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ラッパー・GAKU-MCが語る “人とハッピーにつながる方法”

ラッパー・GAKU-MCが語る “人とハッピーにつながる方法”

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GAKU-MC

@gaku_mc
1970年、東京出身。’90年EASTENDを結成。‘94年にEASTEND×YURI名義でリリースした「DA.YO.NE」が大ヒットを記録。’99年からソロ活動を開始。’11年に自主レーベル「Rap+Entertainment」を設立。’12年には音楽とキャンドルの灯りを届ける復興活動「akalitolive(アカリトライブ)」を全国各地で行う。同年、桜井和寿(Mr.Children)とともに音楽とフットボールの融合団体「MIFA(Music Interact Football for All)」を設立。’13年、ウカスカジーを結成、日本サッカー協会公認日本代表応援ソングを制作。’14年4月、ベストアルバム『THE BEST “GRADATION”』をリリース。’15年6月、アカリトライブテーマソングでもあるシングル「希望のアカリ」リリース。 〈オフィシャルサイト〉

ラッパーGAKU-MC。1994年、EAST END×YURI「DA.YO.NE」の大ヒットでラップの楽しさを日本中に広めた日本ヒップホップ界のパイオニア。そんな彼は、常に “音楽+α” を意識することでつながってきた。Mr.Childrenの桜井和寿とのスペシャル・ユニット「ウカスカジー」で音楽とサッカーをつなぐ。音楽とキャンドルの灯りで日本と世界をつなぐ「akalitolive(アカリトライブ)」で震災復興を願う。

いまもなお第一線で活躍しながらも日本のみならず世界ともつながってきたラッパーGAKU-MCに、人とハッピーにつながる秘訣を訊いた!

 

お客さんの注目が集まったからこそ、できることが広がった

GAKU-MCさんのヒップホップとの出会いは、いつごろだったのですか?

中学生の頃、僕はサッカー部だったんですけど、レギュラーになれず、ぽっかり空いた胸のなかに入ってきたのがヒップホップでした。当時、日本でもブレイクダンスが流行りだしていて、「いいなぁ!」と。そのうちにダンスよりも、そこで鳴っている音楽に興味が湧いて、16歳でラップをはじめました。

当時はラッパーという存在自体が、日本ではあまり知られていませんでしたね。

マイナーですよね。ただ、同じような時期にラップをはじめた人は結構いましたし、僕よりちょっと年齢が上の方々もいましたけど、僕はアメリカのヒップホップをみて「なんとか日本でやってみたいな」って思っていました。

当時、影響を受けたアーティストは?

LL COOL Jとか、RUN D.M.C.ですね。ヒップホップというものをつくりあげたアメリカのアーティストたち。そういうオリジネーターとかパイオニアのようなアーティストが、すごく好きだった気がしますね。

当然ですが、歌詞も英語ですよね。

最初は、聴いた英語をカタカナで書き取って英語でやってみたりとか、そういうところからはじめましたね。でもまぁ、今聴いたらきっとひどいでしょうね(笑)

音源、あるんですか!?

ないでしょ。実家に帰れば、どっかにテープがあるかもしれないけど、あんなのが出回ってたら危ないですよ。(笑)

英語ではじめたラップを、日本語でやろうと思ったきっかけは?

初めてのライブのときに、あまりの緊張で歌詞が全部とんで、同じ歌詞を3回歌ったんですよ。だけど、それについて誰もツッコんでこなくて。「英語の歌詞じゃ、誰もわからないんだな」と思い、「これじゃ、いかん!」と日本語でやろうと思いましたね。

本格的に活動をはじめたのは、20歳頃ですよね。

20歳で、「EAST END」を立ち上げて、92年にデビューアルバムを出したんですけど。まだヒップホップがジャンルとして確立する前なので、「この素晴らしい音楽を、みんなにも知ってもらいたい!」「多くの人に聴いてもらうにはどういうアプローチをした方がいいのかな?」という想いのなか、紆余曲折の過程でデビューしているので、すごく実験的でした。

お客さんになんとかこっちを向いてもらう為にも、面白いこともいっぱい取り入れていこうとか。そんななかで、EAST END×YURIの「DA.YO.NE」というヒットがでて、多くの人に知ってもらえるようになりました。

お客さんの注目が自分に向いたからこそ、できることが広がった、というのはありますね。

 

みんながハッピーになれたら、自分もハッピーになる

GAKU-MCさんの活動されている中に音楽とサッカーを融合した団体「MIFA」があります。この「MIFA」を立ち上げたきっかけは?

僕は、サッカーにすごく助けられてきて、ずっと音楽を続けてこられた経緯もあって、すごく好きな音楽とサッカーをひとつにして、みんながそこでハッピーな気持ちになれたら、それは自分のハッピーにもつながるんじゃないか、と想いがあったんですね。そこで、そんな志を同じくする、桜井(Mr.Childrenの桜井和寿氏)たちと一緒に、サッカーと音楽で人と人をつなげる「MIFA / Music Interact Football for All」という団体を立ち上げたんです。

最初は、サッカーと音楽のイベントを何度かやってたんですけど、このまま大会やフェスをやっていくのか? MIFAはどういう目標をもって、続けていくんだっけ? みたいな将来的な話になって、「いつかはスタジアムをもちたいよね!」、「スタジアムを持つためにはどうしたらいいかな?」、「まず、フットボール場でしょ」、「じゃあ、不動産屋行きましょう!」って(笑)

実際に不動産屋に行ってみると、家賃を払ってフットボール場を運営することが結構大変だなってわかって……。そこで、「自分たちもユーザーのひとりとして、どういう施設だったらみんなが来てくれるか?」なんて夢を話し合っているうちに、今のMIFA Football Parkがある豊洲の話が出てきたので、「じゃあ、そこを借りてやってみようか!」と。

このMIFA Football Parkは、具体的には音楽がどういう風に関わってくるのですか?

音楽は、カフェ(MIFA施設内)で定期的にやっていますね。あと、年に1回、隣にあるライブハウス「豊洲PIT」でライブをやって、フットボール場にDJセットを組んでアフターパーティーをやったりとか。今、すごく良いバランスで、サッカーと音楽がカタチになりつつありますね。

 

ワールドカップのゴール裏でサポーターと一緒に歌った!

GAKUさんは、2014年のブラジルワールドカップにも行かれていましたよね。

ブラジルには3週間くらい居たかな。これも僕と桜井で「日本サッカーの応援歌を作りたい」と思って。数多あるサッカーの公式ソングは、これまでサポーターにはあまり歌われていなかったなと思ったんです。ちゃんとゴール裏でサポーターが熱を込めて歌う歌を作りたいというのがお互いの意見で、それを4年かけて研究して、ウカスカジーの『勝利の笑みを 君と』を作ったんです。

実際にこの歌を、ワールドカップのゴール裏でサポーターの人たちと歌って。最高でしたね!

ブラジルっていうと陽気なイメージがありますが、実際に行ってみてどうでしたか?

サッカーボールを持っていったんだけど、何にも言わずにボールをふっと渡すと、みんなリフティングしてくれる。そんな気楽な感じだね。100人いると、98人はするよ。日本人だったら、「えっ?!」って驚いちゃうけど、ブラジルの人たちはそうならないよね(笑)

あと、ブラジルではホテルじゃなくてブラジル人のお宅を泊まり歩いていたんですよ、僕。

ええっ! 一般の方の自宅ですか?

『Airbnb』っていうサイトがあって、有料ホームステイみたいな感じなんだけど、それが好きでバンバン泊まり歩いていて。あと、ギターも持っていったから、「何か弾いてくれよ」、「オッケー!」って感じで、みんなと仲良くなりますし。最高だったね、あの3週間も。

最近、世界の秘境にも行かれているようですね。

3〜4年ほど震災復興イベントで「akalitolive(アカリトライブ)」というものをやってるんです。「akalitolive」は、キャンドルホルダーと呼ばれるキャンドルを入れるカップに、メッセージを書いてもらって、それを届けるっていうイベントで。

最初の年にキャンピングカーで日本一周をして、「このキャンドルホルダーを集める旅は、なにも国内に限定することはないな」と思って、年に1回は海外でもやっているんです。

ただ、震災復興とかになると、肩にチカラが入り気味になる人もやっぱり多いと思うので、楽しみながらやらないと続けていけないな、と。そこで、「海外はちょっと笑えるところが良いんじゃないか」というところで、最初はジープ島っていう外周が110mしかない小島に行ってきたんです。

そして翌年は、「アメリカの一番いいパワースポットへ行こうぜ!」と、セドナに行って、つい先日はパラオへも行ってきました。

 

“英語がうまくないから喋らない” は、なんの得にもならない

外国人とのコミュニケーションのコツは、ありますか?

英語を話すときは、間違いを恐れないほうがいいですよね。「言い回しを間違えたら、笑われるんじゃないか……」とか思うかもしれないですけど、実はそんなことは、相手は全然気にしていない。「お互いをもっと知っていこうよ!」って接していれば、だいたいハッピーな感じになるんじゃないですかね。

間違いを恐れないで喋るにはどうすれば良いですか?

僕は学生のころ、シェアハウスというかバックパック宿に住んでいたから、英語が流暢ではない外国人もいっぱいいて。だから、“英語がうまくないから喋らないとか言っていても、なんの得にもならないな” ってすごく感じていました。コミュニケーションを取るのに文法なんて関係ないし、そんなことで貴重な機会を逃していたらもったいないぜ! って思いますね。

喋っているうちに、言い回しがわかってくるものですか?

話をしているうちに、教えてくれるよ。「こういう場合は、こう言ったほうがいいよ」「今は、そんな言い方しないよ」、とか。言葉はどれだけパス交換ができるかだと思うから、とにかく、その前に自分のシャッターを降ろしちゃうことが一番もったいないですね。

言葉もそうですけど、音楽だって、サッカーだって、どれだけステージ立って、どれだけピッチに立って、人とつながっていくかだと思うんです。言葉はあくまでもコミュニケーションをする道具で、それ自体が目的ではないから。

 

旅は単純に面白い、海外の面白さは “刺激的”

ひと昔前に比べると、今は海外でチャレンジしやすくなって来ていると思います。海外との距離が近づいているというか。

ブラジルに行ったとき、40代は僕だけで、あとはみんな20代だったんですけど、彼らのネットに対するフットワークの軽さっていうか……。僕なんかは、「そこに可愛いブラジルのお姉さんがすごいちっさいビキニで歩いてるのに、なにお前らケータイいじってんの?」って感じだったんだけど、彼らはFacebookを投稿しているわけですよ。「今日、このあと1時からサッカーをやります。近くにいるひと来てね」って。「そんなもん来るかよ!」って思ってたら、30人くらいわーっと集まってきて。「なにそれ! お前らのネットワーク、どうなってんのよ?」ってビックリしましたね(笑)

ネット時代じゃないですか。だから本当に使い方だと思いますね。今のツールも活かしながら、頑張ってみるのもいいと思います。僕が20代で海外へ行ったときは、もっと肩にチカラ入ってたけど、今は全然チカラ入ってない人もいるんだなぁ、って思います。

肩にチカラとは?

当時は「海外へ、行ってきます!」ってみたいな感じだったね。辞書やガイドブックを選んで持っていかないといけないし、ウォークマンで聴くCDも「10枚はちょっと多いかな……」って選んだり。今は関係ないでしょ。クレジットカードとスマートフォンがあったら。LCC(格安航空会社)もいっぱいあって、すごく安く行けるようになったしね。

GAKU-MCさんにとって、海外の旅が自分へどういう影響を与えていると思いますか?

旅は面白いからね、単純に。今まで25カ国くらい行ったけど、海外の面白さはすごく刺激的だし、逆にそこで日本の良さもビシビシ感じることもある

「海外へ行くよりも前に、日本を見とけ」っていう人もいるけど、いいよね、別にね。国内はいつでも行けるからさ。「行けるタイミングで、行こうぜ!」って思います。そのうち爺さん婆さんになったら、日本がいいなって思って、日本を旅するからさ。やっぱり海外は体力を使うから、元気なうちにガンガン経験してほしいですね。

 

ギター1本持って、どうにかなる生き方をしたい

いろいろチャレンジし続けているGAKU-MCさんですが、今後のさらなるチャレンジがあれば教えて下さい。

今、弾き語りの全国ツアー中で、今回は7カ所くらい回るんですけど、60歳くらいまでには各県1店舗はそういう付き合いのあるお店は持ちたいなぁ、と思っています。プライベートでどこかへ旅にいった帰りにライブできたら、最高じゃないですか。そういう出会いをもっともっと増やしていって、ギター1本持ってたら、どうにかなる生き方したいなって思う。

今回もライブを終えたあと、その街の人たちとサッカーをやって帰ってきてるんですよね。大阪でもやったし、九州の福岡でもやったし。これを日本中でできたら最高ですよね!

GAKU-MC / 希望のアカリ(RaplusEntertainmentより)