DMM英会話ブログ編集部
(更新)
“ロードレース” と聞いて皆さんはどのようなイメージをするだろうか?
「山岳などの険しい道のりや街中を猛スピードで駆け抜け、速さを競う。」
確かにそうだ。しかし、実際は一言では言い尽くせない、奥が深い競技であることを今回のインタビューを通して知った。
個人競技でありながら、選手それぞれ役割を持つチーム戦であり、時には相手チームの選手と協力し、レースを進める。
雨や雪、風などの外的要因があろうが、ありえないロケーションを、そして他のスポーツではありえない長い道のりと時間を走りきらなければならない。
「そこには非日常的な世界がある。」
過酷なロードレース界に身を置きながら、こう語る一人の日本人プロ選手がいる。
2016年9月初旬にスペインで行われたプロロードレース大会、ブエルタ・ア・エスパーニャで3週間にも及ぶレースを終えてすぐ日本へ一時帰国している別府史之選手だ。
別府選手は、グローバルアスリートプロジェクト設立時初期からのサポート選手であり、アンバサダー選手でもある。
そして、同じくアンバサダー兼発起人の川島永嗣選手とは、グローバルアスリートプロジェクトを通じ知り合い、現在も親しい間柄である。
2人の出会いは、2012年、別府選手が出場するベルギーのリエージュという町で行われたレースに、現地に居合わせた川島選手が応援に駆け付けたことがきっかけだ。
そして奇しくも翌年、川島選手はそのリエージュを本拠地とするクラブチームへ移籍することになった。年齢が近いこともあり、プライベートでも交流が深まっていったという。
さらには2016年8月、川島選手はフランスのクラブチーム・FCメスへ移籍となり、現在フランスのリヨンに住む別府選手の近所に引っ越してきた。何か縁があるのではないか、と思わずにいられない偶然だ。
そんなこぼれ話や、普段はなかなか聞くことのできないロードレース、海外での生活について、忙しい合間の貴重な時間を頂戴し、話を伺うことができた。
「自転車との出会いは、小学1年生の時。父の友人が遠いところから自転車に乗ってやってきたのが始まりです。それが結構インパクトがあって、そのあと、ツール・ド・フランスの生中継をテレビで見て、『こんなレースがあるんだ。ちょっと家族ぐるみでやってみようか。』と、最初は楽しんで乗り始めました。」
小学3年生の時にはレースに参加するようになり、以後高校入学までに全国のロード、マウンテンバイクの大会で20連勝以上を含む多くの優勝を記録した。
高校2年の夏にはカナダへ初の海外遠征を経験し、このころからプロになる目標が具体化したという。
これまでいくつもの日本人初という記録をつくり、世界に日本人ロードレーサーの存在を知らしめてきてくれた。
なぜロードレースの本場ヨーロッパでは、有名な日本人選手がいなかったのだろうか。
「そもそもチャレンジして来なかったっていうのがあると思います。それに、それだけ狭き門なんです。ヨーロッパでは100年以上続くレースもあり、歴史のあるスポーツなので、そこに日本のように自転車の歴史が浅い国の選手が行って活躍するというのはすごく難しいんです。」
「海外で戦ってきた先輩選手たちに色々話を聞かせてもらったとき、『多分、日本人がヨーロッパでプロになるのは無理だよ。』ということをすごく言われたんです。でも、やってもいないしトライもしてないのに、何でそこでネガティブなことを言うんだろうって思って、『じゃあ、自分がやってやる。』というモチベーションに繋がりました。」
別府選手には、元プロロードレーサーで現在は愛三工業レーシングチームで監督を努める兄・匠さんがいる。
4歳年上の匠さんは、先にヨーロッパに渡っており、そこで感じた現状を別府選手に伝えてくれた。
「兄が数年間ヨーロッパのチームに所属していたんですけど、『ヨーロッパでも年間で一握りの選手たちしかプロになれないんだよ。』と言ってくれたことがすごく大きかったんです。
アジア人で日本人の自分が、レベルの高い現地の選手たちと競いプロになるというのは、相当困難なことだと思いましたし、時間がない、焦らなきゃいけない、と実感しました。」
多くの同年代選手たちが大学進学や他の道へ進む中、別府選手は急がなきゃいけないという危機感を持っていた。そして、その背中を押してくれたのは両親の言葉だった。
「やっぱり目指したからってプロになれる保障がないし、親としても不安だったと思うんですよ。でも、『大学は今じゃなくても行けるけど、プロになるのは今しかないんだよ。やるだけのことはやりなさい。』と言ってくれました。何か自分のやりたいことをやっていくためには、覚悟して自分で勝ち取っていかないといけないし、やるからにはしっかりビジョンを持ってプロになろうと決心しました。」
そうして高校卒業後、国内のチームに所属しながらも海外派遣のチャンスを掴み取り、単身フランスへ渡った。
一つ、誤算と言えば、当初はイタリアに行くことを希望していたらしい。
「初めはイタリアに行く気満々で、イタリア語を勉強してたんですよ。それが最終的にフランスになったので、やばいと思って勉強し直しました。でも最初に監督と会って話したら、『あれ、お前イタリア語できるの?』って言われちゃって。間違えてイタリア語で自己紹介してしまったんですよね(笑)。」
「初めはやっぱり言葉で苦労もありましたけど、向こうで生活していくうちに、必要最低限のことは徐々に覚えていきました。あと、アパートを借りたり、電話線引いたりと自分でやらなくてはいけないことがたくさんありましたし。そのうち、『あ、これ日本語で聞いたことある。』というような単語もあって、言葉っておもしろいなって思ったんです。それに、これができないと始まらないなと感じました。」
また、選手間の会話は英語になるので同時に英語も習得する必要があった。
「ヨーロッパの選手って結構英語話せますけど、文法が違ったり、書けなかったりということも多いんです。でも結局は話せないとコミュニケーションが取れないし意味がないので、積極的に話して伝えることが重要だと感じました。
日本だと正しい英語ができなかったら、もう英語ができない人とされてしまいがち。でも諦めないで人とコミュニケーション取るようにすると、おもしろい発見があったり、深い話ができるようになっていくと思います。そういう心がけをしていたら、人が好きになっていったんです。国籍やルーツの違う人の話を聞き、考えや意見を知る事ができたことで、自分の知らない世界が見えてきました。」
海外経験が長い別府選手だからこそ、言語の大切さと面白さを人一倍実感しているはずだ。
しかし多くの苦労もあったに違いない。そんな別府選手に気軽に受けられるオンラインレッスンについて聞いてみた。
「僕自身、外国語を学ぶ上で“人と話すこと”がすごく重要だと感じたんです。なので普段英語を話す機会があまりないなら、オンラインというのはとても便利なツールだと思います。言葉が完璧じゃなくてもいろいろな国の人とコミュニケーションが取れると、現地の情報が得られたり、生の声が聞けたり、それって得なことですよね。何より自分の世界が広がります。」
海外生活が長く、現在もフランスに住む別府選手。ずばり住んでみてのギャップやハプニングについて聞いてみた。
「いやぁ、フランスに住むのは今も難しいと感じます(笑)。逆に皆さん、フランスってどんなイメージですか?」
『フランス』と聞いて、エッフェル塔や歴史的な建物、おしゃれな街並みを思い浮かべたのは私だけではないと思う。
「それなんですよ(笑)。『いいなぁ、フランス住んでるんだ。』なんて言われるんですけど、大変な部分も多いです。例えば、インターネット繋ぐのに3ヶ月かかったり。繋いだと思ったら隣の家繋いでて、でも請求は来続けたりします。問い合わせても電話になかなか出なかったり、そもそも電話番号が書いてなかったりするんです。上手く仕事をしないテクニックですよね(笑)。」
「でも、すごく人間らしいなって思います。日本にいると忙しい毎日を送っていて、自分が自分でなくなるような、そんな感覚さえなくなってしまうことがあります。でも向こうにいると、自分自身のことをしっかり考える余裕や時間がある、そういう点はすごく良いなって思います。フランスというと都会なイメージをも持たれますけど、今住んでいるところはリヨンの郊外なので、住所がないんですよ。“○○村の××通りの別府さん”で荷物が届くんです(笑)。」
ロードレースでは、高い瞬発力を誇り平地を得意とする『スプリンター』や、山岳ステージを得意とする『クライマー』など脚質によって得意なステージが異なる。
しかし別府選手は、平地、登坂をも得意とする『オールラウンダー』、そして日本人で初めて「モニュメント(五大クラシック)」と呼ばれる由緒あるレースを全完走している。
「モニュメント」は、激坂が多いコースや石畳が多いコースなどそれぞれ違うため、スター選手は自分の得意なコースにフォーカスして走るのが一般的。
ヨーロッパのプロ選手でも「モニュメント」全完走はなかなかいないそうだ。
「レースはすごい過酷です。一日に富士山より高い6000mほどの標高(※獲得標高)を上りますし、下り坂は時速100km、平坦な道でも時速70kmくらいでるんですよ。」
それを一日5、6時間、ヘルメットと薄いグローブだけで走る。
ロードレースには1日で完結するワンデーレースと、2日間以上に渡って開催されるステージレースがあり、世界最高峰の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスなどは3週間をかけてコースを走る。
「やっぱり長く走っていると、人間ってどっかのタイミングで体調が悪くなるんですよ。前の日は調子良かったのに、いきなり力が入らないみたいな。選手の間では“バッドデイ”と言われてるんですけど、それは誰にでもある日だから、気持ちでごまかしていかないと精神的にやられてしまいます。次の日いきなり戻ったりするんですけどね(笑)。」
驚いたのがレース時のカロリー消費量だ。その過酷さが伺えた。
「レース中に食事もしなければいけないので、補給食というのが背中のポケットに入っていて20kmおきに摂ります。ウィダインゼリーの濃縮版のようなものがあるんですけど、本当に砂糖の塊。普通の時食べると甘すぎてくらくらします。あとは補給地点やチームの車に渡してもらったり。多いと一日に7,000カロリー消費することもあるので、しっかり摂らないと危ないんですよ。低血糖に陥って頭がくらくらしたりするんですけど、自転車ってスピードがでてるとそのまま走ってしまうので、極限状態になると涙とか勝手に出てきたりします。」
レースは一度に200人ほどの人数が走るが、優勝者は一人。
階級があるボクシングなどと違い、ロードレースで優勝することは、いわば無差別級のチャンピオンだ。
過酷なレースかつそのような厳しい世界だがロードレースの魅力についてはこう話す。
「自転車というツールを通して世界を回って、人と出会えるということはとても貴重な経験だし、自転車をやっていて良かったと思う瞬間です。また、現地の方との関わりや、ファンの方との交流も楽しみの一つです。」
「今後については、まず目先の目標として、10月にある日本最大のロードレース、ジャパンカップで結果を出すことです。4年後の東京オリンピックもあっという間だと思いますが、現在向こうのトップカテゴリーでやっているというのはすごく重要なことですし、囚われずに第一線で活躍していきたいと思っています。海外を拠点にしているからこそ、日本人代表として恥じない走りをしていきたいです。」
今回の帰国では、東日本大震災の復興支援の一環である『ツール・ド・東北』のレースにも参加された別府選手。
母国で何が起こっているのか、現状はどうなのか、世界で走るアスリートとして自分の目で見て聞いて伝えるのは重要なこと、と語ってくれた。