りっか
(更新)
サンフランシスコを拠点に、世界中で書道のアートパフォーマンスショーを開催する『書家』山口碧生さん。
伝統を芯へ染み込ませた小さな体で音楽と共に大きな筆をダイナミックに振り、大量の墨を巨大な紙に叩きつけ文字を書き現すパフォーマンスは、まさに「伝統の枠を超えた自由な魂」を見る人に感じさせます。
大学生の時にサンフランシスコへ留学して以来、海外生活を続けている碧生さんにとって、英語はすでに自分の言葉。
偶然日本に帰国しており、年末年始は故郷の北海道で過ごすという碧生さんにお会いし、現在の活動についてお話しを伺いました。
山口碧生さんが語る、英語が広げた可能性と「何にも縛られず自分の道を進む方法」そして3つの心を現す言葉を、新年のご挨拶に添えて。
【Aoi Yamaguchi 書 “Happy New Year! 2015″】
はい、私は『書家』として活動しています。『書家』とは、「書」を極める人のことです。
もともとは筆で綺麗に字を書く「習字」から始め、現在は「書道」を極めるため書道の手法を用いて、様々な方法で表現しています。
国籍や文化に関係なく、多くの人に書道に親しみ楽しんでもらうため、漢字や平仮名など日本語だけでなく、英語も書きます。
フレームされた作品だけを作るのではなく、レクチャーや展示、ロゴデザインなど決まったジャンル、表現手法に固執せず作品を制作し、自分のビジョンをアートという形で表現する活動をしています。
【写真:シェラトングランドサクラメントホテルで開催されたSake Festivalにてライブ揮毫パフォーマンス『飛龍昇雲』】Photo by Akko Terasawa
書道を始めたのは、私が6歳の時、母が書道家の先生の教室へ連れて行ってくれたことがきっかけです。その方が私のお師匠、佐藤瑞鳳先生です。
私が国際的に活動をしていきたいと考えはじめたのは14歳の時です。
展示会で文部大臣賞をいただき、書道で優秀な学生の一人として国際書道協会の主宰する訪中団に参加し、中国の数都市を訪れ、現地の学生達と書を通じた国際交流を体験しました。
中国語は勉強したことなんてないので、もちろん全く言葉が通じない。
その時初めて「言葉が通じない人と書道を通して心を通じ合わせる」という体験をして、「なんて素晴らしいんだろう!」と、とても感動したんです。
将来は日本の文化を海外に伝える架け橋になりたい、という気持ちはその時に生まれました。
高校では、書道を自由に表現するということを学びました。
高校の顧問の先生は、私が書道をずっと習い続けてきた、非の打ち所のないきれいな線を書く佐藤先生とはまったく正反対のタイプの方でした。
フリースピリット、自由な表現をする先生。
「自分の好きな詩をもってきて、それを書道で書いてみよう」だったり、ずっと書道を続けてきた私からするとあまり上手じゃないな、と思う字についても「この線ぶっとくてかっこいいな!」と。
どのような作品だとしても良い部分を見つけて褒めるという教え方に触れ、書道を通じて自分を自由に表現する、今までとは別の角度で書道と向き合うということを学びました。
小さい頃から英語が好きで、より実践的な英語を身につけたいということと、国内には行きたい大学がなかったので、高校を卒業してサンフランシスコの大学へ留学しました。
大学では人に感動を与える場所作りや人と感動を共有できる場のサポートについてを学ぶため、音楽ビジネスを専攻したんですが、大手のレコードレーベルでのインターンシップをして、そのビジネスの在り方に自分は賛同できないことに気付きました。
大学卒業を控え、自分の行きたい道、自分にしかできないことってなんだろうと真剣に考えていたとき、昔、私が文部大臣賞受賞の報告をする電話越しに、佐藤先生がおっしゃった言葉を思い出しました。
「碧生ちゃん、こんな素晴らしい賞が頂けたということは、これからもずっと書道を続けなさいと言われたことと同じ意味なんだよ」と。
大学に通いつつ書道のアートショーを企画したり、日本人のアート集団を運営して、たくさんの人に興味を持ってもらえていたこともあり、「小さいころから続けてきた書道が、授かった宿命なんじゃないか」と思い、書道を本業として生きて行く決心をしました。
そしてアーティストビザを取得して、現在に至ります。
【写真:サンフランシスコ国際太鼓フェスティバル『鼓舞』】Photo by Akko Terasawa
初めたばかりの頃はとても大変でした。私は書家としての活動を、幼少期からお金のためではなく純粋に芸術として行ってきたので、「芸術をしながら食べていくのはどうしたらいいか」ということを、アーティストビザを取得してから2年間かけて模索しました。
とにかく初めは地道にショーを開催し、個展を開いて作品を販売するということを繰り返していました。
特にパフォーマンスが好評で少しずつ名前が広がり、大きなクライアントから仕事の依頼を受けて報酬をもらえるようになり、少しずつ形になっていったという感じです。
パフォーマンスの表現については現在も模索中です。
ただ漢字を書いたとしても、日本語の知識のないオーディエンスには意味がすぐには伝わらないので……。
私が書いている文字の意味がわからないオーディエンスに、作品の意味を感じてもらうためにはどのような表現ができるか、ということを常に考えています。
オーディエンスがその場の空間からコンセプトや意味を体感できるようにするために、音楽やダンサーの動きで感情や色を表現しています。
2011年、スウェーデンのウプサラで開催されたエレクトロニックミュージックフェスティバルでは、ライブビジュアルアーティストのキュレーター、ヨエル・ディトリッヒ(Joel Dittrich)とコラボレーションしました。
私が書いた書道がアニメイトされて、テクノビートに合わせてステージ上のスクリーンに投影されるというものでした。
【写真:VOLT: The Festival for Electronic Musicでの書道とライブ・ビジュアルプロジェクションを融合するコラボレーションプロジェクト。2011年開催時、ヘッドライナーであったミニマルテクノの先駆者、ベン・クロックのVJを担当。※下部注釈あり】
また、2010年にサンフランシスコにあるアートギャラリーで開催したパフォーマンス『還源』や、2012年にサンフランシスコで開催されたコンテンポラリー・アートフェアArtPadSFでは、書くのと同時にダンサーが踊り、ダンサーの体にも直接時を書くというコンセプトを披露し、とてもエキサイティングなショーになりました。(Aoi Yamaguchi公式HP)
【写真:"Unibirth": コンテンポラリー・アートフェアArtPadSFにて】Photo by Akko Terasawa
小さい紙の上だけでなく、書道が紙から離れ空間を動いている、ダンサーの体に書かれた文字がステージで踊り回るというような、『動の部分』をパフォーマンスで表現したかった。
トラディショナルな書道とはかけ離れていますね。(笑)
その他、最近の主な活動としては、2015年公開予定の押井守監督の映画『GARM WARS The Last Druid』の題字を揮毫しました。
他にも、SK-II USAのSan Francisco Pop-up storeでワークショップを開催したり、TEDxTokyo 2014ではオープニングでパフォーマンスを披露しました。
【写真:渋谷ヒカリエで開催されたTEDxTokyo 2014オープニングにて新体操ダンサーとライブバンドとのコラボレーションパフォーマンス『結』】
私はもともと英語が好きで、12歳からラジオ講座をずっと聞いていました。
ラジオ講座に合わせ、声に出して練習するんです。その方法が私には合っていてハマりました。
日本語にはない発音 "daughter" は、日本語だと「ドーター」ですが、どうやって発音しているのかを自分で真似しながら練習して、日本で聞くカタカナ語の本当の発音を知ることがとても楽しかったです。
留学する前は、東京の留学を斡旋している学校でリーディング、ライティング、スピーキングを習ったり、英会話スクールにも通いました。
それでも留学した1年目は全然ネイティブの英語についていけなかったし、日本のテキストでは学ばないカジュアルなスラングや言い回しがたくさんあってホストマザーが何を言っているのか全く掴めなかったです。
授業でも本当に苦労しました。毎日の授業の課題もネイティブの何倍も時間がかかるので徹夜で勉強したりと、とにかく頑張った。
1年目は生活習慣になれるので精一杯で、2年目くらいにやっと英語でうまくコミュニケーションがとれるようになり始めました。
留学中はなるべく日本人とはハングアウトしないようにして、現地の友達を作るように心がけて、自分が絶対英語を使わなきゃいけない環境を作っていました。
おそらく、自分の言いたいことを自然に話せて、相手の話しがスムーズに理解できるようになるまで最低4年くらいかかると思います。
結構大変でしたが、私はいろんな文化に囲まれているのが好きだったし、価値観が肌に合っていたから日本に帰りたいと思ったことは一度もなかったです。
日本では全員が日本人で、日本で生まれてるっていうスタート地点が共通しています。
サンフランシスコではそれぞれが生まれつき違うというのが当たり前。
肌の色、髪、英語のトーンも初めから全く違ってる。
それぞれユニークでいいんだよっていう考え方が私には肌に合っていました。
ちなみに、サンフランシスコはすごくいいところです。ご飯がとても美味しい!(笑)
いろんな国の食べ物が食べれるんです。
中華、コリアン、イタリアン、フレンチ、ニューアメリカン、タイ、インディアン、パキスタン、ベトナム、バーミーズ……
カリフォルニアは果物がとても美味しいですし、サンフランシスコから車で1時間ノースに走れば、ナパというワイナリーもあります。
食にはとてもスポイルされている地域ですね。
【写真:サンフランシスコのBay Bridgeを一望できる、この夏に住んでいたアパートからの景色】
【写真:近所のオーガニックグローサリーストアBirite Market】
英語が話せるようになったことで、私は縛られていないって感じるんです。
国境とかを感じない。
アイデンティティークライシスな部分もあるんだけど、言葉って大事でコミュニケーションの可能性を一番広げてくれる。
どこの国にいっても大丈夫、サバイブできる。コミュニケーションすることを恐れなくなり、考え方も広くなって、全ての人が違って当たり前。
人それぞれが違うんだと知れることが喜びです。
また、自分の伝えたいことが自分の言葉で伝えられます。
誰かに訳してもらわなくていい。
自分の伝えたいことを、芸術を通してでも、自分の言葉でも伝えらえれる。
自分自身の言葉のチョイスで伝えられること、人の言葉を借りなくていいことが私自身の強みだと思っています。
英語を勉強しているとめげる時もあると思います。
自分の言いたい言葉がすぐ出てこなくて、歯がゆい思いや、悔しい思いをすることがたくさんあると思うけど、自分が自分のポテンシャルを信じて勉強をやめなければ絶対ついてくる能力です。
人とコミュニケーションできる喜びを忘れず、楽しんで勉強してほしい。
自分の可能性が広がると思います。
私が大事にしている言葉を3つご紹介します。
【Aoi Yamaguchi 書 ”Greatest Miracle” 】
"You are nature's greatest miracle"
「あなたは、自然が生みだした奇跡」
この言葉は、ひとはそれぞれが、大自然が生み出した奇跡なのであって、個々にユニークで世界に一人しかいない貴重な存在なんだ、と謳っています。
自分という存在の価値を、宇宙的範疇で認め、いのちの大切さを再確認させてくれる、素敵な言葉だと思います。
"Be Yourself"
「そのままの自分であれ」
書道を通してもそうだし、海外生活でもそうだけど「自分てなんなんだろう?」という誰もがぶつかる壁があります。
自分が目指すものであったり、なりたい自分を信じ、それが本当に正しいかはわからないけれど。
信じていれば絶対叶うもので、どこにでもいけるんだと思います。
最後は私が一番好きな言葉です。
"Who you are defines what you do"
「あなたの為人(ひととなり)が、あなたの行動を決める」
一般には、"What you do defines who you are" 「あなたの行動(仕事や日常の行いなど)が、あなたの人間性を決める」と言われますが、私はその逆もあると思います。
ひとそれぞれが本来持っている個性や、信条、こころが、あなたがすること、そして何をすべきなのかを自然と定義してゆくのだと思います。だから、常に「自分」と向き合い、こころの声を聴くことが大切なのだと、思っています。自分にしかできないことを全うしていきたいという気持ちを後押ししてくれた、大好きな言葉のひとつです。
こちらこそ。年始は北海道にいるので遊びに来てくださいね。(笑)
※VOLT 2011
@ Uppsala Konsert Kongress
Collaborative live visual project with Joel Dittrich for Ben Klock
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インタビュー写真 Photo by Akko Terasawa