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シンクロ日本代表から世界最高峰のエンタメ集団『シルク・ドュ・ソレイユ』への挑戦ーー杉山美紗さんインタビュー

シンクロ日本代表から世界最高峰のエンタメ集団『シルク・ドュ・ソレイユ』への挑戦ーー杉山美紗さんインタビュー

水中で音楽に合わせて演技を行い、その技術点や芸術点などを競い合う*シンクロナイズドスイミング。テレビでシンクロが放送されているのを見て、思わず魅入ってしまった経験がある人は少なくないだろう。

かつてシンクロ日本代表として活躍していた杉山美紗さんが、現在活動の拠点としているのはアメリカ・ラスベガス。世界最高峰のエンターテイメント集団『シルク・ドュ・ソレイユ』のシンクロが組み込まれた演目『O(オー)』のパフォーマーとして、今日も世界中の観客を魅了し続けている。

今回、DMM英会話代表の上澤が現地でインタビューを行い、シンクロからエンターテイメントの世界へ挑戦した経緯や、彼女をパフォーマーたらしめるものは何なのかについて、お話を伺った。

* 2017年7月22日、国際水泳連盟が種目名を「シンクロナイズドスイミング」から「アーティスティックスイミング」に変更すると発表したが、本記事では便宜上、「シンクロナイズドスイミング(シンクロ)」と表記する。

舞台への強い憧れ

ー よろしくお願いします。
まずはシンクロを始めたきっかけからお話を聞かせてください。

シンクロを始めたのは8歳くらい。姉の影響で4歳からバレエと新体操、他にもスイミングを一緒に習っていて、4種目泳げるようになったタイミングで「シンクロ行く? 競泳行く?」という選択肢があって、姉がシンクロをやっていたので「姉ちゃんと一緒にやる!」と言ってシンクロを始めました。

ー お姉さんの影響なんですね。
シンクロのトレーニングって特に厳しいイメージがあるのですが、子供のときに嫌になったことはなかったですか?

バレエや新体操をやってたときから「音に合わせて踊る」ことが好きだったので、楽しくやっていましたね。

でも実は、もともと泳ぐことは苦手で…。バレエと新体操の方が得意で大好きだったんです。兄と姉はスイミングが得意だったんですけど、私はもがくように泳ぐものだから、いつも母に「泳いでる姿がブルドーザーみたい」って言われてました(笑)。

ー ブルドーザー…(笑)。
でもそこからシンクロ選手としての道を歩んでいくわけですよね。

はい。5年生の時に、日本シンクロ委員会が「才能ある子供達を集めて英才教育をしてオリンピック選手の卵を育てよう」というプロジェクトを始めて、そのオーディションを受けたら、泳ぐこともろくにできなかった私が何故か受かってしまって、家族もまわりのみんなも驚いていました。合格した他のメンバーはみんな”全国大会○位”みたいなエリート揃いだったんですけど、私は全国大会の決勝に残ったこともない感じで。

当時はシンクロだけじゃなく、トランポリンや新体操、競泳の世界からも先生が来たりしていて、その中で色んな刺激をもらいながら、周りの応援にも背中を押され、「私もオリンピックに行くんだ、行かなきゃ」って思うようになりました。

オーディションに受かってからはずっとシンクロ一本だったんですけど、シンクロに費やす時間が増えていく中で、バレエや新体操も変わらず大好きでそれをやりたい気持ちもあって。そのときは「もっとバレエやりたい」とか言って母に泣きついたりしていましたね。

ー 他にもやりたいことがあるのに、という辛さがあったんですね。
シルク・ドュ・ソレイユに興味を持ったのはどういったきっかけで?

初めてシルク・ドュ・ソレイユ(以下、シルク)をシンクロのみんなと一緒に見に行ったのが14歳くらいで、そのときに「なんだこれは!」という衝撃があって、直感で「これをやりたい!」って思ったんです。

その後も、「もう一回見たいから一緒に行こう」って母に頼んで連れて行ってもらい、「この世界(シルク)に入りたい」っていう思いは強くなりました。でも当時はシンクロを一番にやっていましたし、シルクにシンクロの演目『O(オー)』があると知らなかったので、私には無理なんだろうなあって。

※ 杉山さんが活躍するシルクドソレイユ『O(オー)』の演目には、シンクロが組み込まれている。
© Cirque du Soleil

最初の夢はバレリーナで、小さい頃から舞台に対する憧れが強かったんですけど、当時は「シンクロでオリンピックに出る」という目標があって、目の前のことを必死にやっていました。でも、やはり中高生のときは、劇団四季やダンスなどの舞台を見るとすごいエモーショナルな気分になるというか、「あそこに立ってる人たちが羨ましい!ずるい!」みたいな(笑)。

自分の中にざわめくものがあって、もがいてたなって思います。今考えれば舞台がプールなだけで、やってることは同じなんですけどね。でもそれに気づくのに時間がかかりました。

ー そんな中、実際にシンクロをやめてシルクに入った具体的なきっかけは何だったのですか?

2010年のワールドカップのとき、当時私は20歳で初めてナショナルAチームに入っていました、そのときはすでに『O』の存在を知っていたので、私の人生計画的には、2012年のロンドンオリンピックに出てそこでシンクロは引退、次はエンターテイメントの世界に行きたいという思いがあったんです。

実際はオリンピックメンバーに入れなかったのですが、「ここでやめるのは嫌だな」と思い、翌年2013年の世界水泳まで続ける決意をしました。そして世界水泳が終わってどうしようか悩んでいたとき、ラスベガスに『O』のショーを見に行って、「やっぱりこの世界に行こう」と思い、次の代表選考会を辞退したんです。

ー なるほど。でもそのときは、シルクに入れる保証はないじゃないですか。
どのようにしてメンバーに入ることが出来たんですか?

デモビデオを作ってシルクのキャスティングに送りました。あと『O』の中に知り合いがいたので、その方に頼んで直接コーチにビデオを渡してもらったりもしました。

本来であれば、さらにオーディション等のステップがあるのですが、私は本当に運が良くて、そのときは人が足りていなかったらしく、オーディションなしでフォーメーションに組み込んでもらえたんです。

無理して頑張らなくてもいい

ー ずばり、シルクの魅力は何でしょうか?

まず、一流のサーカスアーティストだったりアスリートだったり、世界トップレベルの人たちが集まってきているので、パフォーマンスのクオリティが高いこと。

そして単にパフォーマンスがすごいだけじゃなく、その見せ方にもこだわっているので、コスチュームや音楽などの芸術性が高いところも、シルクの魅力だと思います。

ー これまでシルクで活動してきて、一番嬉しかったことは何ですか?

バレエの発表会やシンクロの演技もそうですが、お客さんから拍手をもらえるときが、私は一番嬉しいです。なので、シルクでもパフォーマンスが終わって拍手を受ける瞬間が一番幸せな時間ですね。

毎晩毎晩ショーをやっていると「今日は身体キツいなあ」ってこともあるんですけど、ショーが終わってお客さんがスタンディングオベーションをしてくれると、「あーこの仕事しててよかった!」って思いますね。そうやって目の前のお客さんからエネルギーをもらいながら幸せを感じています。

ー シンクロは日本人だけのチームだったと思うんですが、シルクはグローバルなチームじゃないですか。日本人チームとグローバルチームの違いはあったりしますか?

全然違うなって思いますね。細かいところだと、カウントの仕方とか、音の取り方とか。

そうした中でみんなの息を合わせないといけなくて。練習中にビデオチェックすると、不思議なことに日本人3人は合ってるけど、他はズレてるってことがあるんですよね。そういう中で「合わす」というのは大変で、水中だと尚更難しくなります。

ー なるほど。シルクの練習やトレーニングはどれぐらいの頻度・時間でやっているのですか?

シアターでやる基本トレーニングは週1回から多くて2回、1時間ほどステージ上で新しいショーのフォーメーション確認を全体でやるだけで、あとは自己管理。「ショーの時間にショーができればOK」という状態です。

シンクロをやっていたときはみんなで練習しなきゃいけないので、何時から何時までっていうのが決まっていたんですけど、今は「やるもやらないも自分次第」といった感じですね。

ー 自己責任なところが欧米らしいですね。
いま現在、特に力を入れている練習やトレーニングはありますか?

今一番力を入れている練習は『エアリアル』という空中演技です。空中にぶら下がっているフープを使って練習するのですが、シンクロをやっていた間は水中にいたので、空中というフィールドに対応するのに苦戦していますね。

やっぱり何事も、そのものに触れている時間が長ければ長いほど上達も早いと思うので、今はなるべく空中にいるようにしています(笑)。練習中はもちろん、休憩中も地上に降りずに空中のフープの上で休んだりとか、空中にいる時間を増やすようにしています。

※ エアリアルの様子。
© Cirque du Soleil

ー これまでにさまざまな厳しい練習に取り組んでこられたかと思いますが、時にはどうしてもやる気が出ないときとか、心と体が一致しないときはあると思います。そういうときはどのように対処しているんですか?

しょっちゅうありますね(笑)。私自身は、コツコツ続けることがあまり得意じゃないというか、努力家タイプではないと思ってます。その自覚があるが故に以前は、「やんなきゃ!やんなきゃ!」っていう思いがあったんですけど、無理して身体を壊すことがあったりして……。でも今は、そういうときは思い切って「今日はしない」と決めて休むことができるようになりました。

大事なのは毎日休まず続けるプロセスではなく、自分の身体と向き合って結果を生み出すこと。その為に今何をすべきかを感じ取ること。

「無理だ」って思った日にはしっかり休む。そうすることで「もう一回やりたい」「練習したい」って思えるようになるんですよね。すると面白いことに、数日前には出来なかったことが急に出来るようになったりするんです。

上達のコツは触れる時間を増やすこと

ー 今は英語コミュニケーションが基本だと思いますが、シルクに入る前から英語学習等はしていたのですか?

学校での英語はすごい嫌いで、「自分は日本人だし日本に住んでるし英語はいらない」って言い訳しながら英語から逃げていたんですよね。シンクロ時代、代表として海外遠征に行かせてもらって帰ってくる度に、「あー英語でコミュニケーション取れるようになりたいな。英語勉強しよ」とは思うんですけど、日本に帰ってくると日本語なので、「まあいっか」となるのを繰り返してて。

でも2014年にシンクロを引退した後、シンガポールのシンクロチームの臨時コーチをする機会を頂き、そこでは英語で喋らなきゃいけない環境だったので勉強を始めました。

ー なるほど。英語が出来なくて悔しい思いをしたことはありましたか?

先ほどのシンガポールチームのコーチとして大会に帯同したときに、運営側のミスで音楽が流れなくて演技がぐちゃぐちゃになってしまったことがあったんですね。本来、運営側に問題があった際はやり直し出来るのですが、英語で上手く抗議が出来なくて、結局やり直しをさせてもらえず。そのときは、選手に100%の演技をさせてあげることが出来なかったので、悔しかったですね。

あとはラスベガスに来て1年半ほど経ったとき、ショーの最中に「ちょっとミサ!#$%2#&6@」ってネイティブのメンバーに早口で言われて、「え? もう一回言って」って聞き返したら「もういいや」って言われちゃったことがあって。時間もないし、いいよ分かんないなら、みたいな。それがすごいショックでした。

ー そういった経験をしながら徐々に英語を習得していったのですね。
英語学習とシンクロやシルクの演技に共通点はありますか?

やはり先ほども言ったように、触れている時間を長くすると上達が早くなるんじゃないかなと思います。私は今でも隙間時間にポッドキャストを聴いたりとか、映画を見るときも英語で見るようにしています。

そのように英語に触れる時間を増やしていったら、自然と身に付いていくんじゃないかなと思いますね。

ー 今後の目標やビジョンはありますか?

「シンクロ選手としては極められなかった」という思いから、シンクロから離れたいと意地になっていた時期もあって。ラスベガスに来てからは「シンクロだけじゃないこともやってみよう」と思い、他のことにも色々と挑戦しました。

でも、「自分の中でのシンクロって何なのだろう」って考え直してみたときに、私にとってシンクロは今までの人生の全てを懸けてやってきたことで、ここまで来れたのもシンクロのおかげだということを改めて感じました。

シンクロを自分の中で大事に持ちつつも、一人のパフォーマーとして、可能性をもっと増やしていきたいですね。

アスリート時代は、目標としていたオリンピックに行けなくてやり切れなかった思いもあるので、パフォーマーとしては一流を目指したいと思っています。

ー では最後に、海外に出てみたい、やりたいことにチャレンジしたい、という読者のみなさんにメッセージをお願いいたします。

私の場合は自分のやりたいことがシルクだけだったので、他に選択肢がなかったんですね。海外に出てみたいってよりは、目的がたまたま海外にあったってことなんです。

でもやっぱり出て来てみると違いますね。思い切ってこっちに来て今の自分と向き合ってみると、きっと飛び出して来てなかったらこうじゃなかった、と思うことが多くあります。

ぜひ思い切ってチャレンジをしてみてください。すると、全然違った景色が見えるはずですよ!

ー プールがあったら飛び込むしかないってことですね!(笑)
ありがとうございました。

おわりに

「無理して今頑張らなくていい。結果的に出来ればいい」

この言葉に救われた人も多いのではないでしょうか?

ついつい焦って追い込み過ぎてしまう人も、なかなか一歩が踏み出せない人も、無理は禁物。

上手くいかないときこそ、一度立ち止まるべきタイミングかもしれませんね。

ただし、気持ちだけは前を向いて。