新井 リオ
(更新)
『Q&ABC』は、「英語日記BOY」の著者・新井リオが、「英語・海外生活」にまつわるみなさんからの質問に答えていく連載です。
(質問はこちらからできます)
第19回のテーマは「勉強は、始めてからどれくらいで楽しくなるのか?」についてです。
僕がDMM英会話を始めたばかりのとき(6年前)のつらさと楽しさをあえて比率で表すなら、
つらさ40:楽しさ60(2015年)
楽しさが勝っていたと思います。
全然うまく話せなかったですが、英語という憧れの対象に自分も触れることができた高揚感がそのまま楽しさに直結していました。
ちなみに6年経った今は、
つらさ10:楽しさ90(2021年)
くらいですかね。
英語自体への高揚感は当時より薄れましたが、自分の英語力をパートナーのように信頼し、一緒に生きていけるようになったので、職業であるイラストレーターの仕事や大好きな音楽を、より世界の垣根なく扱えることができるようになりました。これが本当に嬉しいんです。
そう考えると、物事って、ある程度上手くなって初めて、楽しさの本番がスタートするんだなと感じます。
なので、今はまだ滑走路にいて、つらいのは当然だ。十分な助走の後についに飛び立つ飛行機のように、ひとまずはやり続けて、自分もいつか英語で空を飛ぶんだ。
このように考えながら今の時期を乗り越えてみるのも1つの手です。
人によって空を飛べるタイミングは異なりますが、だいたい1年くらい、DMM英会話を毎日真剣に続けたら、体感として家の近所を気球でふわふわ飛行できるくらいの英語力がつく気がします。
僕は欲が出てきて、ジャンボジェットくらいの馬力が欲しくなってしまったので、いまだに勉強しているという感じです。
自分の培ってきた努力で空を飛ぶ体験は、人生における掛け替えのないものの1つです。
とはいえ、あおいさんのご質問を見ると、今はつらさの方が上回っているんですよね。
この状況の人に、「まあもうしばらく頑張りなさいよ」というのは、僕が逆の立場だったら、ああこれは強者の意見じゃないかと思ってしまいます。
そこで。
英語に関しては、僕の場合最初から若干楽しさが上回っていましたが、去年、つらさ90:楽しさ10という絶望のスタートをきった僕の新たな勉強対象を紹介します。
デッサンです。
いわゆる石膏像があって、それを何時間もかけて鉛筆で書き上げる美大受験生を思い浮かべてください。あれを去年からやっています。
スタートした背景を話すと長くなってしまうので割愛しますが、まあ、シンプルに絵が上手くなりたいので、今から英語が話せるようになりたいあおいさんや読者の方と、立場としては限りなく近いと思っています。
で、これが本当につらかったんですね、始めたとき。
大学生のときに始めた英語や、高校生でのめり込んだギターにはあった、憧れの対象に触れることができた高揚感が全てを凌駕してしまう瞬間が、デッサンにはなかった。
このことについて、なぜなのかと本当に考えました。
こんなにも絵が上手くなりたい人が、練習するだけの時間を与えられ、自分のペースで自由に向上していい。この素晴らしい状況にもかかわらず、なぜ僕は、自分の実力が至らないことにばかり注目してしまうのだろうか。
そこで至った結論は、僕がもう大人になってしまったからだというものでした。
大人になってから始める勉強は、つらさが伴うことも多いです。
それは、学生時代と比べ、自分をより客観的に見ることができるようになってしまったからだと思います。
練習して昨日の自分より上手くなった事実よりも、周りと比べてまだこんなに下手な人間である自分の情けなさに注目してしまうんです。上手くないことがとにかく恥ずかしいんです。
これを読んでくれている大人のみなさん、そういう感覚が今はありませんか?
それに比べ、高校時代の僕は、驚異的な視野の狭さを持っていました。
ついにギターを手にした嬉しさが他の全ての感情を凌駕していたので、まともに恋愛すらしたこともないのに想像で恋の歌を作りました。
恥ずかしすぎて正確な歌詞は載せられませんが、「君を想っているよ、いえい」。
これで感動する人は世の中に一人もいないと思いますが、クオリティとしてはこの程度のものを量産しました。さらに信じられないのが、10曲入りのソロアルバムを自主制作してクラスの友人に配っていたんですね。恐るべき16歳。
思い返すだけで赤面します。ただ、何かが上達するスピードという意味では、そのときが人生における最大瞬間風速だったとも思うんです。
もう、とにかくギターが大好きだった。
こんな自分がギターを弾いていいんだという事実が嬉しすぎて、周りと比べて自分がどれくらい上手いか下手かなんて考えたこともありませんでした。
そして、まわりもみんな高校生ということもあって、僕を実力でジャッジするのではなく、頑張る姿勢の方に注目し、褒めてくれたんです。この環境こそが、上達における大きな一歩となりました。
思えば、大人になって、新しいことを始める高揚感よりも先に実力のなさに目がいってしまうようになったのは、ひとえに、周りの目を気にしているから、といえるのではないでしょうか。
本当にギターに夢中ならば、絵が好きならば、英語に憧れているならば、今日、触れることができるだけで十分に楽しいはずなんです。
それが大人になると、「あの人は若いのに自分よりも全然上手いぞ」とか、「もっと上手い人が今の自分を見たら、きっと下手だと思われるんだろうな」とか考えちゃうんです。
でも、学生時代はこんなこと考えなかった。
ならば、大人になってから何かが上手くなりたいときも、
が、楽しさを生むための一番の秘訣なのかもしれません。
で、今僕がみなさんにできることがあるとしたら後者かなと。
例えばですが、せっかく頑張っているDMM英会話のことや、自分で考えてみた英文を、SNSで投稿してみたり、だれかに伝えてみたいと思ったりしませんか?
そのとき、躊躇ってしまうことがあるとしたら、「自分よりもっと上手い人が見たらなんて思われるだろうか…」という感情からくる恥ずかしさが、理由の1つにあると思います。
そこで僕からひとこと。
学習歴の長さや、英語力が少し高いことを理由に、だれかの足をひっぱるようなことを言ってくるような人がいたとしたら……だめです! 良くないです!
そのような人たちが、愚直に頑張る人たちよりも正しくなる瞬間は1秒もおとずれません。どれだけ間違いだらけでも、その時点の自分のベストを尽くした英文は美しいんです。レッスン合計時間が100分の人も30000分の人も、同じ「英語が上手くなりたい」という感情を持っている時点で完全に平等であるべきなんです。
万一マウントをとってくるようないじわるな人がいたら、僕が懲らしめますよほんとに。あなたにも上手く話せないときがあったでしょーって。人が頑張っているとき、レベルに限らずその姿は美しくなっちゃうでしょうに。
とにかく自分は、どれだけ綺麗事と言われても、いま頑張っている人の側に立ちたいんです。
ある程度英語の勉強を続けてもなお、こう思っている人がいるということが、これから学習を始める読者の方の心の安心に少しでも繋がり、英語を楽しんでくれるきっかけになれば嬉しいです。
あおいさんのご質問に呼応する形で、〇年続けたあたりから楽しくなるという答え方をしようと思ったのですが、これは本当に人それぞれだし、へんな誤解を生むかもしれないと思ってやめました。
ネット上でだれかが発信する「○年で上手くなる、楽しくなる」といった文言よりも、自分の実感こそを是非信じてみてください。
勉強が楽しくなるのは、何年経ったとき、ではなく、人との比較や他者からの視線を気にせず、今日自分が上手くなったことに注目できたときだと思います。
頑張る人のことを一生応援しますし、僕ももっと頑張ります!
質問も引き続きお待ちしています!
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