英語の教科書に、私たちは高校で出会った"We met in high school."、私たちは去年アルバイト先で出会った"We met at my part-time job last year."という例文がありました。なぜ、高校で出会った場合はinでアルバイト先だとatになるのでしょうか?詳しくはどこにも書かれていないので使い分けを教えていただけますか?
We met in high school.
私たちは高校時代に会いました。
→「高校時代に」というニュアンスが含まれます。
"in"を"at"の場合、文法的にはまったく間違いではないのですが、"We met at school."とすると「その頃に出会った」というよりも「他の場所ではなく学校という場所で会った」というニュアンスになります。
例)Let's meet at school.
学校で待ち合わせしよう!
We met at work.
私たちは職場で会いました。
→それに対して"job"や”work”は具体的な場所ではなく、出会うきっかけになった機会のようなものなので、「そういう機会に」「そういう場(シチュエーションという意味の)で」という意味ですよね。そういう場合は"at"を使うのが自然です。
参考になれば幸いです。
今回の「~で出会った」というのは「知り合った」とも解釈できると思います。 ですので、
I('ve) got to know him/her... という表現になります。
カッコ内を付けると:現在完了形(継続)=今もなお知り合い
カッコ内を入れないと:過去形=その時は出会ってるけど、今は知り合いかどうか定かではない。
さて in なのか at なのかですが、school の場合は確かに両方使えます。 ニュアンスの違いとして、
in: 学校の授業中や学校にいる時など「時間」に対して表現している
at:学校という「場所」に対して表現している
「高校で」という表現の場合、時間なのか場所なのか曖昧ですよね。 例えば「職場で」と表現すると「場」と言ってるので at work になるわけです。
だからと言って in は必ずしも「時間」に対しての表現だけにとどまりません。 例えば、
1) in the hotel
2) at the hotel
の場合、1) は「ホテルの中(ホテルの建物の中)」という意味合いに対し、2)は「ホテルの敷地内」という意味になります。 同じように
1) in the station
2) at the station
の場合、1) は「駅構内(改札の中)」という意味合いに対し、2)は「改札の外(改札を入らない場所)」という意味になります。
ちなみに、We met at my part-time job last year. は変な英語です。 job というのは職務を指し、場所ではありません。 表現するのであれば、We met at the workplace where I worked as a part timer. が適切です。
訳)私たちは、私がアルバイトとして働いている職場で出会いました。
細かく説明すると「私たちが出会った」のは the workplace です。 My workplace だと個人事業主か、自分の会社で、という意味合いになります。(myなので)
もう1点:「私が」アルバイトしていた時というのは間違いないと思います。 ですが、お知り合いになった人もアルバイトしていたかどうかまでは表現されていません。 もし同じバイト(part timer)だったら、I を we に、 a part timer を part timers に変更してください。 もしバイト先で、バイト以外の方(お客様や搬入してくる人など)と知り合った場合は、そのまま主語は I で結構です。
英語というのは万国共通語なので、どの国の人にでもわかるように細かく表現するように出来ています。 長々となってしまいましたが、英語ってこういうもんだと思って慣れていってくださいね(^-^)/
お役にたてば幸いです☆
「知り合った」というなら got to know each otherという言い回しが適当かと思います。
We got to know each other in high school.
私たちは高校で出会った
We got to know each other at work.
私たちは去年アルバイト先で出会った
inとatの違いは、inは高校時代という時代背景で捉えている一方、
atになるとその場所()というニュアンスが強いことが違いです。
※inは特定の建物内などを言う場合でも使えます。
We have known each other since high school.
「高校からの知り合い(友人)です」
出会いを点として捉えるのではなく、それ以来知っているという意訳をすることもできます。