平 理沙子
(更新)
今回取材したDMM英会話ユーザーさんは、調査会社を経営しながら、ボクシングのレフェリーとしても活動し、これまで5000試合以上に携わってきたという異色の経歴を持つ中村勝彦さん。
中村さんが英語学習を始めたのは、2010年の45歳のとき。きっかけはボクシングで国際試合のレフェリーを務めたこと、と語ります。
中村さん
「2010年に女子の世界タイトルマッチのレフェリーを経験したときに、外国人レフェリーやスタッフと一緒に仕事をすることになり、語学の必要性を痛感しました。
国際的な試合になると、ルールの説明やミーティングなども全て英語になるんです」
現在、54歳となる中村さん。
「昔よりもの覚えが悪くなったけど、全く覚えられなくなったわけじゃない。昔は1回で覚えられたことも、今は5回、6回と繰り返しています。でも、それだけやれば覚えられるから!」と明るく語ってくれました。
経営者とレフェリー、2つの顔を持ちながら、英語にもチャレンジし続ける中村さんの1日をご紹介します。
PHOTO : Nuntiya / Shutterstock.com
普段は8時頃に起床する中村さん。
中村さんのご実家はお寿司屋さんだそうで、
中村さん
「広尾のあたりにお店があって、昔から外国人のお客さんもよく来てましたね。子供の頃から時々、自分も店を手伝っていましたが、中学生になったタイミングで、ある外国人の常連さんから英語を習うことになって。
その方のお宅に伺うたび、"How are you?"と挨拶されていたんですが、何て返したらいいかわからず、逃げていましたね(笑)」
起床後にその日のレッスンを予約。15〜30分ほどで予習も行います。
中村さん
「教材は基本的に『デイリーニュース』を使っています。バックグラウンドがわかる時事問題だと理解しやすいですね。レベルは8以上のものを選ぶようにしています」
また、予習の方法について伺うと、
中村さん
「一度本文を音読し、ザッと設問も読む、そしてわからない単語を調べる、といった流れです。こんな風に軽く予習をする程度ですが、同じ教材を使い2、3回繰り返してレッスンを受けることで、頭に叩き込むようにしています。
以前は、1時間くらいかけて教材をプリントアウトして読み込んだり、設問に対する回答を英語で書いたりしていたのですが、つらくなってきてやめちゃいました(笑)。
今のやり方は、先日DMM英会話のBARイベントに行った際、外資系企業で働くユーザーさんに聞いたんです。一度試してみるとすごく自分に合っていたので、その方法で続けています。参加して良かったですね」
午前中は、自宅兼事務所で業務にあたります。
大学卒業後に10年間銀行員として務め、その後、調査会社の雇われ社長を務めていたのですが、オーナーが亡くなってしまったので、去年調査会社を新しく立ち上げたそう。
ボクシングレフェリーとはあまり結びつかない経歴を持つ中村さんに、レフェリーを始めたきっかけについて伺いました。
中村さん
「子供の頃からボクシングを観るのが好きだったんです。ただ、目が悪いのでボクサーになるのは無理だなぁと思いつつ、いつか触れる機会があれば、とは思っていました。
そして26歳で結婚し、たまたま近所にあったボクシングジムに入会。そこに10年間通い続けていたんです。
そんなある日、ボクシング専門誌を眺めていると、試合役員の募集記事があったんですね。そこでまずは、選手未経験でも大丈夫そうなリングアナウンサーに応募しました。
その研修期間中に、『元選手でなくても審判はできる』ということがわかり、『じゃあ、俺もやってみるわ』と決意。2004年にライセンスをもらい、その年の終わりにデビューしました」
子供の頃から好きだったボクシング。結果として、ボクシングを『観たい』が飽き足らず、『やりたい』に。そして『やりたい』も飽き足らず、『関わりたい』になっていったそうです。
午前中に予習した『デイリーニュース』のレッスンが始まります。
教材を活用しながらも、前後のディスカッションパートやフリートークでは、趣味のお酒の話で講師と大盛り上がり。終始、笑い溢れるレッスンでした。
学習というよりは、純粋に、英語を通じたコミュニケーションを楽しんでいるように見える中村さん。
今日までの英語との関わり方について聞いてみると、
「最初は有名な聞き流し教材を使ってやっていましたが、『口を動かさないとダメだ!』と思い、2012年頃からオンラインでの英語学習をはじめました。
他社も含めいくつか試しましたが、講師が世界中にいて、教材の豊富なDMM英会話が一番続いています」
また、英語とボクシングの関係性については、このように話してくれました。
中村さん
「ボクシングの世界では、国内の試合でも国際試合、例えば日本人対フィリピン人の対戦は多いし、世界タイトルの統括団体が開催する年1回の国際会議(コンベンション)に参加したり、団体とメールでやりとりをすることもあるので、やっぱり英語は必要ですね。
昔はコンベンションに行ってもほとんど何も話せませんでしたが、最近は少しずつやりとりができるようになってきました」
レッスンの後は、国会図書館へ。
年明けに登壇予定の講演のお仕事があるということで、最近はその資料や材料集めのために、図書館や法務局などに出かけることも多いそうです。
この日は仕事終わりにレフェリーのお仕事があるということで、仕事とレフェリーの両立について質問してみました。
中村さん
「見習い審判員は、ボクサーのプロテストに参加して研修を受けるのですが、そのテストは平日の昼間にあるので、なかなか普通の務めだとできないですね。私の場合は、文句を言われないよう数字だけは上げていたし、会社のオーナーも目を瞑ってくれていたのだと思います(笑)。
レフェリー仲間には、シフト制の仕事の人や、自営業やフリーランスの方が多いですね。ただ、きちんと許可を得て休みを取って両立させている一般企業の方もいますよ」
PHOTO : Nicolas Maderna / Shutterstock.com
仕事後は後楽園ホールへ移動。ここからは、中村さんのもう一つの顔・ボクシングレフェリーとしての務めが始まります。
取材当日は、WBOアジアパシフィック・フライ級タイトルマッチをはじめとする全7試合が行われました。
中村さんがレフェリーを務めるのは第4試合。それまでの間、ボクシング関係者やレフェリー仲間と談笑したり、ジャッジ(採点を行う審判)をしたりしながら出番を待ちます。
いよいよ、中村さんがレフェリーを担当する試合のゴングが鳴ります。
リングに上がった瞬間から、普段の和やかな表情が一変。一気にキリッとしたプロの顔に変わったのが非常に印象的でした。
ボクシングの試合で審判をすることについて、中村さんはこう語ります。
中村さん
「死と隣合わせの仕事ですからね。自分のミスで亡くなる人が出るかもしれない、と思うと人生観も変わります」
また、レフェリーという仕事と英語が、密接に関連していることを痛感したエピソードについても話してくれました。
中村さん
「私がレフェリーを務めた世界タイトルマッチで、一度だけ試合後に揉めたことがあります。
ボクシングでは『何が原因で顔が切れたか、パンチなのか?頭なのか?』この判断ひとつで勝敗が変わってくるんです。
そのタイトル戦では、挑戦者の頭でチャンピオンの目が切れた直後、物凄い打ち合いが始まって、チャンピオンが血みどろになってしまった。そして、まだ途中だったのですが、『これ以上の続行は危険だな』と試合を止めたんです。
『頭で切れた』と判断したので、それまで優勢だったチャンピオンが負傷判定勝利を収めるかたちになりました。ところが、挑戦者陣営は『こちらのパンチが先に当たって切れたんだから、我々のTKO勝ちだ!』と譲らず、本部へ提訴したんです。
そこへ追い打ちをかけるように、海外から派遣されてきた試合立会人も『レフェリーとは言葉のバリアがあり、コミュニケーションが上手く取れなかった』と本部に報告をしてしまって…」
中村さん
「試合が終わって10日ほど経った頃、本部から私に『レフェリーとして意見を書いてくれ』という英語のメールが突然来たんです。
もし本部が私のミスジャッジと認定したら大変です。次の試合のテレビ放映予定や興行プラン、すべて狂わせてしまう。私も信頼を失います。
このときばかりは、英語で極めて重要なコミュニケーションをとる必要があり、かなり緊張感がありました。
結局、別の角度から撮ったビデオや、公聴会などでの審議を経て、私の判断は正しかったとの結論に至ったのですが、世界で審判を行うのには英語が重要だということをまざまざと実感しました」
レフェリーとジャッジを含めた、この日の全試合が終了。
最後に、中村さんから学習者の方に向けて、こんなメッセージをいただきました。
中村さん
「いま私は54歳で、来年55歳になります。私が学生のときから、日本は国際化し『これからは英語ができないとダメだ』と言われていたんですね。でも当時は正直、全く現実味がなかった。
しかし実際に、時代が変わるにつれ国際化が進み、英語を話せる若い人は爆発的に増えています。海外からのインバウドが増え、オンライン化も進む今、どこにいたって少なからず英語に触れる機会がありますよね。本当に、今は英語を学ぶチャンスが増えていると思うんです。
だからこそ、とりあえずやってみる。別に辛くなったらやめちゃえばいいんです(笑)。で、また気持ちが盛り上がってきたら、始めればいい。私だってしょっちゅう嫌になってます(笑)。
三日坊主だって、それを3年続ければ結構な積み重ねになるじゃないですか」
PHOTO : MAHATHIR MOHD YASIN / Shutterstock.com
力強く、しかし親しみやすい笑顔で、挑戦する人を励ますメッセージを下さった中村さん。
英語の今後の目標について、取材中に中村さんはこのように話してくれました。
中村さん
「ボクシングのレフェリーは、指名制なんですね。なので『こいつに任せたい』と思ってもらえる“ウリ”が必要。
英語力を磨くことで『日本人だけど英語が理解できているレフェリー』という評価で選ばれるようになってくれれば、すごく嬉しいですね」
そして取材から数日後、中村さんから嬉しいご連絡をメールでいただきました。
中村さん
「世界タイトル団体(WBO)のアジア責任者(アメリカ人)から、『11/20に中国の深セン市で試合があるけど、来られるか?』とMessengerを通じ、打診がありました。
他愛のない文章ですが、『こいつには英語が通じる』という前提があるからこそのオファーだと思います。もちろんこんなやりとりがストレスなく出来るようになったのも、DMM英会話のレッスンに取り組んで来たからです」決して無理をするわけではなく、「辛くなったらやめればいい」とフットワーク軽く物事に取り組む姿勢が、継続の一番のポイントなのかもしれない、そう気付かされた取材でした。