日本における英語の歴史を知って、英語学習の励みにしよう!

日本における英語の歴史

初めて英語を聞いた日本人は、 "What time is it now?" が「掘った芋いじるな」に聞こえたそうです。

私たち日本人が英語に触れ始めたのは、日本の歴史的には実はつい最近のこと。英語はどのように日本に入り、どのように受け入れられてきたのでしょうか。今回は日本における英語の歴史について見ていきたいと思います。

最初に日本に伝わった西洋の言葉は?

記録上、日本に初めてやってきた西洋人は、1543年に種子島に漂着したポルトガル人商人、フランシスコとキリシタ・ダ・モッタと言われています。つまり、日本に初めて入ってきた西洋の言葉はポルトガル語で、ポルトガル語を通じてアルファベットが伝えられたのです。当然、ポルトガル語を理解する日本人は当時いなかったので、ポルトガル人と日本人は、中国語の通訳を介してコミュニケーションを取りました(中国語を理解する日本人はいた)。

最初に日本に来たイギリス人は大活躍

1600年に現在の大分に漂着したウィリアム・アダムスが、最初に日本に来たイギリス人とされています。彼は、幾何学や数学、航海術、造船術を伝え、その貢献ぶりを徳川家康に気に入られたため、武士に取り立てられています。しかし、後に幕府が鎖国体制を敷いたため、アダムスは不遇のままその生涯を日本で終えました。

鎖国が解かれ一気に高まった英語熱

黒船が来航し、1854年に日米和親条約が締結されることで、日本は200年以上続いた鎖国状態を解くことになります。西洋の商人などが次々と日本にやって来て、英語テキストや英字新聞が発行され始めます。また、西洋の文化を吸収するために、英語の書物が次々と日本語に翻訳されました。ちなみに、この時期に日本で最初の英会話教本を著したのが「ジョン万次郎」であり、後ほど詳しくご紹介します。

明治維新によって始まった英語の義務教育

明治維新により、西洋にならった近代的な学校制度ができ、外国語としての英語教育が導入されました。一時期は、小学校でも英語教育が行われていましたが、日本語を重視した教育政策への方向転換や戦争などにより、後に中断されてしまいました。そして、昨年(2013年)になってようやく小学校の英語教育が再開されました。

敵性語として排斥された英語

日中戦争から第二次世界大戦中にかけて敵性国・交戦国となったアメリカやイギリスとの対立が深まる1940年に入ると、英語は「敵性」にあたるものとして排斥されるようになりました。

しかし、英語が日本語に与えた影響は決して小さいものではなかったため、やはり全てを排除することは出来なかったようです。下記のように、無理やり日本語に置き換えて使われた言葉もあったようです。

  • 「パーマ」→「電髪」
  • 「サックス」→「金属製曲がり尺八」
  • 「カレーライス」→「辛味入汁掛飯」
  • 「バック、オーライ、オーライ……ストップ!」→「背背発車、発車……停車!」

信じられないくらい強引な日本語化に驚きますね。。

ちなみに、英語の排斥に関しては、国が指示していたことではなく、戦争に向かう中で自然発生的に生まれた社会運動だったそうです。

戦後の英語教育

戦前の日本の英語教育はイギリス英語が主流でした。ところが、戦後、アメリカの影響を強く受けた日本は、主にアメリカ英語を教えるようになりました。

アメリカ英語とイギリス英語の違いについては、過去記事を参照していただければと思います。

日本と他国との違いに、他の教科を英語で教える/教えないというのがあります。例えば、同じアジア圏にあるフィリピンでは、数学などの理系科目を含む多数の教科を英語で指導していますが、日本ではそのような指導はしていません。なぜでしょうか?

それは、明治期から専門用語の和製漢語化が顕著だったことや、翻訳書を含む日本語による教材・専門書も充実していたこともあり、英語による指導の必要性がなかったからと言われています。但し、現在では、完全に英語による授業を行う学校も出てきており、英語教育の方針が転換しつつあると言えます。

現代日本の英語

グローバリゼーションが進む中で、日本の「英語」に対する考え方は変わりつつあります。文部科学省では、子どもたちがこれからの社会を生き抜く「生きる力」を身につけられるよう、2011年度には小学校における外国語(英語)活動を必修化し、2013年度には高等学校における英語の授業は原則として英語で行う方針にするなど、英語に関する学習指導要領を改定しています。

また、楽天やユニクロが英語を社内公用語化をはじめ、企業における英語への関心・ニーズも高まっています。今後も、TPPや2020年の東京オリンピックなど、日本における英語の重要度はますます高まっていくでしょう。

「ジョン万次郎の華麗なる人生」

上述したジョン万次郎は、幕末から明治維新にかけて大活躍した、日本最初の国際人とも言うべき人です。万次郎は、坂本竜馬など当時の維新志士たちに大きな影響を与えたと言われています。そんな万次郎の人生をダイジェストでご紹介したいと思います。

土佐の漁民だった万次郎少年は、漁に出たときに船が嵐に巻き込まれる。運良く無人島に流れ着き、数ヶ月を生き延びた後、アメリカの捕鯨船に救助される。

鎖国中なので捕鯨船は日本へは行かず、ハワイへ向かう。万次郎は船上で捕鯨の仕事を手伝いながら英語を習得していく。

万次郎を乗せた捕鯨船はアメリカ本土へ帰港。船長に気に入られた万次郎は、アメリカ本土で船長の養子として学校へ通い出す。

万次郎は猛勉強し、大学へ。船舶技師や捕鯨技師として一級の人材となり、アメリカで捕鯨船員をしながらアメリカ人として暮らす。

ホームシックになった万次郎は、日本帰国を決意。しかし資金がないため、ゴールドラッシュに沸く金山へ行き、大金鉱を掘り当てる。

万次郎は大金をはたいて遠洋漁業船を購入。日本へ向け、太平洋横断の大航海に出航する。

いきなり土佐に行くと外国船は打ち払われるので、まずは琉球へと向かう。無事に琉球に着くが、1年近く取り調べを受けた後、土佐への帰郷を認められる。

時代は幕末。江戸にペリーが来航しての黒船騒動。幕府は交渉役に万次郎を抜擢。

江戸城には武士しか上がれないので、万次郎は異例の身分昇格をし、武士となる。

通訳となった万次郎は、アメリカの知識を求める幕府の重鎮や維新志士と交友を深める。

やがて明治維新が始まり、アメリカの現状、交渉術、船舶知識なども豊富な万次郎はそのまま新政府の役人になる。

その後も明治維新の一端を担う存在として日本に尽くす。晩年は土佐へ戻り、母や家族と静かに暮らした。

おわりに

日本における英語の歴史を見つめることは、日本と海外諸国との歴史を見つめることでもあります。目まぐるしく変化する国際関係において、英語という言語が重要なファクターであることがお分かり頂けたのではないでしょうか。

つまり、英語を学習するみなさんは、これまで歴史を築いてきた先人たちと同じように、これからの日本の歴史を築く一員なのです。そう考えると、英語学習がより有意義でキラキラしたものに感じられ、学習が楽しくなりそうですね!