。
今思い返しても、凄まじい日々。
また、この年の終わりに僕のバンドPENs+は新しいCDの発売を控えていたため、合間を縫ってレコーディングやPV撮影、ジャケットデザインなども行っていました。
タフだなあ。。
(気になる方はYoutubeで「PENs+」とお調べください。。)
「がんばった」なんてありふれた言葉で表現するのはもったいないくらい、当時の僕は、「必死」でした。
僕たちは、時に、自分の実力を「理解していない状態」くらいの方が良いのかもしれません。
僕は、現状に全く見合っていないにもかかわらず、自分の「限界」というモノを知らなかったので、どんどん高くなっていく理想に対し、「自分なら追いつける。」と信じきって、行動し続けました。
あの頃の経験が、確実に今の自分を形成しています。
「日本で必死にもがいてくれて、ありがとう。君のおかげで、僕は今、カナダで元気にやってます。」
こんな半年間を過ごし、自分でもわかるくらいには、英語が上達していました。レベルでいうと、「わりときれいな発音で、自分の言いたいこと、特に身のまわりのことならスラっと言える」感じ。
DMMの先生にもFluency(流暢性)をよく褒められたし、日本に住んでいたネイティブの友達には、「既に1年間語学留学したくらいのレベルは充分にある」と言ってもらい、自信になったのを覚えています。
「良かった…」
でも、僕は「やっとスタート地点に立った」だけでした。
英語はゴールではなく、やりたいことを世界に広げるための“ツール”。
日本で培った英語力を武器に、僕はカナダへ1人、旅立ちました。
Part4は、以上になります。
僕が留学前に日本で取り組んだ勉強方法について、記事中でも書きましたが、ここにもまとめておきますので、気になる勉強法があったら見てみてください!
・『独学3年間の努力と道のり。日本で英語が話せるようになった僕の勉強法』
・【動画】オンラインDMM英会話の効果。2年間続けたバンドマンの体験談
・『LINEを「英単語帳アプリ」として使うと、最高です』
・『英語学習において、最初に知っておくべきことを3つ考えた』
そして次回Part5、僕はついにカナダで生活を始めます。
「海外に住むし…」と一旦DMM英会話をやめた僕でしたが、すぐさまその必要性に気づき、現在にいたるまで、カナダでも毎日DMM英会話をやることに…。
僕がこう判断した経緯、また、海外でのフリーランスデザイナーとしての生き方のお話を…。
お楽しみに。