DMM英会話ブログ編集部
(更新)
サッカー・ダンディー・ユナイテッド所属のGK川島永嗣選手が日本代表に復帰ーーそんな大きなニュースが日本のサッカーファンたちの耳に飛び込んだ2016年3月17日。
奇しくも我々DMM英会話チームは、彼がいるスコットランド、ダンディーの地にたどり着いていた。
目的はもちろん川島選手への取材だ。
川島選手といえば様々な言語を習得し、現地の言葉でのインタビューにさらりと答える様子が話題になることもある人物。話せる言語は、英語、イタリア語、フランス語。それに加えて、スペイン語、ポルトガル語、オランダ語なども「多少は使える」というのだから驚きだ。
また、じつは川島選手は、スポーツ×語学に関する様々なプロジェクトを展開している「グローバルアスリートプロジェクト」の発起人の一人でもある。
この度、DMM英会話と「グローバルアスリートプロジェクト」がタッグを組んだことをきっかけに、インタビューが実現したのだ。
DMM英会話 × グローバルアスリートプロジェクト始動! グローバルアスリートプロジェクト代表 田中隆祐氏のインタビューはこちら
インタビュアーは、DMM英会話代表の上澤貴生。川島選手には忙しいなか、どの質問にも気さくに、そして真摯に答えていただいた。
各国で活躍してきた川島選手だが、初めて本格的に海外でプレイしたのは、大宮アルディージャ在籍時に行った1ヶ月間のイタリア留学でのこと。話を聞くと、意外にもそのときは留学が嫌だったのだという。
「正直最初は行きたくなかったんですよ(笑)。もう本当に急に言われて、僕はやっぱり試合に出たいという気持ちがすごい強かったので、なんで留学して飛ばされなきゃいけないのかという気持ちだったんですよね。だから『ちょっと考えさせてください』って一度は言ったんですけど、結局、せっかくのチャンスだから行ってこようかなと考え直して行きました。」
しかし実際に行ってみると、嫌だった気持ちは薄れていった。そこで気づいたこともある。
「もちろん言葉も違いますし、それまでは日本で生まれて育ってるんで、日本のなかにあるものがすべて正解だと思っていたんですよね。それがイタリアに行った時に、サッカーだけではなく普段の生活のなかでも『あ、日本のなかにあることだけが正解じゃないんだな』と気づかされました。自分の進む道についても、やっぱりひとつのことや、やり方に凝りかたまらなくていいんだと。それから、いろんな人とコミュニケーションを取ることで、今までの自分にない価値観や考え方に触れられるんじゃないのかなと感じた時間だったのかなと思います。」
帰るときには、自分自身に大きな成長を感じることができていた。その時点で「海外でゴールキーパーをやりたい」という気持ちが出てきていたのだそうだ。
その後も、日本での選手生活を続けながら、海外でゴールキーパーになる方法を探っていたという川島選手。しかしそれは簡単には実現しなかった。そんななか、名古屋グランパスへの移籍を決めたのが2004年のことである。そのときすでに、名古屋グランパスには日本代表のGK楢崎正剛選手が在籍していた。試合に出られないかもしれない。もちろん、その考えがなかったわけではない。しかし、敢えて川島選手はその道を選んだ。
「どのレベルまで行ければ海外でやれるキーパーになれるのかわからなかったんです。でもやっぱり自分が日本人なので、海外に出る意味でも、日本のトップのレベルが分からなければいけないと。当時20歳くらいで若かったんで、試合に出るだけじゃなくて、自分が一人のゴールキーパーとして、サッカー選手としてどういうベースを築くのかが一番大切なんじゃないのかと考えていたんですね。そうは言っても試合に出られなくてすごいつらい時期ではありましたけど、同時に多くを学べた時期でもあったのかなと。」
その3年後となる2007年、川島選手は川崎フロンターレに移籍。その翌年には日本代表にも選ばれる。そして2010年、川島選手は27歳でついにJリーグから海外に舞台を移し、戦い始めた。その時の心境を彼はこう語る。
「ここで海外に行かなかったら、もう一生行けないんだろうなと思ったわけです。30歳を過ぎた日本人のキーパーを海外のクラブが取るかといったら取らないと思うし、自分の年齢的にもヨーロッパで経験をつむなら最後だと思ったんです。これから先、日本でプレイを続けて『海外に行きたいんだ』とか『昔イタリアに留学に行ったんだ』ということを言い続けるだけになるのか、それとも本気で、全部捨てでも行くのかと考えたら、全てを捨ててでも海外で日本人のゴールキーパーとしてやりたいと思って。今考えるとだいぶ無茶なことしたなと思います(笑)。」
川島選手が移籍したのは、ベルギーのリールセSK。彼はのちにそこで主将にも任命される。日本とは違う、海外だからこその苦労はあったのだろうか。
「日本とではサッカー文化が違うんです。キーパーに求められるものが全然違うんですよね。最初の頃は、違うサッカー文化を受け入れることがまず大変でした。今まで自分がやってたサッカーの感覚でピッチの上に立ってると、想像以上の衝突が起こったりするんです。自分ではこれが当たり前だと思ってることが当たり前じゃなく起こったりするわけです。だから今まで自分がやってた感覚と違う感覚でやらなきゃいけない。それは今まで自分が正しいと思ってやってきた感覚だから、そこになれるのに気持ち的に、だいぶ。強がって『すぐ慣れた』と言ってましたけど、振り返ってみれば本当に慣れるまでは半年くらいかかってたんじゃないかなと思います。」
当時、チームには15国籍ほどの選手が所属していたという。チーム内の公用語は英語。そのなかで、キーパーとして的確に指示を出していかなくてはいけない。
「例えば、味方に”Right shoulder!”と指示を出さなければいけないのに、頭のなかでは最初は 『右!』と出てくるわけです。でもその一瞬がもう命取りで。日常会話をしゃべれても、実際にピッチの上で一瞬で指示を出すとか、ハーフタイムに味方とコミュニケーションを取るとき、どう説明するかとか、どう相手の話を聞くかという部分はけっこう大変でしたね。」
その克服法は、身近なところにあった。
「最初の頃は毎日が英語トレーニングみたいな感じでした。朝勉強して、練習に行って、午後はチームメイトとお茶とかランチをしに行って実際に英語を使ってみて……とか。チームメイトと食事に行くのをレッスンだと思って(笑)。」
そうすることで、多くの時間を英語学習にあてることができた。川島選手のようになんでも「学び」に変えていく積極的な姿勢が、語学学習には重要なのかもしれない。
ところで、スタンダール・リエージュを退団してからの約半年間、無所属期間があったことは記憶に新しい。なかなかクラブが決まらない中でも、日本に帰国せず、あくまで海外をフィールドに見据えていた理由とはどのようなものだったのだろうか。
「イングランドのレスターで練習させてもらったのが自分のなかでは大きかったんです。練習のなかで飛んでくるボールがベルギーのとき以上に強かったりとか、そういうのを実際に練習のなかで感じさせてもらって、今まで見えてないものが見えた感覚があったので。もう一回チャレンジできるんじゃないのかなと思ったんです。年齢も重ねてきているのでヨーロッパで得た経験を、また違うヨーロッパのクラブでもう一回挑戦できるというか、その経験から今度は何ができるのかというのを含めて、トライできるのかなというのはあります。」
現在ダンディー・ユナイテッドに所属する川島選手だが、当初はスコティッシュ・イングリッシュに苦戦もしたのだという。
「最初ダンディーについて駅からタクシーで来たんですけど、タクシーの運転手さんが言ってることなんにもわかんなかったですもん。ハンバーガー頼んだときも、ウェイトレスが『バーガー』じゃなくて『バルガル』って。でもこの前、イングランドの試合のハイライトの、試合終わった後に監督とかがコメントするシーンを観てたんですね。そうしたら、ひとりの監督がしゃべってるの聞いて『あ、この人絶対スコットランド人だ』と思って。調べたら本当にスコットランドの人でした。やばい、スコティッシュ英語がわかるように(笑)。」
今回決定した日本代表復帰についてはどう考えているのだろうか。川島選手は日本代表を「特別な、憧れの場所」だと言う。
「日本代表にもう一回入れたということは、自分としては本当に光栄なことだと思うし、ここからまた世界に勝っていくために戦っていかなければいけないと思っています。自分も6ヶ月間クラブがない中でも見据えていたのは、もっと世界と対戦して、その中で勝っていくゴールキーパーになりたいということだったので。またこういう新しいチャンスをもらえたので、それをもう一回示していきたいなと思っています。」
そんな川島選手は今後どのように進んでいくのか。引退後について聞いてみると、今はあまり考えていないという。すこし早すぎる質問だったかとも思ったが、むしろ20代の頃の方がそういうことを考えていたのだと川島選手は言った。
「30歳を過ぎてから、今のこの与えられた環境の特別さじゃないですけど、海外でこういうチャレンジができていて日本代表というところで世界と戦うチャレンジができていて、ということを考えたときに、まずやっぱり自分ができることに対して120%以上を注ぐことが先に繋がるんじゃないのかなという方向に頭のなかが変わってきたんです。そのなかで、空いている時間で語学も勉強はできるし、自分にできることを増やすことはできると思うんですよね。ただ自分のキャリアが終わったあとのことを考えて行動し始めるというよりは、今の自分のキャリアをどれだけもっと充実させるかというところに頭が行ってると思うし、その分サッカーに対する気持ちがより純粋になってきてるのかなと思います。」
「サッカー選手って特別な職業だと思うんです。自分が愛することをしながら人と感動を分かち合えるという職業はなかなかないと思いますし。反面、50になっても60になってもずっとやれる職業でもないわけです。だからこそ、その時間を充実させることというのは一番大切なんじゃないかなと僕は考えてます。」
インタビューの間、川島選手に感じたのはとにかく真面目でひたむきな印象だった。そのひたむきさで語学も習得してきたのだろうということは、容易に想像できる。しかしそもそも、川島選手の英語力の原点はどこにあったのだろうか。学生時代から英語学習にも力を入れていたという川島選手。彼の英語力を引き上げていったのは、「カッコイイ」という単純で強靭なモチベーションだった。
「もともと外国に対する憧れはあったんですよね。外国人の人が英語をペラペラしゃべってるのがなんかカッコイイなみたいな、自分も英語をぺらぺらしゃべれるようになったらカッコイイだろうなみたいな単純な理由で。それがモチベーションだったんですよ。
それで英語の授業をがんばって勉強して、点数もよかったんですよね。そこが入りです。
中学校のときまでのことをやっておけばある程度しゃべれるようになるとよく言いますよね。その時はそんなことないだろとか思ってましたけど。でもちゃんと中学のときやってたことがベースになっていると、自分がしゃべりたいこととか文法的なこととかもカバーできちゃうし、そういう意味で、理由は不純だったかもしれないですけど、そのおかげでベースはできたのかなというのはありますね。」
学校での学習でベースを作ったあと、川島選手はどのように英語を学んでいったのだろうか。ここまでの英語力を獲得するために、特別な勉強法があったのなら教えて頂きたい。そんな思いで訊ねると選手は「なんでもやりましたよ」と笑った。
「語学学校にも行ったし、自分でも本で勉強してたし、何か機会があれば直接話してたし、毎年一回は英語圏に旅行に行くと決めてやってたりとか、ベルギーに行く前はオンラインでの英語学習も自分でやったりとか、やれることはなんでもやりました。朝も分からなくてもBBCを流したり。
英語のための自分への投資もしました。例えば英語の本を最初に買ってそれができなかったら、『あ、自分は英語がしゃべれないんだ』みたいな気持ちになるじゃないですか。でも、モチベーション保つためだったら本をもう一冊買ってもいいんじゃないかと思って。1000円をプラスで払っても自分の勉強したい気持ちは保てるならいいじゃないですか。だから飽きそうになったら違うことにスタートしてみたりというのは、けっこうやっていました。」
それだけの勉強をしていたのなら、ベルギー移籍の際にも語学面では困らなかったのではないのだろうか。そう聞くと以外にも”No”の返事が返ってきた。
「いや、ついていけなかったですよ。チームメイトと食事に行ってみんなで冗談言い合ってるときとかついていけなかったし、ただ聞いてるだけで。”Yes, yes”みたいな。話を振られても笑ってごまかすしかできなかったし。でも自分が全くしゃべれなかったらもっと辛いんだろうなと思ったら、英語をやっててよかったんだなと思いましたね。」
英語をやっていてよかった。そう語る川島選手の表情には強い実感が込められていた。
そういう風に言える日本人が一人でも多く増えてほしい。川島選手が共同代表を務める「グローバルアスリートプログラム」の趣旨も、同じところにあるのだろう。
昔は高い授業料を支払う必要のある英会話レッスンや、お互いの顔の見ることのできない電話を使ったグループレッスンのようなサービスしかなかった。そこからすると、今は随分恵まれていると川島選手は言う。
「今はDMM英会話のようにオンラインで直接話す機会が増えているし……。これからの日本人は世界のなかで自分からちゃんと発信できることがすごい大切だと思うんですよね。例えば日本がいくら評価されていても、じゃあ日本から海外に出るときに自分を言葉で表現できないとか、自分の良さとか日本の良さを伝えられないというのは、これからのあるべき姿じゃないと思うんですよ。これからの日本人というのは、そういうのを外にちゃんと発信していけるようになっていくべきだと僕は思うので、それを今の若い世代の人たちは担っていると思うので、ぜひ英語勉強してどんどんどんどん海外に出て行ってほしいなと思います。」
最後に、DMM英会話のホームページにもしばしば登場しているリトアニア人の人気講師、グレタ先生と英語で会話していただいた。以下に会話の内容を一部抜粋する。
In the beginning, not learning but listening to Scottish English was difficult
英語?今はもう大丈夫。最初、スコティッシュ・イングリッシュを聞き取るのが難しかったかな。
Oh, that’s right.
ああ、そうでしょうね。
But since, I left Japan, I’ve been speaking English so now I feel like even when I speak English, I’m speaking in my own language.
You live in Lithuania?
日本を離れてからずっと英語を話しているので、今では英語を話していても自分の言葉を話してるような気分になるよ。
リトアニアに住んでいるの?
Yea, I live in Lithuania.
ええ、リトアニアに住んでいます。
I think there is one Lithuanian player in my team.
僕のチームにリトアニア人がいたと思うよ。
Really? Wow.
Actually, in Lithuania, basketball is more popular as you know.
There are a few football players.
本当?へぇ! じつは知ってると思うけど、リトアニアではバスケットボールの方が人気なんです。サッカー選手も少しいるのよ。
He told me that he played a few games for the national team.
彼は、リトアニアの代表チームで何回か試合に出たって言ってたよ。
Actually, we’ve had a national team for, I don’t know, for the past two or three years.
It’s a new thing. Football is getting popular in Lithuania these days. But basketball is like our religion or something.
じつは、国の代表チームが出来たのはたしかここ2、3年前くらいからなの。まだとても新しいの。最近リトアニアでサッカーも人気が出始めてきたわ。でもバスケットは国をあげて熱狂的に打ち込んでいる感じなの。
Is it the biggest sport in Lithuania?
リトアニアでは一番大きいスポーツなの?
Yea No.1! Absolutely. So when did you start playing football?
そうね、ナンバーワン。絶対的よ。
それで、あなたはいつサッカーをはじめたの?
Football? It was a really long time ago. When I was 6 years old, I think.
I went to the park with my family. With my dad and my brother. We would all just play together, but then I started to feel that I love kicking the ball so that’s when I started football.
サッカー?本当にずいぶん前からだよ。6歳の頃だったと思う。家族で公園に行って。父と兄とみんなで遊んだな。でもそれでボールを蹴ることが好きだって気づいて、サッカーを始めることにしたんだよ。
What about Global Athlete?
It is a kind of organisation?
グローバルアスリートについての話はどうですか?
これは団体みたいな感じ?
Yea. I started in 2011, I think, after my first year in Belgium.
It was then that I thought to myself that it’s important to learn English when you go abroad. If you don’t speak it, you will not feel confident about your performance, and you will not know what they’re saying around you and you’ll get scared.
そうだね。2011年に始めたと思う。ベルギーでプレーした最初の年の後だったかな。その時に自分の中で、海外移籍した時に英語を学ぶことの重要さに気づいたんだ。もし話せなかったら、自分のパフォーマンスに自信が持てないし、自分の周りで言ってることもわからずに不安になるからね。
Yea, of course. I understand.
そうね。間違いないわ。よく分かる。
I’m very happy that you (DMM Eikaiwa) also support this Global Athlete project.
I love this project because not only is it for athletes but it’s also for the Japanese (Business) people to learn to speak languages and to show ourselves to the world.
今回DMM英会話がグローバルアスリートプロジェクトのサポートをしてくれることになって本当に嬉しいよ。アスリートのためだけじゃなく、語学を学ぶ日本人が自分のことを世界へ示すことが出来るようになるからね。
Yea, of course.
本当ですね。
It’s important to speak English if you go abroad and talk about what you think and what you do.
海外に行ったら自分の思う事、自分のしている事を話すために英語は重要です。
So Global Athlete helps support Japanese sports men to …?
じゃぁ、グローバルアスリートプロジェクトは日本人アスリートの・・・・
Learn English!
語学(英語)学習をサポートするよ!
川島選手の英語はとても落ち着いた口調で聞き取りやすく、大変流暢である。相手の質問を的確に捉え、わかりやすく答えてくださった。
Was it hard for you to learn English?
英語の勉強は大変でしたか?