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英語力ゼロだった女性がカナダの大学に進学し現地で就職、会計士として活躍するまで

英語力ゼロだった女性がカナダの大学に進学し現地で就職、会計士として活躍するまで

現在、世界4大会計事務所の一つ、デロイトのカナダ法人で公認会計士として活躍する菅野友美さん。

今でこそ英語をバリバリ使い、キャリアを築いている彼女ですが、実は高校を卒業するまで英語が全くできなかったそうです。そんな彼女は、日本の高校を卒業後、カナダ・プリンスエドワード大学に進学し、初めての海外生活と英語環境の中で挫折と苦難を乗り越えながら卒業、カナダで海外就職まで果たしました。

泣きそうになるたびに菅野さんを支え続けたのは、小学生時代に抱いた「いつかは海外という舞台で手に職をつけて自分のやりたい道に進みたい」という強い決意でした。

現在はプロフェッショナルとして監査の最前線にいる菅野さんに、これまでの留学生生活と海外就職までの歩みをお聞きしました。

 

ツラかった学習期間を支えた思い

ー 高校を卒業後、日本の大学には進学しないで海外に飛び出たのは大きな決断だったと思います。しかも英語力がない状態で…。何が菅野さんを奮い立たせたのですか?

「海外で働きたい」「手に職をつけたい」と思うようになったきっかけは、小学3年生の時に週1回の英語の授業があり、その時に出会ったすごくかっこいいアメリカ人女性の先生でした。その先生は米投資銀行のモルガン・スタンレーの出身で、金融業界のキャリアから教育の世界に身を投じ、日本に来て英語を教えていました。

彼女は、小学生の私に「英語が話せれば、アメリカでもカナダでも日本でも、世界中のどこでも働くことができるのよ」と教えてくれました。そして自身のキャリアや今どうして日本で英語を教えているのかなどを語ってくれ、私は小学生ながらに彼女の人生の考え方や言葉一つ一つに共感と憧れを抱いたのを今でも覚えています。

高校卒業時には、日本の大学への進学も考えていたのですが、英語を喋れるようになりたいこと、手に職をつけて自立していくためには海外に進学するべきだと考えるようになりました。海外の大学進学であれば、アメリカかカナダに行きたいと思っていたので、高校卒業後、そのまま留学することも考えたのですが、学費のことを考えたとき、アメリカの大学は非常に高額だったため、カナダの大学を選ぼうと決めました。

しかしカナダの場合、国立大学が多いので比較的学費が安い分、入学条件であるTOEFLのスコア設定が高く、入学するのが難しい現実を知りました。正直、私は高校生の時はあまり英語ができなかったので、高校卒業後、TOEFLの勉強のために単身東京の専門学校に入り、1年間寮に暮らしました。海外進学のための専門学校では1クラス40人程度だったのですが、私以外は、みんな普通に英語が喋れるという現実を突きつけられました。

入学時はTOEFLのスコアもクラス最下位で、先生からは「1年で海外の大学に合格するのは厳しい」と言われました。それがとてもショックで、正直泣いたことも地元福島に帰りたくなることもあったのですが、その度に自分の目標を自問自答しながら必死に勉強をしました。
 

プライドを捨てて英語を勉強した

ー いざ大学に入学してみると、今度は生の英語や授業に全くついていけず、どん底の毎日だったそうですね。その壁はどのようにして乗り越えたのですか?

大学入学が決まり、カナダに来たのは良いけれど、学術試験であるTOEFLばかりを勉強してきた私は、スピーキングが全くできない状態でした。そのため、少し早く渡加し、大学が始まる9月までの間、授業を先に受講して9月からの新学期に備えるつもりでした。

しかし、見事になにも分からず全ての単位を落としてしまいました。さらに、ホストファミリーが何を言っているのかまで分からない…。あの数ヶ月は本当にどん底の毎日でした。毎日、日本に帰りたくなる度に私を送り出してくれた両親の顔を思い浮かべ、とりあえず1年間だけは頑張ってみようと思ったのを覚えています。

新入生の中で、私の周りには他に4人ほど留学生がいたのですが、中でも英語が流暢に話せる中国人の子に、勉強を教えてもらえるようにお願いしました。私は元来強がりの性格なのですが、この時ばかりは悩みに悩んで余計なプライドは捨てて頼み込み、毎日一緒に図書館で勉強するようになりました。

 
ー 授業や生活を通して、英語が自分の武器になったのはいつ頃でしょうか?
また、英語を使いこなしている自分に気づいた時はどんな感じだったのでしょうか?

入学から3ヶ月後の12月頃、グループ・プレゼンテーションの授業で、少し前の自分だったらカンペが無かったら全然意見を述べることができなかったのに、ある時、オーディエンスからの質疑応答にしっかりと自分の言葉で答えられたのです。その時に、「あっ、英語が話せるようになってきた!」と感じましたね。

日本人がほとんどいない環境で、言葉もままならない状態でしたが、小学校時代から続けてきたバレーボール部に入部し、カナダ人のチームメイトもたくさんできて、遠征などで彼らと過ごす時間を重ねていくうちに友達もたくさんでき、英語に触れる機会が増えていったことが大きかったと思います。入学から月日が過ぎ、だんだんと英語が喋れるようになってきた自分に自信がつき始め、「1年頑張ったら、また1年頑張ろう」と思えるようになりました。

 

今後について

ー 海外在住就活生の登竜門「ボストンキャリアフォーラム」で内定をもらい、デロイト・カナダに入社を決めた時のことを教えてください。

大学2年生のときに会計学を専攻し、プリンス・エドワード・アイランド州の観光局で会計関連のインターンをするなどして、自身の進路と就職の準備をしてきました。私は「ボストンキャリアフォーラム」でデロイトから内定をいただいたのですが、就職活動の際にボストンキャリアフォーラムに行くということは、大学1年生の頃から決めていました。

当時は、海外で就職できたらいいなと思っていましたが、1、2年働いたら日本に帰りたいなと考えていました。今就職して5年目になるのですが、こんなに長くいることになるとは正直思っていませんでしたね(笑)。 

就職活動では、4大会計事務所の中の何社かから採用をいただきましたが、デロイトを選びました。理由は、日系企業のクライアントが一番多いのと、日系企業を担当できるチャンスがある環境だという点に惹かれたからです。それと、実際に会計士になるためには、専門試験の1〜3次試験のクリアと会計事務所で定められた勤務期間を満了しなければいけないのですが、そのためのサポート・プログラムなどが一番充実していたことも後押しになりました

入社後はパブリック・カンパニー(株式公開企業)を担当するなど、ハードな毎日でしたが、これまでの努力の毎日と成長してきた自分に自信を持ち、会計士の資格も取ることができました。大学時代は4年間で一度しか帰国しなかった私ですが、両親に電話で会計士試験の合格を報告したときは、お互い涙を流しながら喜び合いました。あの日のことは今でも鮮明に覚えていて、忘れられません。たまに思い出して泣きそうな気持ちになることもあります。
 
ー 持ち前の努力と頑張りでキャリアを築き上げている菅野さんの、これからの目標を教えてください。

今は監査部門にいまして、念願だった日系企業を担当しています。会社の心臓ともいえる重要な部分を把握できるようになり、監査とともにクライアントにとって最良な提案ができるようになってきたので、多忙ではありますが、とてもやりがいを感じています。

将来的には、会社から与えられる仕事をするだけではなくて、コンサルティングのような仕事にも興味があるので、M&Aや営業の仕事を獲得してくるなど、「提案力」が活かせるような仕事ができればなと思っています。