上田 哲也
(更新)
英語学習に一番大切なことって何でしょう?
僕は、それは「英語を話すこと」じゃないかと思っています。
英語を話すことは、話すための英語を学ぶ原動力になります。
「英語を話したいから英語を勉強してます」
そういう人たちに僕はたくさん会ってきました。
でも、よくよく話を聞いてみると、「話すため」という目標からは少しズレた勉強の仕方をしていたり、英語学習を継続すること自体に苦労していたり、そういう人たちもたくさんいます。
もしそんなことに少しでも思いあたるなら、「英語を話すこと」を日常に取り入れることが一番の解決策だと、僕は思っています。
ただもちろん、「話すただそれだけで伸びる」と言っている訳ではありません。
なぜなら、英語を話すためには、アウトプットと同時にインプットもしなければいけないからです。
空っぽの箱からは、やっぱり何も出てきません。
では、なぜ英語を話すことが大切なのか?
それは、英語を話すことは、話すための英語力をつける原動力になるからです。
英語を話したとき、話せたら嬉しくてもっと話したくなります。
英語を話したとき、話せなかったら悔しくってもっと話せるようになりたくなります。
こういう気持ちがあるからこそ、僕たちの英語学習のベクトルは「話すこと」に向けられるし、そのための学習を続けることができるのです。
英語を話す楽しさ、それはやっぱり人と人との間に生まれるものだと、僕は思っています。
でも、英語の勉強って「独り」で出来てしまうものばかりだから、人と英語で話すことはどうしても見失いがちです。
話は若干それますが、僕もスピーキングの練習をするとき、英語でうまく言えないことを、何度も何度も独りで練習したりもします。そして実際、これはこれで英語はうまくなります。だから、こういう練習も必要ですし、僕も英語を教えるときは生徒さんに必ずそれを勧めます。
でも、人と話すのと独り言は、やっぱり別物。
何が違うって、英語を言えたときの感動が違うんです。
自分ひとりで英語がうまく話せたときと、誰かと話していて自分の想いが英語で伝わったときとでは、感動の大きさがまったく違います。
人とのコミュニケーションの中で、うまく言えた言葉って、会話が終わった後も一言一句ずっと覚えていられるくらい、ものすごいインパクトがあります。
そしてこのコミュニケーションの中に生まれる感動こそが、僕たちの意識を「英語を話すこと」に向けさせ、英語を学び続けるための原動力となるのです。
人と英語で話して、感動をもらう。その感動を原動力に、独りの時間の英語学習にも力が入る、そんな好循環ができたら後はそれに身を任せるだけ。向かうべき方向と、突き進むための原動力さえあれば、英語力が伸びないはずがありません。
多くの人にとって、英語が話せなかったときのフラストレーションは、ネガティブなものになります。
目の前の人が何を言っているかわからないで固まってしまう…あのなんとも言えない緊張感。
対面だからこその緊張感って、やっぱりあります。
洋画で俳優の喋っている英語がわからないのと、誰かが自分に話しかけてきてその英語がわからないのとでは、訳が違います。
そして、そういう理由で「英語を話すのはやめておこう」ってなる人を、僕はたくさん見てきました。
でもそれって、すごくもったいないなと思うんです。
なぜかって、その緊張感は受け止め方によっては、ものすごいバネになるからです。
僕も最近韓国語の勉強を始めて学校にも通っているのですが、クラスでは僕だけ全然話せません。
数字もろくに数えられない初心者が、ちょっと背伸びして上のクラス入ったもんだから、ほんとに一人だけ全然話せない。
これがもうすごく悔しい、でもすごく楽しいんです。
授業が終わると「今はできないけど、絶対に話せるようになりたい」って気持ちでいっぱいになるんです。
そしてそんな気持ちがあるからこそ、たくさん予習もするし復習もします。その悔しさがバネになるから、もっと頑張れるんです。
■「今日は何月何日?」ってレッスンで聞かれて答えられなかったから、次までには言えるようにしなきゃな。
■レッスンで自己紹介ができないとマズいから、とりあえず自己紹介を全部紙に書き出してみよう。
例えばこういうリアリティのある課題と対策が、実際に相手を目の前にして話してみることで、たくさん見えてきます。
「実際にチャレンジしてみる」大事なのはそこです。
出来ても出来なくてもいいんです。結局どちらに転ぼうとも、学べることはたくさんあります。
「うわ話せなかった。どうしよう」
やっぱり相手を目の前にして英語が出てこないと、こう感じてしまうことはあります。
でも、これじゃ何も変わりません。話せなかった経験は一番の起爆剤。それをいかにプラスのエネルギーに変えていけるか、それはもう自分次第です。
僕自身振り返ってみると、僕の英語学習の中心には常に「英語を話すこと」がありました。
僕が今でもほぼ毎日英語を学び続けているのは、英語を使って話をしたい人がたくさんいるからです。
でも、英語で話していれば知らない言葉はたくさん出てくるし、自分で言いたいのに言葉にならないことだってたくさんあります。
わからないことが毎日ある、とかいうレベルじゃなく、1分に1回くらい「わからない」に出会うくらいの感覚です。
でも、その度に発見があって学びがあって、自分の話す英語の幅が少しずつ広がっていっていくんです。
そして、そうやって英語を話すことで得られる全てが、話すための英語学習の中心にあるべきだと、僕は思っています。