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英語学習はコスパ最高の「遊び」! Kohei講師インタビュー前編 【「これ聞いてeKnow?」リリース記念】

英語学習はコスパ最高の「遊び」! Kohei講師インタビュー前編 【「これ聞いてeKnow?」リリース記念】

DMM英会話の新サービス 日本人アドバイザー「これ聞いてeKnow?」がリリースされました!

海外経験豊富な日本人アドバイザーから、留学や海外生活、時には国際結婚まで(!)「これ聞いていいの?」という疑問を気軽に解決できるサービスです。

そこで今回は、日本人アドバイザーのKohei講師にお話を伺いました!

Kohei講師は日本のアパレル業界で10年ほど働いた後、英語初心者の状態でアメリカに移住。語学学校からスタートし、努力を続けた結果、最終的には現地の大学に編入。経済学を学んだ後、ロサンゼルスのアパレル業界で働いていました。

海外生活での面白い出来事や英語学習で工夫したことなど、リアルで役に立つ体験談を2回に分けてお届けします!

30歳でアメリカへ!

まずは自己紹介をお願いします。

福岡県出身ですが、高校卒業後に上京してファッションの専門学校に行きました。その後地元に戻り、洋服のセレクトショップで30歳まで10年間働いたんですよ。その間にアメリカやヨーロッパにバイヤーとして行く機会があって。それがきっかけで英語が喋れるようになりたいと思うようになりました。 あとはアメリカの文化や人にすごく影響を受けたというのもあって。10年働いた会社をやめ、30歳からロサンゼルスに留学に行きました。

最初は語学学校には1年だけ通う予定だったのですが、1年だけでは英語も次のキャリアに活かせるレベルにはならなかったんです。語学学校のカウンセラーから「コミュニティカレッジに行ったらどうか」と提案を受け、語学学校を卒業した後、ロサンゼルスから車で1時間南にあるオレンジカウンティにあるコミュニティカレッジ(※)に入学しました。

その時点でも英語はまだまだだったので、最初に1年ESLのコース(英語を母国語としない人のための英語学習プログラム)を取って。なので通常は2年のところ、僕は3年間コミュニティカレッジに通いました。その後、アメリカにもう少し滞在したかったということもあり、4年制大学に3年次から編入して経済学を学びました。アメリカでは大学を卒業すると1年間働ける OPT というビザがもらえるので、日本のアパレル業界での経験を生かし、卒業後はロサンゼルスのアパレルの貿易会社に就職しました。結局は7年間アメリカにいたことになりますね。

※コミュニティカレッジ:主にアメリカやカナダに多い2年制の公立大学。4年制大学への編入目的で通う人も多い。

30歳で会社をやめ、渡航されたのはすごいですね!最初のころは苦労されましたか。

語学学校でも、周りは英語がある程度できる状態で渡航している学生が多かったんです。でも僕は1人だけ社会人をやめて急に来て、英語もほぼゼロの状態でした。だから先生が言っていることに対しても「Yes」「No」しか答えられなくて、「ミスターYes」という変なあだ名までつけられました(笑)。

カフェにこもって周りの会話を ”リスニング”!

当時、英語学習はどうされていたんですか?

語学学校の授業が大体午後3時くらいに終わるので、そこからスターバックスに行って閉店時間の夜11時くらいまでこもって勉強していましたね。休みの日は朝から閉店まで入り浸っていました。

カレッジや大学に入ってからも、朝9時に学校の図書館に行って、夜は必ず1番最後に帰るというマイルールを決めていました。閉館時間になると、帰るのを促す音楽が流れるわけですよ。その音楽を聞くまでは絶対に帰らないっていう。

自分に厳しいですね。

でも、10時間ずっとカリカリ勉強していたわけではないですよ。カフェでは周りにお客さんがいるじゃないですか。その会話を盗み聞きしてメモを取ったりしてリスニング力を養っていたりもしました。

そんな勉強を重ねる中で、英語でのコミュニケーションに慣れてきたなと思ったのはいつ頃でしたか?

それには段階があってですね。僕の場合英語力ゼロから始まっているので、1年目はネイティブの友達を作ることはまだハードルが高かったんです。なので、とりあえず語学学校にいた僕と同じぐらいのレベルの、もしくは少し上の韓国人を捕まえて一緒にランチを食べたりサンフランシスコへ旅行したりしていました。その方がお互い会話のパートナーとして成立するんです。それから1年ぐらいして、ネイティブの同世代の友達を作って、あくせくしながらも会話できるようになっていきました。

ネイティブの友達はどうやって作ったんですか?

ひょんなことからですよ。学校主催のビーチパーティーで、誰かのホストファミリー先のご家族だったと思います。仲良くなって、今でもたまに連絡を取る仲です。不特定多数と仲良くするよりも、2、3人のすごく親しい友達を作って、マンツーマンで話す方が英語学習には良いと思っていましたね。

大学生活はまるでアスリートのよう

編入先の大学はコミュニティカレッジとは違いましたか? 

雰囲気は全然違いました。お遊びではないと言いますか、友達を作りに来たわけではなく、しっかり将来のことを考えて通っていた人が多く、みんなビジネスライクな感じでした。僕ももうそのときにはしっかり学ぶモードになっていたので、そこまで大きなギャップはなかったです。

交友関係の広げ方も変わってきそうですね。

確かにそうですね。理数系の公式を使った問題の解き方をクラスメートに教えたりして友達を作ったり、カレッジのときと比べてコミュニケーションの取り方が変わっていきましたね。

理数系の科目を英語で学ぶのって大変ではないですか?

逆に文系科目を英語で学ぶ方が大変でした。というのも、理数系はテキストにまだ数字が入っていたので、英語自体の分量は少なかったんですよね(笑)。実際、それが経済学を専攻した一番の理由だったりもします。

アメリカの大学は卒業が大変なイメージがあります。

おっしゃる通り日本の大学とは逆で、入るのはわりと簡単だけど卒業するのがすごく難しいっていうのは感じました。 学生でありながらアスリートみたいな感じです。本当にやることが多かったので、タイムマネジメントをはじめ、自分の生活を全て管理する必要がありました。授業についていける状態を作るために日々食事や睡眠時間も考えたり。

すごくストイックな生活をされてたんですね。

僕の場合はそうじゃないと無理でした。そんな容量よくできるタイプじゃなかったんです。もう学生という名のアスリートですよ。


後編では、Kohei講師が遭遇した仰天のエピソードや、長年英語と向き合ってきた中で見つけた「英語学習の考え方」について伺います!どうぞお楽しみに。

もっと海外生活についてKohei講師に聞いてみたい!と思ったら、ぜひ 日本人アドバイザーサービス「これ聞いてeKnow?」で相談してみてくださいね。