濱名 栄作
(更新)
こんにちは。
DMM英会話ブログ編集部の濱名です。
突然ですが皆さんは、英語の綴りに違和感を感じたことはありませんか?
なんで knife(ナイフ) には発音しない "k" があるの?
doubt(ダウト)の "b" って邪魔じゃない?
などなど、書かれているのになぜ発音しないのか、英語の発音と綴りの不一致問題に対して、不満や憤りを感じたことは一度や二度ではないと思います。
下手をすれば、そのことがきっかけで「だから英語は嫌いなんだ」と英語アレルギーを発症してしまった方もいらっしゃるかもしれません。
そして、彼もその一人。
そんな鈴木が今回、英語への疑問と怒りをぶつけるためにやってきたのは、慶應大学三田キャンパス。
というのも、ここに上のような「英語のなぜ?」を研究する教授がいるという情報をキャッチしたからです。
本記事では、英語の発音と綴りが一致しない問題について、堀田教授にしつこいほど根掘り葉掘り聞いていきたいと思います。
これを読めば、英語への不信感が晴れ、理不尽な英語を少しは可愛く思えるかもしれません。
「英語が嫌い」「不思議に思いながらも奇妙なスペルを苦労して暗記してきた」そういった方々にぜひ読んでいただきたい内容になっています!
鈴木
今日はよろしくお願いします。先生は普段、「英語史」を研究されているとのことですが、なんでまた英語史を研究しようと思ったのですか?
堀田教授
きっかけは doubt の "b" のような「なんでかな?」というところです。
頑張って勉強してても英単語がなかなか覚えられないという方に、やみくもに「暗記しなさい」と言うよりは「こういう歴史があって、こうなってるんだよ」と言った方が覚える気持ちが湧くんじゃないかなって。
なので、英語を使った先にあるものとか、英語の後ろにある背景を知ってもらうことで、英語の楽しさを感じてもらい、学習のモチベーションを維持して欲しいなと思っています。
鈴木
僕自身は中学校1年生のときに挫折して以来ずっと英語が苦手なんですが、今までの英語の授業の中で「英語の歴史が…」っていう話は聞いたことないです。
もし背景や経緯を知ってたら、もっと英語の授業が好きになれたんじゃないかと思ってます。だから今日は楽しみで、このインタビューをきっかけに腑に落ちて許せるというか、英語をちょっと可愛く思えるっていうところを、今日のゴールにしたいなと思っています(笑)。
鈴木
小学校でローマ字を習ってひらがなを英語で書けるようになったのに、中学に入った途端、チェアー(Chair)とかいきなりローマ字じゃなくなるじゃないですか。えっ!?ローマ字とは違うんですか!と…
堀田教授
小学校で習うローマ字は、あくまで英語じゃなく日本語のカナに密着したものなので、わかりやすいんですよね。
ところが中学に入って英語を学び始めると、すでに知っているアルファベット26文字の運用がまるで違って、例えば「中島」はローマ字で「NAKAJIMA」。でもこれをネイティブが読むと「ナカジャイマ」になるんですよね。
鈴木
え、「ナカジャイマ」になるんですか??
堀田教授
はい。字としては一緒なんですけど、中学に入ると「ナカジマ」じゃなくて「ナカジャイマ」と読みなさいと言われるようなものなので、ものすごく違和感があるんです。
他にも "a" と書いて「ア」と読んだり「エイ」と読んだり、一文字に対して二つ以上の発音が対応してしまうっていうのが、英語綴りを難しくしている原因なんですよね。
鈴木
そこなんですよ!僕がわからないところは!!
なぜ、英語では発音と綴りが一対一でなかったり、読まない文字が綴られたりするのでしょうか?いつ頃からそうなったのでしょうか?
堀田教授
そのような発音と綴りの謎に迫る鍵は、中世から近代にかけてのヨーロッパにあります。まずは16世紀に目を向けて見ましょう。
当時のヨーロッパは、なんでもかんでも1000年以上前のローマ帝国、古代ローマのものが一番素晴らしいんだ、と盛り上がっていたルネッサンスの時代なんですね。
イギリスも例外ではなく、自分たちの使っていた言葉(英語)は何かイマイチ。それに対して、1000年以上前に使われていたラテン語は素晴らしかったとなるわけです。
鈴木
今の僕らが使っている日本語よりも漢文の方がイケてる、みたいな感じですね。
堀田教授
そうですね。でもだからといって、みんながラテン語ができる訳ではなくて、学ぶ機会がある学者しかできないんですよ。
でも、その熱気自体は庶民にも伝わっていて、「どうもラテン語っていうのは偉いらしい」と学者達が言っていると。
鈴木
庶民の人、素直ですね(笑)。
堀田教授
そもそも庶民は、自分が喋ってる英語ですら書けないんですね。当時のヨーロッパの教育水準はかなり低くて、ちょっとした文章ですら書けたかどうか定かではない、というレベル。
つまり、文字があるのは知っている、教育を受けている人はそれを使っている、というのは分かっているけれど、庶民が文字を使う機会はほぼ皆無だったんです。
鈴木
はぁーなるほど。当時はそもそも文字っていうのが一般的じゃなかったのか。
堀田教授
当時は、庶民の大多数がそもそも文字を読めないという世の中なので、反対に読めるっていうのは教育を受けている証拠で、「偉い」と崇められる訳ですね。学者や僧侶のような特権階級の人たちです。
すると社会が、「文字を読み書きできる層」と「できない層」の二つに分かれます。この両者のギャップがかなり大きくて、それが発音と綴りの不一致問題に繋がっていくんです。
鈴木
具体的には、どのように発音と綴りが乖離していったんですか?
堀田教授
例えば debt(デット) という英単語がありますよね。
この debt という単語は、ラテン語を語源としてフランス語経由で英語に借用された単語なんですが、それまでの英語の書物では dette(デット)と綴られてきました。発音とスペルがほぼ一致していますよね。
ただ語源であるラテン語は dēbitum(デービトゥム) と綴ります。綴りの中に "b" がありますね。しかし借用された中で "b" が抜け落ちたんです。
そしてラテン語を知る学者たちは、デットの中に "b" を戻そうとするんですね。ルネッサンスですから。それに対して、庶民は当然文字を見たことが無いので、音だけ聞いて「デット」と言い続けます。
鈴木
なるほど(笑)。"b" を戻して英語をラテン語みたいにイケてる感じに戻そうと?
堀田教授
はい。学者は庶民以上にラテン語大好き人間ですから、"b" のある debt という綴りにしようと決断したんです。でも発音はそのまま "b" のない「デット」として人々に使われていきます。ここで発音と綴りの不一致が生まれます。
鈴木
それってある日いきなり誰かが、"b" をちょこっと何かの書物に入れたところで結局は普及しないじゃないですか。国全体が「よし入れるぞ!」みたいになったんですか?
堀田教授
そもそも読み書きするのは学者しかいないので、文字の "b" に興味があるのは彼らだけ。なので、文字を読み書きしない庶民は "b" を入れたことにすら気付かないわけです。つまり学者たちは自分の好みに合わせてやりたい放題できた。
そして有力な人たちが、「イケてるラテン語の綴りをオレは知ってるぞ」というある種の見栄で "b" を入れ始めた訳です。もちろん "b" に反対した学者もいたとは思うんですが、結局は数十年後どっちが多く使われているか、で決まるのが言葉の世界なので。
鈴木
で、結局 "b" が入った debt が生き残ったわけですね。
その後、ルネッサンスが終わって英語が一般的に使われるようになった時に、「発音と綴りを一致するように綴りか発音をどっちかに寄せよう」とはならなかったんですか?
堀田教授
そう言う学者もいたんですけど、綴りは学者主導で "b" のある debt が使われる一方、発音に関しては庶民の圧力で "b" のない「デット」と言い続けたので、発音にも "b" を入れようと働きかけた学者サイドは負けたわけです。
庶民は「発音」部門で勝利を収め、学者は「綴り」部門で勝った。ともに「一勝一敗」ですね。
もし二勝ゼロ敗かゼロ勝二敗だったら、"b" がない「デット」か、"b" がある「デブト」かで、今ピタっと合ってるはずなんですよ(笑)。
鈴木
その勝ち負けってなんなんですかね?腑に落ちるかどうかなんですか?
堀田教授
単語によって違って、二勝ゼロ敗、ゼロ勝二敗でうまくいった例もあります。
例えば language なんかは、もともと「ランガージュ」のように発音していましたが、学者が勝手に "u" を入れたら、それに人々が従って「ラングイッジ」と発音するようになったんです。
数十年、時の試練にかけてみて、結局残った方が普及するのでランダムですね。いずれにせよ、一勝一敗が現れてしまった、そしてそれが少なくないのが英語の一番の問題ですね。
鈴木
もともと英語というのは、文字(アルファベット)とセットで存在していたのですか?
堀田教授
最初は言葉(音)だけの世界ですね。簡単に説明すると、5世紀頃からイギリスに住んでいたアングロサクソン人が英語を喋っていたんです。そこにキリスト教とラテン語で書かれた『聖書』が入ってきて、初めて「文字」という便利なものがあることを知り「学ぼう」となった訳です。
でもその時のアルファベットは26文字もなかったんですよ。ラテン語には "j" や "w" なんてないですし、英語に入ってからはたとえば "u" と "v" も今ほど明確に分かれてなかったんです。"u" と "v" なんか、考えてみれば尖らせたかどうかですから(笑)。
鈴木
尖らせたかどうか(笑)。確かに言われたらそうですね。
堀田教授
ラテン語が入ってきたときのアルファベットは26字より少なくて、多少増減を繰り返して今たまたま26文字なんです。本来は "a" と書けば「あ」だし、"b" は「ぶ」としか読まないという非常にわかりやすいスタイルでした。
当時の英語(古英語)はそれをそのまま素直に受け入れて、例えば、man という単語は「マン」だから "m、a、n"、複数形は「メン」だから "m、e、n" と書いていたんです。非常に分かりやすいですよね。
鈴木
古英語最高ですね。
堀田教授
ただ一つ問題だったのが、ラテン語のための文字がローマ字なので、ラテン語に存在しない英語の音を表す文字が存在しないということ。
例えば英語の "th(ス)" の音はラテン語にはないので、当然ローマ字にも存在しないわけです。でも、この "th" という音は "s" とは違う音なので、どうにかして書き分けないといけない。
そこでどうしたかと言うと、"th" に相当する別の文字を作った。このように足りない音や文字を開発することで、24〜25文字くらいまで数は増えましたが、古英語時代はそれでほぼ100%上手くいっていたんです。
鈴木
やっぱり古英語いいじゃないですか!そのままだったら良かったのに。
堀田教授
これが乱れていくのが、中英語と言われる1100年〜1500年頃のことです。
この時代も実はそこまでひどくなくて、「発音通りにそのまま書こう」という考え方はずっと続いているんですけど、何が問題だったかというと原因は外堀にあって、それをきっかけに綴りがめちゃくちゃになっていくんです。
鈴木
外堀が原因ってどういうことですか?
堀田教授
古英語時代には中央に大きな権力があって、そこで書く英語が標準とされていたんです。なので綴りに関しても、基本的に「一つの単語につき書き方は一つ」という状態。それが発音ときれいに結びついていたので理想ですよね。
しかし中英語の時代になると、イギリスはフランスに征服されてしまいます。その影響で中央の権力が弱くなり、英語の権威も落ちていったんですね。そして、英語を書くにしても「書きたいように書けよ」と少しずつ崩壊してボロボロになっていったんです。
鈴木
古英語時代に発音と綴りがある程度標準化されていたなら、誰が喋っても同じような綴りになるということでもないんですか?
堀田教授
そもそもイギリスには方言がものすごい数あったんです。例えば、南部では マン(man)ですが、西部へ行くと モン(mon)になるんですね。
ただ古英語の時代は、「man で書け」と言う権力があったので、「モン」と発音する人も書く時は "m、a、n" と綴る訳です。中英語ではそのタガが外れてしまった感じですね。
鈴木
なるほど。日本語にも方言がたくさんありますけど、書くときは基本的に標準語ですもんね。
堀田教授
そうですね。でもそれは、「標準語で書け」と教育されているからであって、それがなくなると一番書きやすいように書くでしょうから、方言がある人はそのまま自分の発音通りに書くと思うんですよね。
そのようにして、バラバラな方言が綴られるようになってしまった訳です。ちなみに、私が調べた中で一番多かったのは through という単語で、515通り確認できました(笑)。
鈴木
やばいですねそれ(笑)。
堀田教授
この時代は自分の発音通りに綴っていた訳ですが、ただ一人一人忠実なのは、発音とスペリングは密着であること。
今は自分の発音は犠牲にして定められた標準綴りを書いているので、完全に逆転の発想ですね。
鈴木
でもそのバラバラな綴りが集約される時が来る訳ですよね?
堀田教授
はい。その後300年くらいは半ばフランスの支配下にあって、英語は価値の低い言語として扱われていた訳ですが、1500年くらいになるとようやくその圧力から解放されて、英語も復権してくるんです。
でもここで、「標準語がない」という大問題に気付きます。
鈴木
ここに犯人がいそうな気がしますね(笑)。
堀田教授
ですね(笑)。
堀田教授
標準化するときに何が起こったかというと、権力が集まるロンドンの方言をベースに標準語を作ろうとした訳です。
しかしロンドンは大都会なので、東京のように地方出身者も相当数います。割合でいうと地元民と張り合うくらいの人口がいて、次第に発言力を持つ人物も現れます。
すると、地方出身者から「ロンドンベースだけで標準語を作るのはいかがなものか」という声が出てきて、彼らは方言を捨てないんですね。例えば「モン」と言い続けるわけです。ちょっとした訛りの違いですから、お互い意思疎通ができない訳ではありません。
鈴木
でも標準語の綴りとして、どっちを取るかという問題になりますよね。
堀田教授
はい。地方出身者が集まるロンドンでは色んな発音が聞かれ、書く時はその発音通りに綴ります。
その時に、誰かが音頭をとって標準綴りを作った訳ではなく、「色んなパターンを使ってみて数十年後に流行ってるものにしよう」というスタンスだった訳です。先ほどの「デット」の "b" が流行るかどうかみたいなもので(笑)。
鈴木
けっこう許容していたんですね(笑)。
堀田教授
「標準を作りたい」と言っておきながら、誰かが責任をとって上からトップダウンでやる、というようなことはなかったんです。
数百年間、色んな方言の発音を聞いてきたし色んな綴りも見てきたので、ある意味慣れちゃっていたのが大きいと思います。
鈴木
標準語というものがブレている状態だったんですね。それがどのようにして統一されていったんですか?
堀田教授
そろそろ標準語を作ろうと言い出したのが1400年くらい。その後、綴りが今のような形に99%定まった出来事として、1755年に権威ある辞書が出たんです。
それをきっかけに、みんなが標準綴りに従うようになったのですが、実に3世紀半もかかっているんですね。トップダウンでやってたら多分10年で出来ています。
実際にフランスはこれをかなりの短期間でやっていて、「なぜイギリスはそうしなかったのか」というのが面白い問題なんですけど、まあ慣れてしまったというか、「惰性」ですよね(笑)
鈴木
ルールがぼんやりとしたまま、伝言ゲームで350年間かかってしまったという感じなんですかね。
堀田教授
イギリスの国民性と言えば国民性かもしれないです。
ただ努力の成果はあって、14世紀までに515通りもあった through の綴りが、数十年後には14通りまで減ってるんですよ。さらに250年かけて1までもっていくんですが、515を14にした努力は認めてあげてもいいかなと思います(笑)。
鈴木
綴りは標準化されていったとして、発音はどうだったんですか?
堀田教授
発音についても同じことが起こっていて、色んな発音がある中でどれが一番馴染むかを試している状態。
そしてそれは、綴りの世界とは別で動いている訳です。あの時代は話し言葉しか知らない人の方が多かったので、話し言葉と書き言葉は原則として違う世界ということですね。
その後、発音と綴りをセットにしてみた結果、「あ、合ってなかったね」という順番なんです。
鈴木
なるほど!二つ走ってたんですね。
堀田教授
はい。もちろん「ずれてるじゃないか」というツッコミはあったと思いますが、そのタイミングで印刷技術というものが出てきます。
標準が定まって印刷技術によって作業が効率化されていくと、それを変えたくない保守派というのが当然いて、彼らをひっくり返すのは面倒なんです。なので、「時すでに遅し」という訳ですね。
鈴木
じゃあ、綴りと発音が一致していない原因としては、それぞれが別々に走っていたからなんですね。
堀田教授
そうですね。セットになったのはごく最近。それまでは生きる世界が違って、マッチングさせることを前提に両者は発達してこなかったというのが大きいんです。
鈴木
そういうことだったんですね。でも…いないんですかね、近代で頑張って正そうとした人…。
堀田教授
実はそういう人は昔からずっといるんですけど、ことごとく消されてきたというか、取り扱われないんですね(笑)。
というのも、文字を変えると全ての出版物に影響が出るので、一種の社会運動になるじゃないですか。なので、doubt の "b" 一文字抜くくらいのことは個人が勝手にやる分には簡単ですけど、それが活字化されて本になるとなれば、与えるインパクトは社会的になってしまいますよね。そこが大きな弊害なんです。
鈴木
なるほど。でも頑張って欲しかったなあ、改革派の人。
堀田教授
まず書ける人が少なかったですからね、あの時代は。そして書ける人っていうのは学者なので、保守的な人が多いです。
そうすると、「自分だって苦労してマッチングしていないのを覚えてきたぞ!それで試験受かってきたぞ!」と守る訳ですよね。
鈴木
そっかー!そういうことか!今すごいスッキリしました!(笑)
※完全に腑に落ちた鈴木
堀田教授
特権階級なんですよ、文字の読み書きができるというのは。
なので不合理であっても、それを保つことに意味があるというか、規則的じゃないものをいかに学んだか、doubt の "b" を書けるかどうかで自分のスゴさをアピールするわけです。言ってみれば「見栄」ですよね。
鈴木
今と変わらないですねー(笑)。
確かに、僕ももし英語が得意だったら、保守派の学者と同じ主張をする気がします(笑)。
堀田教授
他の英語の不規則変化も同様に、go の過去形は went で、「went という不規則を覚えていることが英語ができる証明なんだよ」みたいなスタンスだったりする訳です。
それを覚えられない人は落とす。意地悪で合理的ではないですけど、そうしたマスターすることが容易じゃないものこそ、差別化を図る手段なのかもしれないですね。
鈴木
ここまで意地張って「おかしい、おかしい」言っているのは僕くらいで(笑)、結局は覚えるしかないんですね。
堀田教授
そういうことになりますね。
鈴木
ありがとうございました。僕自身はスッキリしたというか、なんか負けた感があります(笑)。これからは文句を言わずに、コツコツやっていこうと思います。
英語学習は長い時間を要します。
だからこそ、学び続けるモチベーションが大切。
やみくもに参考書や問題集と睨めっこするのではなく、英語の成り立ちや歴史に目を向けてみることで、英語に対する知的好奇心や愛着が湧くのではないでしょうか。また「納得」して学習を進められるのではないでしょうか。
今回ご紹介したような「英語のなぜ?」をもっと知りたくなった方は、インタビューにご協力いただいた堀田教授のご著書にもぜひ目を通してみてください。
また、「hellog~英語史ブログ」でも、英語にまつわる面白い情報が日々更新されていますのでチェックしてみてくださいね!